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夕陽をチラ見しつつ和田光司さんの曲を聞く

デジモンゴーストゲームが終わるというのと昨年デジモンフロンティアが二十周年だったという事あって昔を思い出しながら今を見る。

インターネットが流行る前にライトノベルや深夜アニメの特殊性でマイノリティを主張していた仲間だと思っていた人達が「和田光司さん」の名前を出してもかつてデジモンにハマっていた優等生達ですら私を真のマニアックと揶揄していた。

いや、あなた方も当時は凄い度ギツイ下の話をしつつ私の知らない作品をスラスラ語ってくれていたのだよ?
そのくせ邦楽を楽しんでいたとか。
当時は中島みゆきさんの曲もここまで認知されていなかったですし。
インターネットがあるから視野が狭いのではなくて、テレビ等の媒体によって私達は掌に転がされていて誰に言われるわけでもなく趣味を馬鹿にされる風潮は未だにありますよね。
別に声を大にするつもりは無いですけど、あなた方も大概の趣味をお持ちなのですよ?
面白かったですけれど。

要するに、自分を棚に上げたいだけ。

それを知ったあとは縁も切れて江頭2:50さんにハマっていたらめちゃイケでポニョの替え歌が有名になっていたという巧みなマーケティングもあったという事実を遺しておきましょう。
需要がないから敢えて。

話を戻しますが、そんな和田光司さんもデジモンのアーティストという肩書きになってしまってますね。
歌手だから色んな曲を遺しているのですが。
かく言う自分も他人の事は言えなくて、これまでに知った和田光司さんの曲をじっくり聴いてます。
作詞家や作曲家に恵まれていますね。
和田光司さんは苦労人なのかも知れません。
歌に生きていた人。

私は選べているのだろうか。
従うだけならただ操られているだけ。
でも、そこから飛び出ても誰も助けてはくれない。
そう荒んでいたのにこういう経験が自分だけでは無いと知った希望と実は特別でもない残酷さに打ちひしがれて早幾年。

節目には和田光司さんの曲を聞いて明日を迎えている気がします。
少なくともデジモンアドベンチャー02を観ていなかったら私は何も楽しめなかった。
恵まれていると思い込んでいた人達の抱えているしんどさを聞かなくていいとそっとしておくことも出来なかったでしょう。

自分は何も愛せないと思い込んでいた。
それでも自分を認められる様になるのにも随分苦労した。
けれど、未だ自分には自信がない。

朝目覚めると誰からも求められていないかもしれないという事実を突きつけられる夢で起きる。
そんな時に和田光司さんの曲を聞いていたら、黙ってやれる事から始めている。

自分がしたかったことは、そんなきっかけをどう作れるか?
という想いに変わった。
それで苦節五年が経過。

今度は自分で自分を縛っている事に気が付く。

けど落胆や絶望、傍観には慣れてしまった。
どんな生き方も生き様を否定も肯定もしない寛容さに惚れたから和田光司さんの曲を聞いている。

それくらいがちょうどいいのかも知れません。
私の場合、ですが。

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