せめて「女王の教室」「家政婦のミタ」が好きです!と言わなくてすむ毎日がほしい
※個人の感想です。
Xで呟いた方が伝わりやすそうなタイトル。
上記の2作品は好きな作品で、今でも観たりはし ますが正直に言うと
「もう少しフラットな作品をお気に入りにしたい。」
という想いがここ数年で自分自身が変わってきた証拠だと考えて綴ります。
短編、長編小説を書いているうちに好きな題材のはずなのにフリックが続かなくなりました。
かといって明るい性格ではない自分が書ける話は段々限られてきて、それっぽい本を読書して楽しめなかったり、余韻がしんどかったり…。
上記の作品が嫌になったわけではありません。
ただ、
あまりにも古過ぎる。
遊川作品を楽しむのなら今のところ最新の
「弥生、三月」が最後に観た映画でラストを上手く描けなかったかもしれないけれど観た人に委ね る形式は謎の安心感がありました。
それも3年前。
残酷なことに
『ずっと何かを羨んで、暗めの作風が真実を帯びていると信じる自分に酔っているのかもしれない』
現実が好きではなくなった。
進歩がないと誰にも言われてないのに自分を責める毎日から未だ卒業出来ていない事に気がついて、何だかショックを受ける。
せめてリーガルハイ!
せめて半沢直樹(ドラマ版)!
リーガルハイが好きといいつつこんなことを話すのは厚かましいのですが朝ドラ(※わかる人にはわかる)。
客観的に振り返って、私が好きなホラー関連と書いてみようとフリックした自作も好きなのですがやはり何処か遊川さん関連を未だに引き摺っている感触があったのです。
それでは自分の作品に自信が無いのか?
と書いてきた作品を読む度に申し訳なくなる。
遊川さんにも。
今を生きているのか?
今を生きていきたい。
18年前と13年前、もしくは8年前までの鬱屈した日々はもう過去なのです。
自作に現代を生きる若手から年配者まで描きたいのならちゃんと今を見ないと。
スマフォかPCばっかみていないか?
子を見よ!
少し金○先生が浮かびましたがそういうことでもなく、この過渡期は逆にチャンスだと捉えています。
今までは書くだけでした。
付け足したこともあり、頓挫したことも。
書くことは変わりませんがもっと大事なことがあるのではないか?
自分を彩る何かを他者に委ねたくないと真剣になってきた証拠だと信じて、今を生きられたら…もう、隣の芝生はうんざりだからこそ。
そう決めた後に腰が痛む。
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