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名馬紹介 テンポイント その2

(2) 奇跡の出生
テンポイントの祖母クモワカ(1948年生)は現役時代に11勝をあげ、桜花賞でも2着と立派な成績をあげました。ところが1952年に伝染病と診断され、殺処分の命令が下されました。
しかし、関係者はクモワカの陰性を信じて当初は学術研究馬として、その後は北海道の牧場に隔離して、殺処分から免れ続けました。そして長年の関係者の努力が実り1963年に陰性が確定し、同年9月に彼女の繁殖牝馬登録と、彼女の仔の競走馬登録が認められるに至りました。

その1963年3月に生まれたのが、テンポイントの母親ワカクモです。彼女の競走馬としてのクライマックスは、母クモワカが2着に敗れた桜花賞での勝利です。彼女は6歳まで現役を続け、母と同じ11勝をあげて引退しました。その二番仔がテンポイントです。

クモワカの陰性を信じ続け、彼女を隔離して殺処分から逃れ続けた関係者の努力が無ければ、テンポイントはこの世に生まれていません。そして陰性の確定が遅れたらワカクモの桜花賞制覇もなく、テンポイントの誕生はなかったかもしれません。
奇跡が重なって生が与えられ、たくさんの感動を与えてくれたのがテンポイントです。

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