先天的破談
※個人の感想です。
内容が重いので、
ご不快でしたらブラウザバック推奨。
どうしても…遺したかった。
最初のタイトルは
『人生観で引かれかけても譲れないものなのだからしかたがないこともある可能性』でしたが長すぎて変更しました。
だいぶ前に恋愛?みたいなそれに近いイベントを忙しい時と金額がない時にほんの少しだけ経験したことがあります。
ただ前提がお互いにズレていて今回に限ってですが相手が話してきた会話が
「それ恋愛?
距離感が違くない?」
とお互いに街を巡って飲み食いするうちに理解していき、自然消滅です。
いやらしさも生々しさもなく普通の会話で終わりました。
なんか怖いなあと。
世間体の圧力で互いにぐいぐいひっぱりあうのかあと考えるとだいぶ深く絶望した記憶。
元々自分は「先天的破談」をしたようなものでそういう関係はほぼ興味がない。
ただし自分の作品はなるべくボーイミーツガールにするくらいで恋の話やそういう作品は好きだ けれど、現実としてのこの手の話が昔から苦手だと日々実感していくことになった。
突然デリカシーのない年輩者や他の人からこちらの人生観を聞かれた場合に私は様々な原因と結果を説明する
そこで引かれかけた時に創作予定だったり没案の元極妻の話と未亡人の方の話と飲食店関係の方の話を具体的かつコンプラを守って話すと納得される。
または、別例として伴侶に先立たれ生き方をこれから探している男性の方の話等も渋々する。
(※上記の例では女性ですが閲覧者の好みで対象を想像していただけると幸いです。語弊があれば失礼。)
そういった意味では『奪い愛、夏』の「花園桜」さんは素晴らしいキャラクターでした。
色々とドラマはありましたが勝って乗り越えて暗い想い出をもっても、良くも悪くも恋をしていたいだけであそこまで出来るのが突き抜けてて今でも忘れられない。
色んな生き方がある。
人生は試験結果だけじゃない!
教育者ぶって試練とも私はいいません。
個性がどうとも、綺麗事も言うつもりもございません。
だから『先天的破談』だと説明しました。
そして私は自作の過去作の出来に一時期引きずるほどの人間。
一途?と説明した方がよいのだろうか?
もっと言えばとっくの昔に現実に失望しているだけ。
それでも自分の人生は不幸とも必然とも思わない。
ただ、それが私の役割なのかもしれない。
最近は割り切る自分と抗う自分との話し合い。
相談してもどこもだめでしたから。
ここまで話すと反出生主義と誤解されるかもしれないので別にそう思われてもいいのですが、配慮すると「発想が違う」だけ。
シンプルにそれだけ。
実質先立たれたようなもの。
逆に自分が先立ったのかもしれません。
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