書いてて実感したこと
※あまりこのようなことを書きたくはなかったのですがあえて。
個人の日記です。
ご不快でしたらブラウザバック。
規制や時勢や配慮する必要のあることはもちろん守るようにするものの、経験のない人間から
「天才じゃない。
つまらないから書くな。」
「時代だから仕方ない。」
「有名じゃないから仕方ない。」
我が身可愛さではなく、分かっているのなら黙っててほしい。
その手の話をする方々が読んでないことは分かっているし、その先読まれることもない可能性が高いことも。
こう、足元見られてるって感覚が常に目に見えて聞こえるのと自分がそれで生活が成り立ってるからこそ被害者ポジションに置いて安心しているって点で
えらそうなこといってインプレッション稼ぎしてる現実を棚に上げてる自覚がない痛さがいけ好かない。
でも自分も結構知らず知らずのうちに下世話な解釈と考察をしてしまったこともあって恥じていますし、聞いてくださっていた相手への配慮を間違っていた可能性は否定できないから強く言えないこともある。
だからこそ何も言うなだなんて強制するつもりは今も昔も一切ないけれど自分は節度を守れてないのに 好きを語るのは許して!ってのはお互いにとって違うと私個人は思う。
それも人間らしさ。
『お互い様』って感覚が薄れていくのって怖い。
それで死ぬまで生活が成り立つことが幸せだなんて夢がなさすぎる。
それもソフト老害として後処理されてしまうのかな。
なんなんだこのやりきれなさは。
みんな問題はかかえている。
少しずつ乗り越えていくしかない。
だからこそ葛藤を記録する。
個人的なことかもしれませんが、偏見をなくし固定概念にしばられず失敗も経験として大切にするため、理不尽だけれど世に関心と興味は持つけれどその度になりたくない生活を送ってる誰かに何かしらダメージを与えてしまったり、受けることはもう覚悟するしかないのかとノドから出かかる感情を拳をにぎりしめて飲み込んで発散もできない事実を言語化することにしています。
ただあえて感情を書くとしたらシンプルに足元を見てしまう自分と見られていることが当然という風潮に大して悔しい。
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