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脚本家になりたかった目的をやめ、別の方法に変えた理由

※個人の感想です。

  ある作品を見て、自分も脚本家をやりたいなあと思っていたこともあります。
  当時は映像やホラーを消費者目線で楽しんでいて創作もやったことがなく、漠然と脚本家を夢見ながら  取りたくもなかったITパスポートの勉強をあちこちの図書館でやってました。

  もう資格勉強はトラウマでやっていませんし、どうせ働くことに繋がる目的ならもっと地味でも誰かと話したらそれだけで話題が広がりそうなやりたいことに本格的に挑戦してみたいと思えるようになったから。

しかし


  8年前か9年前に図書館で「脚本家のなり方」と書かれていたような…当時でも遥か前の雰囲気の本を立ちながら最後まで読んでいました。

  猿岩石さるがんせき(※有吉さんのコンビ時代)やら電波少年やら明らかに古すぎる内容と

「脚本家を最初は強くめざして専門校に入校するも夢を語ってただだべるだけ。」

「芸人は思いっきり使ってやればいい」

「野島伸司は才能だけ」

「萩本欽一さんは素晴らしい」

  などなどパワーワードと現場の赤裸々な現実と明らかに上から目線過ぎるなどある意味時代の本物達の話を読んでいたら

「地上波に関わりたくない」

  と結論が出たのと脚本家になりたかったけれど、なりたかった方の「ここは良いけどここは違う」ことに気がついて別の方法を考えることにしました。

『血が通ってない作品は生みだしたくない。
ちゃんと人間が生きた作品を。』


  その当時は特に掲げていなかったテーマがここで生まれました。
  この時はpixivピクシヴやらWeb投稿なども全く知らなくて。
見て楽しんではいたけれど。

  実際は発信でさえ制約や出来ることの限り、相手の反応と自分の手応えの理由に何度辞めかけたか。

  羨ましいことばかり流れてきて、そこから抜け出す。
  今はそれが目標でもいいのかもしれないと仮説を立てる。

それでも作品投稿は続けたいから。

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