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ヘーゲル"哲学史講義” A.プラトンの哲学  ”秘教的プラトン、秘教的アリストテレスに対してヘーゲルは異議を唱える”

(プラトン哲学を把握する際の)べつの困難をいう人がいて、
かれらによると顕教的な哲学と密教的な哲学があるという。
テンネマンはいいます。
「プラトンはどんな思想家にもゆるされる権利を行使して、
自分の発見のうち、
つたえるにふさわしいと思えるものだけを、
信頼できる人だけにつたえた。
アリストテレスにもまた密教的哲学と顕教的哲学の区別があるが、
アリストテレスでは区別は形式的なものにとどまるのにたいして、
プラトンでは同時に内容にまでおよんでいる。」

なんと単純な考えでしょう。
哲学者は自分の思想を外的な物のように所有しているといわんばかりです。
が、
思想とはそんなものではまったくない。
哲学理念の方がむしろ人間を所有するのです。

哲学者が哲学的対象を説明するとき、
対象は理念にしたがって秩序だてられねばならず、
対象をポケットにしまっておくことなどできるわけがない。

何人かの人と口頭で話をする場合でも、
話題に内容がともなっていさえすれば、
ことばにはつねに理念がふくまれるのです。

外的な事物をひきわたしたりするのは簡単だが、
理念の伝達にはそれなりの技量が要求されます。

理念にはつねに密教的なものがつきまとって、
哲学者の顕教的な発言だけでは十分ではない、
 ー そう考えるのは皮相な見解です。

(長谷川宏訳 ヘーゲル”哲学史講義・中” 河出書房新社 1994年2月20日再版)

2013-03-28

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