なぜ走るか?
高校時代の話になります。
あまり言える話ではないのですが、単位を取るのに一苦労した過去があった。
一度中退して編入したにも関わらず。
当時の友人もその一人で一緒に悩んだりエトセトラした間柄でした。
もう諦めようといつも通り凹んでいて、愚痴ともなんとも言えない話を私がした時のことでした。
その友人が恐らく部活動に励んでいて走っている歳下の子を見つけて「彼を見ろ!」
と珍しく怖さを感じたのでそのとおり観察していました。
「何故、あの子が走ってるか分かる?
達成したい目標があるからだよ。」
それだけ伝えて深く考え込んでました。
彼がその一言を私に伝えていなければ留年か中退していた可能性が高かった。
それもあって維持でなんとか卒業しました。
その友人も誰かの綺麗事や安っぽい言葉や行動、負の要素だけは変わらない人間達と戦っていた事が瞬時に知ることが出来た…それは決めつけになるかもしれないから敢えて明言は避けますがこの経験があるからこそ凹んだ時に友人のその時のシチュエーションを思い出しては凹んで思い出しての繰り返しをしております。
あまり美談になっていませんがお互い意地は悪くても普段巫山戯る事は少ないのであの時の鬼気迫る友としての掛け合いは忘れないようにここに記録しておきます。
今は繋がってはいないものの、あの時走っていた子とその時の友人が奥底に眠っている努力や行動を評価する方で本当に感謝しきれない。
良くも悪くもその友人は第一印象やそれ以降の印象から感じ取った事を言葉に出来る何かがあったのかもしれない。
ひねくれている私が今でもその状況を忠実に再現して奮起する時は、いつもピンチな分岐点に立たされているとき。
今や先に繋がりがなくともこういった経験が記憶に残るだけで私にとっては充分です。
だからソロ活が多くなってしまいましたが。
けれど「一人で生きていける」とたかは括ってません。
むしろ「一人だけでは難しい事が多い」経験をしました。
そしていざと言う時に頼れる存在がいない辛さも。
強欲な私がたまに通常の欲に戻って挫け、また立てるのも当たり前ではないのかもしれません。
ただ一つ言えるのは、孤独が似合わないその時の友人が孤独も覚悟していた可能性を示唆する程に私へ発破をかける程身を案じてくれたことをもっと感謝出来たら違う道があったのかもしれないとは考える。
無い物ねだりではなくて自身の未熟さに葛藤する。
次があるかは別としてスモールステップからまた歩き出す。
タイトルのように走るため。
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