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すしとあの人・152 「前畑秀子」

戦前の水泳選手、と書くと安っぽくなりますが、「前畑ガンバレ」の前畑といえばわかる人も多いでしょう。
昭和7年(1932)、18歳で初出場したロサンゼルスオリンピックの女子200m平泳ぎで銀メダル。続く昭和11年(1936)、ベルリンオリンピックに出場し、200m平泳ぎで金メダルを取りました。当時のオリンピックは国の威信を懸けた戦いの場であり、かなりのプレッシャーの中、泳ぎ切ったことでしょう。その時の日本の実況アナウンサー・河西三省がいったことばが「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ!」でした。
 
前畑秀子は和歌山県橋本町(現・橋本市)の出身です。小さい頃は体が弱く、両親は目前の紀ノ川へ連れてゆき、一緒に泳いでおりました。これが彼女と水泳の出会いです。小学校4年の時、通っていた学校に水泳部ができます。しかしプールなどなく、紀の川に天然プールを作ってもらい、先生たちも大阪まで専門の水泳技法を習ってきたのです。
中でも秀子は平泳ぎに興味を持ち、以後の活躍は、みなさん、周知の通りです。
 
とにかく橋本市では大人気で、「前畑秀子・古川勝記念橋本市水泳選手権大会」というものまで作られています(あ、この古川勝さんもこの町出身の水泳選手ですよ。ただし、戦後の人ですが)。一部には、朝のテレビ小説ドラマで前畑秀子の生涯を描いてほしいと、誘致運動もあるそうです。関東で活躍中の橋本市出身者が組織する「東京橋本会」でも、その決起集会が開かれました。なお、その時の土産品のひとつが、郷土の味・柿の葉ずしだったそうです。紀ノ川沿いの柿の葉ずしは奈良のものとは違い、葉っぱを開けるとシイタケやカマボコ、小魚の佃煮などが現れます。
 
また、前畑秀子はいいます。「今も母がつくつてくれた『サバずし』の味を忘れることができません。母は当時の2銭銅貨を竹筒に貯めておき、お祭りになると、その竹筒を割って『サバずし』を作ってくれました」。
橋本町はやや内陸部で、「サバなんか手に入るものか」と思う人もあるでしょうが、昔は塩サバは全国の山あい地方を駆け回りました。しかも和歌山は、サバの発酵ずしの産地です。かなりの山中でも、秋祭りの頃には、サバのすしを発酵させたものです。
晩年は岐阜市に住んだ彼女。懐かしいサバの発酵ずしの香りは、嗅げたのでしょうか。

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