見出し画像

1月5日朝の高慢と偏見


https://twitter.com/koike_akira/status/1081170480084574209


自民党の議員同士でどんな会話してるか想像がつく。。。
「こんな人たちに負けるわけにはいかないのです!」

ほんとに無教養・無思慮だが、金と権力にだけは人一倍目がないオッサンたちに日本は牛耳られてる。そういう人間たちにぼくらは苦しめられてる。

昨日、(詩の関係で)相互フォローの若い女性だと思われる人が太田弁護士を批判しているらしきツイートを見て引っかかってる。はっきり意味が取れなかったのでぼくの誤解だと思いたいが。

商業的に成功している若い「詩人」の詩は結局のところ「生活詩」ではないかと思っている。そこには、表現においても精神においても、自分と世界に対する「批評性」がないように思える。個人的な関係性だけに賭けているように思える。しかし、それが「戦後詩」以後の現代詩の主流なのかもしれません。

ろくすっぽ讀んでもいないのにこんなことを言うのは偏見にすぎないか。しかし、それがぼくの印象です。むしろ、そういうものが詩としては多くの人に受け入れられ「詩壇」からも歓迎される。批評性=知性的な「匂い」は嫌われるのだとすればまさしく今の日本の空気をそのまま写し取っていることになる。

やはり「詩」が時代を反映している。吉本隆明も「戦後詩史論」のどこかで詩にカッコをつけて語っていたような気がする。。。

これは唐突かもしれないが、70年代以降、漫画文化を「上から目線」で受けいれた日本の知識人が逆に「下」から侵食されて無残にも食い殺されつつあるのが今の日本の知的状況のようにも思われる。一種の貴族主義というか高踏主義は本質的に弱い立場にいる「知識人」自身の身を護る面もあったはずだが。

「大衆性」に媚びて滅びる。。。詩にもそういう面はあるはずだと思っている。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?