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名馬紹介 トウショウボーイ(2)

【名馬紹介 トウショウボーイ(2)】
4.4歳上半期(休養明け)
年が明け、ライバルのテンポイントが順調に勝利を重ね、春天を制するのを横目に、トウショウボーイは体調が整わず休養となりました。復帰戦は2度目のTTG対決となった宝塚記念です。
圧倒的なスピードを誇る彼は先頭に立つと、そのまま後続馬を抑えて悠々と1着でゴールしました。直線で充実一途のテンポイントとの差が全く縮まらず、トウショウボーイの強さを再確認することになったレースです。レース後に、テンポイントの鹿戸騎手が「相手をトウショウボーイだけに絞れなかったのが敗因」と語っており、伝説の有馬記念の布石となったレースでもあります。
3週間後には高松宮記念(当時は2000m)に出走しました。彼が苦手とする道悪馬場でしたが、今回はものともせず圧勝しました。4歳の上半期は長期休養をするも、結局は2戦2勝と完璧な戦績でした。

5.4歳下半期(伝説の有馬記念まで)
秋の初戦はオープン競走を選び、斤量減になる若手騎手を乗せて、事実上タイムトライアルに挑戦しました。結果は見事に日本レコードで走破しました。
次は秋天(当時は3200m)です。トウショウボーイのもう一つの特徴は「負けん気の強さ」です。秋天では負けん気が悪い方向に働きました。道中でグリーングラスと競り合い、ヒートアップしてハイペースで走り、最後にバテて生涯唯一の大敗を喫しました。
レース後には年内の引退が発表され、有馬記念がラストランに決まりました。いわゆる伝説の有馬記念であり、TTGの3度目で、最後の戦いになります。
レース前日まで、どの馬が逃げるのか、TTGはどのポジションをとるのかが話題になりました。しかしゲートが開くと、誰もトウショウボーイとテンポイントのスピードに付いていけません。
トウショウボーイがハナを切り、テンポイントが2番手で追走するのは、半年前の宝塚記念と同じ展開です。しかし今回違ったのは、宝塚記念の展開を反省したテンポイントが、内から外からプレッシャーをかけ続けたことです。
また、秋天の反省も生かされ、道中一度ペースが上がるも、両馬は阿吽の呼吸でペースを落としました。このように過去のレースを布石にしながら、レースを進めます。
4コーナー付近から、両雄はラストファイトを楽しむように暫く馬体を合わせて走り、ゴールが近付くとテンポイントが少し前に出てゴールしました。
グリーングラスは宝塚記念に続き3着でしたが、4着以降は大きく離されており、TTGの強さが際立った結果となりました。
このレースは伝説の有馬記念と呼ばれます。50年競馬を観てきましたが、ここまで2頭がスタートからゴールまで他馬を完全に無視したマッチレースをし、最後も1、2着でゴールしたのは、後にも先にもこの一戦しか記憶がありません。しかも、舞台は国内最高峰の有馬記念、他の出走メンバーも超一流馬という中で行われたことに、今でも驚きます。

6.そのほかの特筆すべきこと
私はトウショウボーイ(或いはTTG)の出現が、近代日本競馬の幕開けだと思っています。そんな彼の特徴を下記します。

(1)距離不問の驚異の能力
彼は1600m (1977年オープン)、2000m (1976年神戸新聞杯)、2500m (1976年有馬記念)で、当時の日本レコードを記録しました。また1977年の宝塚記念(2200m)の後半1000mの57.6秒の走破タイムは、当時の1000mの日本レコードを上回っていました。1600mから(或いは1000mから)2500mまでの様々な距離で、日本レコードを記録したのは驚異的です。

(2)未来から来た天馬
その中でも1976年の神戸新聞杯(2000m)でマークした1分58.9秒は、当時一流馬でも2000m走破には2分以上かかっていたことを考えると異次元の記録です。テレビ実況も「恐ろしい記録です」と述べています。また、翌1977年にはマイルで1分33.6秒という衝撃的なタイムを叩き出しました。彼は本当に未来から時空を超えてやってきた天馬かもしれません。

(3)種牡馬としても成功
トウショウボーイは種牡馬としても成功しています。ミスターシービーだけではなく、複数の産駒がG1勝ちしています。ただし当時は日本産種牡馬の人気は低く、彼も農協組合所属馬として中小牧場の牝馬の相手が多かったです。しかし彼の仔は安定して好成績だった上に種付け料が安かったので、馬産地では「お助けボーイ」と呼ばれ、多くの中小牧場を倒産から救いました。より良質な牝馬を相手にできていれば、歴史的名馬を生み出していたと思います。


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