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すしとあの人・153 「古谷三敏」

「ダメおやじ」。知っていますか、この凄まじい漫画。チビでハゲで、しかもひ弱な、文字どおりのダメな親父。それに引きかえ、その奥さんが強くて、そのイジメのすごいこと! 当時、小学生だった私なんかは「そこまでやるか?」といいながらも、その壮絶なイジメっぷりが出てこないと、なんか消化不良に落ち込んでしまうのでした。
ロングヘアーにギター鳴らして新宿でフォークソングを歌ったり、政治批判をしてる連中が内ゲバやったり、貧しくても生活苦なんか丸きり考えずにいたり…。1970年代ってそんな時代でした。日本中が狂いまくっていた時代に、「ダメおやじ」は連載が始まりました。先輩である、というか相棒であるといった方がいいのか、とにかく赤塚不二夫の助言で、「いびるなら徹底的に!」ということばに励まされて、とにかくイジメの凄絶さは珠玉のすぐれものでありました。
 
古谷三敏は昭和11年(1938)生まれ。あの前畑秀子がベルリンオリンピックで「マエハタ、ガンバレ!」と豪語された、その年です。場所は満州の奉天でした。なんでも家族が満州へ渡って「三年目」にできた子だから「三敏」だったとか。
父親は奉天の千日仲見世通りですし割烹店を営む、すし職人でした。けっこうな名店で、その頃活躍していた双葉山関や女優の田中絹代なんかも、満州に来た折には訪れていたそうです。反面、ギャンブル好き。自分の店に「一点張り」という名をつけたくらいでした。父親にすれば「息子もすし職人に」という気持ちもあったようですが、息子は魚をおろすのが苦手。のちには自分で料理して惣菜くらいは作るようにはなったのですが、どうにも魚はおろせない。父がウナギをさばくのを見て、気持ち悪くなってしまったのです。
 
話は戻って、父親のことです。ギャンブル好きが高じて博打好きになる。それがもととなって警察に摘発され、1週間、勾留されてしまいました。その間はすし屋の営業ができませんから、仕入れてあったすしダネがすべて腐ってしまいます。それを機に父親は満州のすし屋を引き払い、最終的には河北省の病院の炊事係になりました。
戦後は日本に引き揚げてきましたが、米がなくてすし職人では食べてゆけません。しょうがなくなって、酒を作り始めました。いわゆる密造酒です。「『絶対、飲んだらダメだぞ!』といわれていたのに、飲んじゃった。熟成途中だから度数は2~3%だと思いますけど。その後も隠れてちょこちょこ飲んでましたけど」。
それ以来、古谷は、無類の酒好きとなるわけです。

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