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私はメフィラス思考か神永派か

私は少しだけメフィラス星人(※シン・ウルトラマン版)の練習をしてみました。

魚類系統に関して

「私は生魚が苦手だ。
値段の高さに驚いて有名な琵琶湖を訪れ、なんてことの無い景色の中でただ『これが淡水?』と少年的な反応をしただけの私に知る由もない味を帰宅時に知った。
鮒は貴重だ。
しかし触れないのだ。
背鰭に尾鰭。
料理人に感謝する。

由比ヶ浜結衣に関して

私は由比ヶ浜結衣が苦手だ。
どのカーストにも所属する。
その上、平気で悪口も言う。
すぐ側の友の危機も主人公に投げっぱなしで、外面だけではないただならぬ内面を持ったJKなんて末恐ろしいにも程がある。
どの階級にも歩み寄ってもマイナスにはならない。
そんな人間を優秀だなんて、フィクション世界も残酷だ。
闇の無い人間キャラへ惚れる時間は、全てちいかわに向けたい。
だが、フィギュアは買うかもしれない。

はまじについて

私ははまじ君に一目置いている。
ムードメーカーでもリーダータイプでもない。
お調子者で憎めないタイプだ。
恋愛…いや、家族という闇を知っているまる子はいい意味で恋愛体質ではない。
だからこそ、はまじ君とまる子の関係が丁度よく思えるのだ。
結ばれる事はないが、同窓会などで出逢えば話が弾む。
全てが本能に直結した関係ばかりではないと知った時の感動は地上波で是非口に出してみたい。
勿論、それは造られたシーンでしかない。
なればこそだ。
はまじ君とまる子達の関係をたまに観ると原作を読み直してみたくなる。」

偶には萌えに頼らない萌えを読んでみたくなるもの。

私はまる子を姉御と呼ぶ。

私は基本的に「家政婦は見た」の手記と近い生き方をしているのかも知れません。
前にも記事にはしましたが、界隈を一瞥して身を置いて現実を叩きつけられてから別れを告げるという物語。

コンプラと守秘義務があるから、帰る場所の家政婦所はみんな優しい。
仕事場の厳しさを共有出来る。
そしてハルミちゃんを撫でながら、歌を歌う。

知っているのは、自分だけ。
でも空気を理解してもらえる場がある。

そんな場があったら違うのに。
だがないものは強請らない。

傲慢じゃないか。
ここまでの贅沢。
蹴落としてきた人間だけの集まりの先にあるのは、愛し合って他人を巻き込んだ婚約と式という遅れた儀式からまあ色々会って介護問題に出逢い、座布団を親族で奪いあうまで他者に汚れ仕事を押し付ける。
こんなストレス社会で老衰で亡くなる事を願う日々の為に手に入れる幸せなんて…

人間という生き物の社会性はかくも残酷で、そして欲望に分類されたその先で生きていくだけ。

そこに光はあるんか?

私は阿佐ヶ谷姉妹さんのような生活をめざして朝起きて、各競技のファイターから活力を頂きながらメフィラス星人を練習する。
それは別に上から目線ではなく、景色として人地獄を好む私自身のライフスタイルだ。

メフィラス星人の台詞に一つだけ、付け加えてもいいという二次創作が赦されるのならこう加えよう。

「今、幸せですか?」

ここで一句

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一青窈

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