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帯状疱疹になって思うこと。

日頃病気をしない人間にとって、今回の帯状疱疹はかなりのダメージがあった。

原因としては、疲労やストレスによって免疫が落ちて発症したと思われる。

疲労やストレスと言っても、数値化できないので、どちらが原因なのかわからない。

疲労はシンプルに『休む空間が存在しない』そんなことが積み重なったのと、ハードワークの回数の増加だろう。

ストレスはそんなにないと思いたいが、『習慣化』したものが蓄積して飽和状態になったのだろう。

この病気の原因は誰が?何が?悪いのか?

どうしても誰か何かのせいにしたくなる。

結論はいつなんどきもおなじだ。『誰も悪くない』

帯状疱疹のように、ダメージが『見える化』することで自分も周りも慌てる。

『私なら、あなたなら大丈夫だろう』というなんの根拠もないイメージ像が脆くも崩れさる。

いつも平常を装って、淡々と日々を過ごしていても、年度末になると何かしら体調を崩す。

普通の人間であることを実感し、自分一人の身体ではないことに気づく。

毎年その繰り返しである。

ただ、家族をもつことで私に対する『期待値』みたいなものは上がってきている。

私が働かなければ、妻が働かなければならない。

現象の生活で、それは厳しそうだ。

免疫力が低下して身体に異変が生じるのは『この時期』と決まっているのだから4つの点に気をつけよう。

・休日は充分な睡眠をとる。
・トレーニングの増加率を大幅に上げない。
・当たり前だが、バランスのとれた食生活。
・身体の異変に対して、早急な対応。

これがなかなかできない。

なぜ気づけないのだろう。

『やるべきこと』があまりにも膨大であるのにプラスして、『やりたいこと』も多すぎるからだ。

『これ以上やったら倒れるぞ。』

そんな装置も麻痺している。

『脳をごまかす』ことを常としている生活では、たやすい御用だ。

本当に休みたい。言いたい。やりたい。それらを押し殺すことで、自分に都合の良い選択を安易にできてしまう。

昔であれば、戦うということもできた。

今は違う。周りのために自分が犠牲になればいい。この考え方が叩き込まれている。

結局は誰かが犠牲になる。それならば、ダメージが少ない、抵抗力が高い、私がやればいいじゃないか。

こんな投げやりな態度ではいけないのだが、

どうにでもなれ〜

というスタンで生きていないと、生きづらくてしょうがない。

自分の思い通りになることが少なすぎて、その場を牛耳る人物の思いのなすままに、身を任せて生活している。

そんな生活から一時でも離れて、『山に逃げる』

山に逃げることで、心地よい疲労感を感じて、様々なしがらみから開放される。

逃げる時間が増えれば、増えるほど、身体への負荷は増していく。

バランスって難しすぎる。


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