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昨日までの私には戻れないのさよなら


※個人の仮説です。

「ずっと独身でいるつもり」の映画を視聴してから雨宮まみさんの原作、漫画版も拝読して本当にあの方が結婚に苦しんだ気持ちの片鱗を感じることもある。

出来るのなら所帯を持ちたいという思いがあったから恋愛や婚活をされたのではないかと。
それが幸せなのかと抗いながら。

雨宮まみさんはもうこの世にはいらっしゃらない。
幸せの加害性についてしっかり雨宮まみさんが語ってくださったのを取り上げてもらったというのに昨年の夏に・・・Twitterのかつてのトレンドなんぞの話題を取り上げるのもどうかしていますが

「結婚式の加害性」だの。

未だにそういう形式にとらわれてるというのも驚きましたが同性婚の話がどうのだとかツイートした人は本来そういう伝え方をしたわけではなく炎上したとか本当に人間関係は疲れるのにこれがきっかけで

「マジョリティも現実で妄想してんだな。私を昔、妄想癖と笑ったお前らもホームステイさせてもらっといてあちらの国ではなく自国の人間で固まっていたらしいじゃない?
それが人間の全てじゃねえか。」

と思って有り難くこの手の方々からは距離を取らせてもらう。

雨宮まみさんが最後まで何に悩まれたのかは分かりません。
対等に話し合える誰かがいれば・・・一部を除いて孤独に恐怖心を覚えるのは義務教育の闇が続いているから。

私の仲良かった方は高校生以降の方々で、中学時代までの連中は平気で人を引き摺り下ろす獣だったので遠慮なく距離を取っております。
いや、獣や植物なら遥かにマシ。

いつだって泣くのは何も言えず、何も儲からず、搾取される側。
私が言えたことではないからここまでにします。

だから、バッドマンが生まれたと。
小説投稿を何度もしていたから知ったことがあります。
収益化が通ったわけではないので多くは話せませんが、そこから「作家」になれないぐらいなら可愛いものです。
書きたい気持ちがあればどうにでもなると最近は分かりました。
それと、そういった形で日の目を浴びるのは罠だと分かりました。

好きだとかやりたいことではなくて、私の目的は違う所にある。
そりゃ収益化は通したいけれど、世の中は思う通りにしようとするのは違う。

現実は惨憺たるもの。

だから燃える。
でも所帯がある人全てがそういう上から目線ではない事も知った。
相手も人間であるという弱点を知ったからこそ、私はもう少し何か負にとらわれない・・・いや、たとえとらわれていても生きていくと決めた。

特別というブックも普遍というブックもその他のブックも何処か違う。
けど私も相手から見れば違う。

客観的に見て自分がそういった事に囚われていた悔しさがある。

だからこそ、書いていきたい。
だからこそ学んでいきたい。

何が正しいのか、いつも見失う。
その過程を記録する意味でも。

そんな私は今日も阿佐ヶ谷姉妹さんのお笑いを見て学ぶ。
小綺麗な服で、センシティブな話題で詰め寄る相手に

「今、幸せですか?」

とお伝えする為にも。

リーガル・ハイも視聴し直すかも知れません。
長ゼリフを練習しよう。
その台詞はオリジナルで。

ですがシンプルである程度万国に通じる形であるなら、

Are you happy?

とお伝えします。
最終的に多言語、多文化に対応したい。
お伝えする内容は上記の通り。

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