想像力抑制法

 月の光が、夜の空の支配者だった。
塔の最上にたった一人で立ちながら、私は念じた。
〈開翼(かいよく)せよ〉
 秒の間を置かず、私の背中に折られていた「輝(き)翼(よく)」が開き、その金の光で周囲を染めた。
私はまた念じた。
〈飛翔せよ〉
 翼の羽ばたきと同時に、私の身は塔を離れ、月光の支配する天へと舞い上がった。
 身体に、風が当たる。
 下を見れば、一面の闇を数えきれないほどの光たちが彩っていた。この都市に生まれ育ってから一度も、私はこの夜景の美しさに慣れる気配がない。
 まるで、満天の星空が、地上に落ちてきたようだ。
 いつも、そんな感想を抱く。
 空からは月光に、地上からは都市の光に照らされながら、私は天を進む。途中で、私のように輝翼を操って飛ぶ人たちと何人もすれ違った。週末の夜だから、特に飛ぶ人が多いようだ。都市の中心に近づくごとに、空には人が手にした偽りの天使の姿が満ちていった。
 やがて、私は一本の塔に近づいた。
私は念じた。
〈着陸せよ〉
 私は塔の最上の床へと近づき、ふわり、と降り立った。
〈閉翼せよ〉
 輝翼は秒の間を置かず折りたたまれ、私の背中に完全に同化し、その姿を消した。
 私が降り立ったことを察した床は、変化した。私の立つ周囲が沈み、階段へと変わった。私の尋ね人が住まう場へと続く階段に。
 私は、階段に足を下した。
 かつん、かつん、かつん。
 私の足が階段を下りる音だけが響く時間は、間もなく終了した。
 私の目の前には、一つの扉。
 それが左右に開いた。
「ようこそ」
 室内に立つ女性が、大きく手を広げて歓迎してくれた。
「邪魔をしたね。ケレイ」
 古くからの友人の名を呼びながら、私は室内に足を踏み入れた。
 何も言われないうちに、私は椅子に腰を下ろした。
 ケレイは苦笑した。
「相変わらずの、快楽主義者だな」
「使えるものは、なんでも使わなくてはね。」
 私は答えた。
「それで、何の用なのかな」
 私と向かい合って腰を下ろした友に、私は早速本題を切り出した。
「週末の夜、いきなり会って話がしたいから自宅に来てほしいなんて連絡をくれた理由は、何?」
「いやほんと、来てくれてありがたいよ。ロウ」
 彼女は、私の名前を呼んだ。
「ただね、僕から呼んでおきながら申し訳ないのだが、僕がこれからする話は、ちょっと長いうえに入り組んでいて、なかなか本題に入れないんだ。それでも、直接会って話したい内容だったから、こうして呼んだわけだ。許してくれるだろうか。」
「私は構わないさ。どうせ明日は休日だ。ただまあ、どんな内容か気になるから、お茶を持ってくるとかもてなしは抜きに、さっそく話し始めてくれないか」
「ありがとう」
 そして、ケレイは話し始めた。
「僕が今夜話したいのはね、あの忌々しき想像力抑制法についての話だ」
 私は眉をひそめた。
「もうこれまで何回も繰り返してきた論争を、今夜またやろうというのか?」
 想像力抑制法。
 今から二世紀以上前に制定され、私たちの社会を変革した法律の名。
 その法律が制定されたのは、今から2世紀以上前、第12回人類議会の席上でのこと。
 その会期の初日、一人の議員がその法律案を、あるデータと共に議会の出席者たちに提示した。
 そのデータは、ここ数十年に及ぶ超心理学の蓄積された知見を示したもの。
 主題は「創作物が人間に与える悪影響について」
 人類が近代を迎えた時代から続いてきた、ある議論についてのものだった。
 創作物において表現された反倫理的な行い――殺人、性暴力、窃盗、戦争に至るまで――が、受け手の精神に悪影響を与え、現実における反倫理的行動に走らせる原因となりうる――という主張の賛否。
 そして、この主張を根拠として、創作物に受け手への影響を考慮に入れた表現を行う、具体的には悪影響を与えかねない反倫理的表現を行わないことを要求する主張の是非。
 反倫理的な表現をした創作物を法律によって規制すべきとする主張をめぐる議論。
 歴史上、幾度も繰り返されてきたお話だ。
「過去、権力は幾度も倫理的悪影響を名目として、創作物への規制を行ってきた。表現者の側が自発的に規制をし、民衆の側が要求をしてきたこともあった。しかし、『どのような表現を規制すべきか』の基準は時代とともに揺れ動き、緩和と緊張を繰り返してきた。一定の規制が生じても、それが長続きしたことはなかった」
 ケレイは語る。
「結局のところ、証明ができなかったからだ。『創作が悪影響を与えうる』という主張のね。『受け手は、現実と創作の区別をつけている。』という主張を、否定しきれなかった」
「奇妙なことに」
 私は、思わず口をはさんだ。
「『創作は現実に影響を与えない』という主張は、いわゆる『クリエイター』と呼ばれる人種によく見られたそうだな。私なんかはその記録を見て、『彼らは自分たちの作っているものの価値をなぜ貶めるのだろう』と不思議だったよ」
 ケレイは私の言葉には何も反応せず、話を進めた。
「しかし、そんな主張に終止符が打たれた。第12回人類会議でね。」
「あの日示されたデータは、当時から過去数十年、数百年にわたって発生した犯罪加害者たちの心理的過程状態を明らかにしていた。その結果、彼ら犯罪を起こすまでに至った心理的原因が、それまで触れてきた創作物の中に含まれていた反倫理的な表現であったことが、証明された。」
「結果は、早かった。」
 ケレイは、ため息をついた。
「人類議会は、議員の提出した法案を、全会一致で可決した。およそ人類の作り出してきた全ての創作物、物語、音楽、絵、詩といったすべての表現物に対する、歴史上前例を見ない強力な規制法案、すなわち『想像力抑制法』をね。」
 最初それは、メディアを通じて報道されたとき、激しい反対論を巻き起こした。「表現の自由」という思想は、それほど多くの人に保持されていたのだ。しかし、科学によって示された結論が、反対論者たちを沈黙させた。
 残忍な連続児童殺人事件を引き起こした加害者が、「旧約聖書」という本に影響されてその事件を起こしていた、という事実が明らかにされたことによって。
 かくして「想像力抑制法」は制定され、施行され、社会は変革された。
 過去に創作された、反倫理的な表現を含むすべての創作物が、歴史研究のために保存の対象になった少数を除き、その存在を消去された。
「聖書」「コーラン」「源氏物語」「star wars」「one piece」「ウルトラマン」「仮面ライダー」「罪と罰」「最後の晩餐」「イリアス」「オリエント急行殺人事件」「二十億光年の孤独」…あらゆるジャンルの、あらゆる創作物が、都市の郊外の焼却処分場で紅蓮の炎に包まれる当時の映像は、現代の子供たちなら必ず初等教育の場で見る光景だ。
「このような歴史的偉業によって、いま私たちは理想の社会に住んでいるのですよ。」
という誇らしい解説を聞いて、私たちは大人への階段を上り始める。
理想の社会。
私たちは、それを手に入れた。「想像力抑制法」を起草した人たちが、願った通りに。
同法が施行されて百年を経ずに、社会から犯罪は消滅した。
逆に言えば、それまで我々人類は、あまりにも有害な表現が溢れすぎた社会に住んでいたということだ。背筋が寒くなる。
今、創作をし、発表をしたいと考える人間は、まず内容を司法省文化統制局に届け出て、「創作許可」をもらう必要がある。この許可を経ずして創作を行った場合、最低でも終身刑は免れない。毎年、全市民が一週間に及ぶ心理検査を受けることが義務付けられている。有害表現に接し心理状態に悪影響が及んでないかを検査するためだ。社会のあらゆる場所に配置された検査官たちが、創作物に反倫理的な表現が万が一にもあるかどうか、目を光らせている。
これらのシステムには、膨大なコストがかかっている。しかしリターンとして、理想の社会を手に入れた。
「悪夢の社会が、到来したわけだ」
 ケレイは言った。
 今度は私が、ため息をついた。
「君だけだと思うよ。犯罪のない今の社会をそう呼ぶのは」
「犯罪さえなければ、それは理想の社会だって言えるのかい?」
「愛する人を殺された人の前でも、同じことが言えるのかな?」
「言えるさ」
 いつものように、私たちは論争を始めてしまった。
 ケレイは、想像力抑制法と、それによって築かれた今の社会に不満を感じ、間違っているといつも主張している。なぜなら――。
「あの法律が制定される以前の無数の創作物に触れていれば、反対して当たり前だと思うよ。僕に言わせれば、あれらをみてもなお今の社会を理想だと断言する君のほうこそおかしい」
 そう。
 ケレイは、文化省歴史的創作物管理局の職員だ。抑制法成立以前の創作物が、万が一にも流通したりしないように、管理するのがその仕事。
 仕事柄、彼女はそれらの「反倫理的表現」が含まれた過去の創作物に、多く触れている。
 故に。
「あれらの創作物は、面白い。今の社会に存在する創作物とは、比べ物にならない。想像力抑制法は、人間の文化を殺したんだよ。」
「・・・・・・」
 私は、文化研究者だ。過去の創作物を研究するために管理局を利用する過程でケレイと知り合いになり、こうして友人兼論争関係を続けている。
「私の感想は違うな。私は『気持ち悪い』と感じたんだよ。あれらの表現に触れてね」
「・・・・・・」
「だってそうだろう? あれらの作品では、殺人をはじめとした数々の反倫理的行動が、当然のように登場する。それどころか、これは私自身実際に触れてみることで驚愕したことなんだが、反倫理的行動を賛美し、それを受け手に奨励しているとしか思えない内容のものも数多くあった。あんなものたちに日常的に触れていれば、かつての社会が犯罪にあふれていたのも当然だよ」
「君の言うことは、一面の真実をついている。それは認めるよ。そのうえでなおかつ、僕は言いたい。『それがどうした』と」
「・・・・・・」
 私たちの会話は、いつも同じ道筋をたどる。
「受け手への悪影響、社会への悪影響、それがどうしたっていうのだろうか。それではまるで創作物を生み出す想像力を、一つの基準で分断しているようなものじゃないか。ある創作物に触れたことで殺人を犯した者がいるからと言って、その創作物が存在してはいけないという理屈は理解できない」
「我々の社会に存在するものなら、社会への影響を基準として判断されるのは当然じゃないか。それがどんなものであれ。社会に有害なものを排除するのは当然のことじゃないか」
「いや。想像力は、社会という鎖からさえ自由であるべきだ。そうであるべきだ」
「なぜ?」
「それが、想像力の本当の価値だからだ。あらゆる鎖から解き放たれることにこそ、想像力の価値はある」
「なぜ想像力には価値がある? 論理的に説明してほしい」
「君は何故命に価値があるのか、論理的に説明できるのかい」
「現実を見るんだ。想像力抑制法によって、現実に私たちの住む社会は理想の社会になった。君が面白いと思える創作物がなくなったことは、高い代償として諦めるべきことだとは考えないのか?」
「考えられない、ね。」
 私はまた、ため息をついた。
「私には、君がわがままを言っている子どもとしか思えないな」
「ここからが本題だ」
 ケレイは、不自然に突然に笑顔になって、言った。
 その急変が、私には怪訝だった。
「どういうことだ?」
「僕たちの論争はね、いつもこのあたりで止まってしまうんだよ。これまではね。それはなぜかっていえば、全面的に僕が悪いね。君の言葉に反論できなくなってしまう。でもね、今の僕は違う」
「どう違うのかな」
「君の言葉への有効な反論を思いついたんだよ。だから今夜呼んだんだ」
「へえ」
 私は、純粋な好奇心の奇襲を受けた。
「ぜひ聞きたいね」
 突然、ケレイは立ち上がった。
「言葉で説明するよりも、実際に見てもらったほうがいい。ついてきてくれるかい?」
「・・・・・・わかった」
 一体、何を見せるつもりなのだろうか?
 不思議に感じつつも、私も立ち上がった。
 ケレイは命じた。
「例の部屋への、道をあけてくれ。」
 床が変化し、下へと続く階段となった。命令を部屋が聞いてくれた証だ。
 何も言わず、彼女は階段に足を下ろして、下り始めた。私もそれに従った。
 カツン。カツン。カツン。カツン。カツン。カツン。カツン。カツン。カツン。
 長い、階段だった。
 先ほどいた部屋の光が遠くになり、私たち二人の足音だけが響く中。
 ケレイは、立ち止まった。
「ここだよ」
 階段は終わっていた。私たちの前には、ドアが一つ。
「開け」
 彼女が命じると、ドアが開いた。
 ほぼ同時に、私は酷い悪臭を感じた。
「う・・・・・・」
 おもわず、鼻をつまんだ。
 その匂いは、開いたドアの向こうからのものだった。部屋の中に見える、悪臭の源は――。
「・・・・・・!」
 今度は、私は、目をそむけた。
 視界に入った「もの」が、信じられなかったから。
 あの赤い、水のように見えるものは?
 あのぐちゃぐちゃの崩れた、大きな肉のようなものは?
 そしてなによりも、あの、毎日のように見慣れているあの形は?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 恐る恐る、私は視線を戻した。
 自分は見間違いをしたのだ。
 そうに違いない。
 そう必死で信じ込みながら、視線を戻した。
 次の瞬間。
 私の口から吐き出された絶叫を最後の記憶として、私は意識を失った。
 どこか遠くで、呼ばれた気がした。
 瞼に当たる優しい光と、頭の柔らかい感触とともに、私は目を覚ました。
「う・・・・・・」
「おはよう。ロウ」
 初めに目に入ったのは、ケレイの顔。
 次に目に入ったのは、見慣れた天井の模様。
「ケレ……イ……?」
 私は呟いた。混沌とした思考のまま。
 なぜ私の顔のこんな近くに、ケレイの顔があるのだろう?
 ここはどこだろう。
 意識が覚醒していくと同時に、自分が横たわっていること、自分の頭がケレイの膝にのせられていること、自分が今いるところがケレイの家の部屋であることを私は認識していった。
 そして、私が気絶していた理由も――。
「ケレイ!」
 私は跳ね起きた。
「あれは、あれは、なんなんだ?! さっき君が見せてくれたもの、あれは、あれはー」
「うん」
 彼女はうなづいて、こともなげに言った。
「人間の死体、だね。僕が殺したんだよ」
 沈黙に、私は支配された。
 彼女が何を言ったのか、すぐに理解することができなかったから。
「なんだって?」
 ようやく出てきたのは、そんな言葉だけだった。
「だからさ、殺したんだよ。僕が」
 ケレイは、言葉を繰り返した。
 私は、まじまじと彼女を見て、言った。
「本当に?」
 彼女はうなずいた。
 殺人。
 信じられなかった。
 ケレイが人を殺した、ということにではない。
「そんなことを」「この現代社会において」「実行したものがいる」という事実が、私には信じられなかった。
 冗談だと、笑い飛ばしたかった。私の本能が。
 だけど私の理性が、少なくとも誰かひとりの人間が殺された事実は認めなければならないと告げていた。私が見た、あの部屋にあった惨殺死体を証拠として。
 次に口にするべき言葉を必死で探したのに、見つけることが困難だった。
 何を言えばいい?
 死体を見た人間は何を言えばいい?
 なにをすればいい?
「治安局への連絡、じゃないかな。適切かつ迅速に行うべき行動は」
 ケレイが言った。微笑みながら。
「そ・・・そうだ!」
 私は叫んだ。
(治安局に、死体が出たと伝えてくれ!) 
 私は身に着けている服に、心の中で命じた。こうすれば、私が今いる位置情報とともに、治安局に服が念波で連絡をしてくれるはずだ。
 やるべきことをやったおかげか、私はやや落ち着いてきた。
 そうなってみて初めて、私は口から出すべき言葉を見つけることができた。
「ケレイ!」
 無意識に、激しい声で、私は言った。
「もしも、もしも君が言ったことが事実だとしたら、君は、君は」
 いったん、ごくりとつばを飲み込んでから、私は言った。
「どうして、人を殺した?」
「想像力抑制法が悪法であることを証明するため、かな。わかりやすく言えば」
 わけがわからなかった。
「ケレイ……。お願いだから、論理的に説明をしてくれ。君が説明を終えるまで、私は黙って聞くから」
「ありがとう。友よ」
 ケレイは私をじっと見つめ、語り始めた。
 「でもね、ロウ。今の君の態度はおかしいと思うよ。今の君の態度も、僕の主張の根拠となるものなんだけどね」
「どこがおかしい?」
「だって、僕はさっき人を殺したと宣言したんだよ? 危険人物じゃないか? 君を殺す可能性だってあるのだよ? 早く逃げるのが適切かつ迅速にとるべき行動じゃないかな?」
 思いもよらない指摘だった。
 だけど、考えてみれば、正論のように思えてきた。
「言われてみれば、そうかもしれないな」
 なぜ自分がそうしないのか、不思議にさえ思えてきた。
「さっきだってそうだよ。君は死体を目にしたというのに、それを通報するという当たり前の行動を思いつくことができなかった。まあこれはショックで混乱していたのもあるだろうけどね。この君の行動は、どんな問題が根底にあると思う?」
「問題?」
「想像力不足、という問題だよ。君は、『殺人』という事態を全く想像することすらしないで生活していたから、現実に自分がそんな事態に遭遇した時に取るべき行動を、思いつくことができなかった」
「・・・・・・」
「もしも、もしもだよ。僕が君のような状況に置かれれば、一時的に混乱することはあったとしても、「治安局に通報する」という考えを、自分で思いつくことができていただろうね」
「何故?」
「僕は多くの物語を通じて、『死体に遭遇する』という状況を疑似体験しているからだよ。想像力抑制法以前の時代に創作された多くの物語に触れてきたおかげでね」
「・・・・・・」
「物語の価値ってのはさ、自分が今まで経験してこなかったこと、経験するのが難しいことを疑似経験できることにあると思うんだよね」
「・・・・・・」
「もちろん君だって、研究材料として僕が今述べたような物語の多くを知っているはずだ。だけど、やっぱりそれは研究のために知っているにすぎない。今の社会で培われた価値観という色眼鏡を通してね。それは物語への向き合い方としては、純粋なものではないのだよ。本来、物語は楽しむものだ」
「・・・・・・」
「これは、一例に過ぎない。想像力抑制法が、人の想像力を壊してしまった、ね」
「そのためだけに、それを証明するためだけに、人を殺したのか?」
 信じられなかった。
「おかしいかい? 自分の考えを証明するためだけに人を殺すのが?」
「狂っている」
「それもまた、君の想像力欠如を雄弁に物語っているね。かつてこの星では、信仰する宗教が違うというだけで、大量殺人を行う者たちが何人もいた。自分の愛する人が殺されたなんて理由で、殺した加害者を殺そうとした者もいた。人はね、どんなに他人からは下らなく思える理由であっても、人を殺せることができる生き物なんだよ」
「・・・・・・」
「こんなこと、いくつか物語に触れていれば、すぐにわかることなんだけどね」
「・・・・・・・」
「君でさえこうなんだ。想像力抑制法成立以前の創作物を知識としてすら知らない一般大衆のほとんどは、君ほどの想像力さえきっと持っていないよ。僕が殺した人間だってそうだ。彼は僕が、ある夜に誘った相手なんだよ。その日が初対面だったのさ。なのに彼ときたら、少しの警戒感も持たずに僕の家へとやってきて惨殺されてしまったんだ。『自分が殺されることがあるかもしれない』て想像すらできなかったんだろうね。ま、犯罪すらない社会だからね」
「・・・・・・」
「ねえロウ。君は何故地球上で人類だけが文明をもち、万物の霊長とまで言われる生物に成れたのだと思う?」
「頭がよかったから」
 とっさに答えた。ひねりのない回答だった。
「ひねりがないね。じゃあ聞くけど、頭が良いってのはどういうことなのかな」
「・・・・・・」
「僕はね、人類を進歩させたものとは、想像力だと思うんだ。昔々森の中にいた一匹のサルが、ある日こんなことを考えたとする。『この森の外には、何があるのだろうか?』サルはそこで初めて『森の外』を想像し始める。そしていつの日か『森を出る』これがきっと、人類の進化の始まりだったのだと思う」
「・・・・・・」
「そして想像力を養うもの、そのために必要なのが物語なんだ。神話は世界最古の物語だ。あれは、世界の仕組みを想像した古代の人々が作ったものだけど、同時に世界への想像力を刺激するものでもあったのだと思う。その多くは現代の科学の観点からみれば誤りが多いけれど、『誤っている』と僕らが判断できる根拠となる科学は、何故発達したのか? 『世界の仕組みを解き明かしたい』という好奇心は、神話によって育まれたものさ」
「だからと言って」
 私は、反論の言葉を思いついた。
「想像力を養わない、ただ人を反倫理的行動に走らせるしかない創作物だってあり得るじゃないか。確かに殺人を描いた創作物は、殺人という事態を想像させる手助けはしてくれるかもしれない。だが、例えば殺人を賛美した創作物には、存在価値なんてないじゃないか?」
「いや、反倫理的行動を賛美するような創作物にも、存在価値はちゃんとあるよ」
「どんな価値がある?」
「『加害者の気持ち』を想像できるという価値さ。僕のような人殺しの気持ちを想像できるようになる」
 私は、沈黙した。
「これで、僕の話はおしまいさ。もうすぐ、治安局がやってくる。百年ぶりに起きた殺人事件に、社会は騒然となるだろう。僕は自分の主張を、社会に訴えるつもりだ。聞いてくれる人がいればいいのだが。君とはもしかしたら今夜限りで、永遠の別れとなるかもしれないね」
 私は、突然、彼女に対して聞きたいことを、想像してしまった。
「ケレイ。最後に一つだけ、聞いていいかな?」
「いいよ。なんだい、ロウ」
「何故今夜、私を呼んだ? どうせ世間に対して主張するのならば、君自身が通報すればよかっただけだろう?」
「そうだね。自分でもよく言えないけれど、社会の多数派にどう思われようと、君にだけは僕の主張を納得してほしかった。たとえ君以外の全人類を論破できなくても、君だけは論破したかった。そんなところかな」
 それで、私たちの会話はおしまいとなった。
 
これが、彼女が治安局に逮捕された日に起こった出来事である。
 私は、司法省文化統制局から創作許可をもらわないままに、あの日の出来事をこうして小説という形式で書いてみた。
「書きたい」という、内なる衝動に支配されて、書いたものだ。
 発表するつもりはない。
 私は今でも、「想像力抑制法」の価値を否定することが、出来ないから。あの日、ケレイの言葉に反論できなくなっても、私の本能は、彼女の主張を受け入れることが、未だにできていない。
 きっとそれは、あの日、ケレイに案内された部屋で殺された人間の死体を見た時に感じた、あの形容しがたい感覚と、どこかで共通項がある感情なのかもしれないと、ぼんやりと思う。

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