モンテスキューの政治理論

民主制の基本原理は「徳」、貴族制は「節度」、君主制は「名誉」、専制は「恐怖」である。

モンテスキュー

これがモンテスキューの思想です。
もっと細かくいうと専制支配に関しては、「恐怖によってなんとか持ち堪えているがいつ崩壊してもおかしくない悲惨な政治形態」だといいます。

そして民主制、貴族制、君主制については特に差はないと言っています。
ここでのモンテスキューのいう民主制は現代の直接民主制貴族制は現在の代議員制に近いイメージです。

徳のない民主政治はカネで票を買うような腐敗につながり、貴族制は議論が過ぎ、まとまりづけるために節度を必要とする。君主制は名誉を重んじることで恥を知り、むやみやたらなことををしない。この原理が守られればこの3つの政体は特に悪いものではない。とモンテスキューは言います。

ただその中でもいいと言っているのは「貴族制」です。
徳を守るために主権を獲得した民衆は極めて大きな責任を負わないといけないことになる。徳を守るためには嫌でも学校に行って勉強して、民主政治の内容を堅守しなければならない。常に政治に関心を持たないといけないという義務を負うことになる。

これは資本主義社会では大変なことです。生きるために稼がなければならず、稼ぐためには多忙な仕事に就かないといけない。そしてわずかな時間を縫って政治活動をしなければならない。
それであれば民衆は主権を貴族に委譲してしまった方がいい。
というのがモンテスキューの主張です。

では代議員制(モンテスキューのいう貴族制)である今の日本は機能しているのでしょうか。
答えは罰ですね。
今の代議員は「節度」を失ってます。
自分たちのとこだけを考えて、未来のことを考えません。

今だけ・金だけ・自分だけの象徴かもしれません。

資本主義の社会だから代議員制がいいというのであれば、資本主義以外の社会になった時には民主制がいいのでしょうかね。
一人ひとりが政治や徳を使うことに時間を持てる社会になればいいですね。

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