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名馬紹介 テンポイント その8

(8) テンポイントの影響
テンポイントの存在は、現在の競馬界に繋がる幾つかの改革に、大きな影響を及ぼしています。

最初に、前述の通り当時の競馬界は東高西低でした。テンポイントが皐月賞、ダービーに敗れた後、彼を預かる小川調教師が「関東の競馬場のゴール前には関西にはない(上り)坂がある。関西に坂路のトレーニング施設を造らないと関東には敵わない」と訴えました。それをきっかけに関西の厩舎が集まる栗東のトレーニングセンターに、坂路が1985年に整備されました。その後1990年代から今に至るまで、競馬界は西高東低が続いています。

ハンデの付け方にも、テンポイントは大きな影響を及ぼしました。66.5kgを背負った彼が骨折したことから、それ以降は過度に重い斤量を課せられなくなりました。

加えて、超一流馬たちが目標となるビッグレースに向けて、適度な斤量で出走できるレース体系を整える発端にもなったと思います。

また、海外馬との距離を測り、将来互角に戦うための環境を作ろうと、ジャパンカップが創設されたのも、テンポイントの果たせなかった夢の実現に向けた施策です。

軽いところでは、今では当たり前になったパドックに掲げられる馬名が書かれた横断幕も、テンポイントのファンが最初だったと言われています。

最後に、テンポイントがファンや馬主の願いによって当時の医学では成功率の低い手術を受け、長く苦しい闘病生活の末に安楽死となったことを受け、動物の安楽死に関する議論を巻き起こしました。ただし、テンポイントの手術や闘病生活が、その後の医学の発展に大きな貢献をし、数多くの後輩の命を救っています。

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