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自分の持ち味を嫌っていた苦痛

私は逆張りでなくて、自分の見え方が違うらしくマニアックな趣味が自分は多い。
義務教育時代の時にどのグループも自分の好みに甘くて自分の嫌いに厳しい。

どれも自分に関係がなくて興味が無かった。
人生論は昔から好きではなかったのですが、義務教育時代に出版業界が低迷していたのでインターネットはなくても今で言う自己啓発に近い過激な図書に溢れていた。

成績が良いと言ったってそれは学校かつ義務教育時代の中だけであって関わらない方がいい先輩や同学年に攻撃された私の想い人を助けられなかった後悔しか、私は学べなかった。

誰を憎むべきか。
不良か?
教師か?
優等生か?
両親か?

でも、想い人を自分一人では助けられず、それどころか傍観するだけの私の罪は大きい。

青春小説の時にどうしても同学年で培って思い出を美化したかった。
でも、この後悔が永遠に残る以上、自分はきっと理想を叶えてはいけないのだと責めてしまう。

勧善懲悪にすれば良いかと考えるも、それはただの自己満足。
それに勧善懲悪は王道でもハッピーエンドでもない。

徐々に歪んだ私の好意と何も出来なかったあの日の弱さを、私は今もなお許せていない。
想い人への好意は今は薄れている。
敢えて薄れさせている。
もしかしたら今も逃げているのか。

ただ、何も出来なかったあの日の思い出を語らう時があったのなら…それでも自分は生きていく。

私は許されなくても構わない。

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