青春はね心のアザ

    いっそろくでもない青春を送ってた方が面白さを求めてズレなくて済んだんじゃないかなって考えてしまうのは気のせいだろうか。

    閉じ込められた水槽の中で、本来は喧嘩することなく共にいれられた仲間達とやがていがみ合い、たがいのヒレを噛むことになる未来を想像してしまい    今を大切にと先送りにしてきたことがアザになってしまったのではないかとショックを受ける。

    これをきっかけに変わっていきたい。
    この記事を書くということは既に胸の奥底へしまっていたとベタな表現になってしまいますが葛藤という練習をしているうちにやがてペンだこのように皮が分厚くなることでしか気休めにもならないことに壁へ手を付きため息をはいても、それはひとつのターニングポイントではないのではと仮説を立てる。

   チャンスやピンチといった極端な捉えた方ではなくて、こうやってきっかけは産まれていくのかもしれ    ないと治ることがないアザとなった青春を振り返って今日から続く日々を歩くしかないと仮説を実証する。

    アザはきっと、治すものではなく忘れないための経験にすること。

   そうなのかなあと痛みが襲ってしまう。
   これも闘病の一種なのだろうか。

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