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キャラ付けって難しい
※個人の感想です。
コワすぎシリーズ再燃ということで今年で創作活動は六年目(※素人以下です。そしてこれは個人の感想なので「なんか言ってる。」ぐらいで流していただけると幸いです。)となる者の話です。
初心を振り返ってお話ししますと「キャラ付けって難しい!」ことに気がつきます。
工藤仁(※コワすぎシリーズ)のキャラクターの突き抜けぶりを見てよりそう実感する。
昔は舐めていたつもりはなかったのに油断してました。
「担任の先生がどれだけ癖が強いか」で語れることって人によってはあるかもしれません。
老若男女国籍文化問わずシンプルだからこそそういった話も生まれる。
さらに若い時ですから。
更に私の場合はキャラゲーを好んでいるので「よっしゃいける!」と意気込んだはいいものの中々思う通りにいかない。
「文章なんて遅れてる。」
のは自覚があるのですが台本やプロットが書ける文章…元がないとバランスが悪い。
更に今はブログからX(旧Twitter)やYoutubeアカウント、そしてアナログでは様々なコンテンツなどライバルが多く倫理観の強化や時代の変化があってシンプルなキャラ付けも難しい。
「何弱気なことを言ってるんだ。」
と言われそうですが逆なのです。
「あれ?担任や友なら特徴を言えたこともあったのに架空の自キャラで物語を紡ぐのってこんなに難しかったっけ?」
そりゃ一時期のアイドルも「フレッシュレモンになりたいの!」ぐらい身体張るわけだ。
相棒の杉下右京さんも高打点から紅茶を淹れるわけだ。
又吉直樹さんも「火花」書くわけだ!
だんだんズレそうなので元に戻しますが、あんなに楽しめていたキャラゲーのストーリーを思い出補正抜きで楽しめていたのは「ただ出番が与えられたわけではなく主体的だったから。」目立つ者もいて、出番が少なくても限られた描写であまり嬉しくない形で語られるのも魅力だったりするのかもしれません。
逆に言えばフリーガイやドキドキ!文芸部のようなシンプル性が、今の自分でどれだけできるか楽しみでもあります。
今は上記の作品が目標になってはいるものの。
「そんなに金が欲しい?」
少し違います。
自作のシリーズで「自分のあの作品は◯◯がいる。」がほぼないので一作品か一キャラ描きたい!
といった願いです。
「時代じゃないのかなあ。」
「文章に触れるって言ってもなあ。」
「絵もあって漫画だったらもっと魅せられるのに。」
「誰かのインスタストーリー見ても何があったか作れるしなあ。」
なんて考えながらシンプルにしようとしている最中。
つまるところ「コワすぎ」が原動力となっております。
元々創作始めようと思ったのもホラー関連がきっかけでしたので。
二次創作もホラーとキャラゲーでした。
もうコワすぎ最新作観てモチベあげたらいいんじゃないかな。
書いていて冷静に検討する。
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