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道の、真っ只中にいるのだ、わたしたちは。

「何にせよクセというものは染みついたもので、
それを取り除くには訓練しかない。」

かつては当たり前に聞いていたこの言葉にも
無意識の刷り込みがいくつもあった。

たとえば、
・クセとは悪いものである
・クセとは取り除かなくてはならないものである
・取り除くのは容易なことではない
・訓練とは険しいものである
・失敗は非難されるべきものである
・ニュートラルである“べき”である
とかかしら。

でもさ、
別に悪いことじゃないんだよね、クセも。
あるってわかりさえすればさ、
そこを選ばない、って選択肢も持ってたらもっといいよね、
っていう程度のこと。

選ばないって手段を取れるようになるためには、
うん、練習(最近私は訓練の代わりにこの言葉を使う)が必要な時もあるかも。
うん。練習なんだからいっぱい失敗すればいいじゃん。

ずいぶん前に、
「私の感性はわたしのもの」って気づけた。

そこから世界が輝きはじめて、たくさんのギフトをもらった。
あんなにも苦しいと思っていた世界は、
こんなにも愛しいものだと気づいた。

でもまだいっぱいクセは残ってる。
たとえば最近苦労しているのは、
やっぱりつい人と自分を比べてしまうこと。

劣等感にそれはそれはどんよりして、
あるいはくだらない優越感を抱いてしまって、
それに気づいて自己嫌悪して、、、。

で。前だったらさ、そこで
「せっかく気づけたのになんでそんなこと繰り返しちゃうんだ、
人と自分を比べたってどうしようもないんだ、
私は私なのに!なんて私はばかなんだ!なんて無能なんだ!」
って自分を責めちゃってた。

人と自分を比べてしまうクセ。
自分を責めるクセ。

まぁ、練習が必要ですよ、そらさん。
だってあなた、ずぅっとそうやって自分を奮い立たせてきたんですもん、
より良くなろうとして。大切なものを守るための手段を手に入れようとして。
弱きものに寄り添いたいからこそ強くなろうとして。
そうねぇ、小学校4年生くらいからですかね、ずぅっと。

ずっとそうやってきたんですから。
苦しかったよねぇ、頑張ってきたと思いますよ、
もう、それはそれは充分に。

そんな必要はないんだって気づけて、ずいぶん楽になりましたね。
お疲れさま。
でもまぁ、なかなかそのクセはすぐにはなくなりませんよね、
だってもう、そういうクセですからね(笑)

そのクセが悪だ、ということじゃないんですよね、
だってそうやって歩いてきた道の先に今のあなたがあって、
いま、あなたは自分を抱きしめようとしてるんですから。

なくてもいいよね、ってことに気づけたんだから、
あとはまぁ、練習しましょ。
失敗はね、何度だってしていいんです。
というか、失敗しますよ、それが当然です。

てへ、また失敗しちゃったね〜
また劣等感持っちゃったσ)>ω<*)
そういって舌べろでも出しときましょう。

劣等感を持っちゃうあなたも、あなたで、
優越感を抱いちゃうのも、あなた。
どうであれ、あなたの感性はあなたのものなんですから。

人間なんて、そうそうまっさらなクリーンな聖人でいられるものですか。
自分の嫌いな部分もひっくるめて、あなたなんです。
自分、って思うとイヤですかね、
じゃぁちょっと引いて考えてみましょうか。
誰か、人間。

ね?
それが人間ってものじゃないですか、
それこそが愛しいじゃないですか。

私はわたし。
あの人はあのひと。

どっちの人生にも、拍手👏

こないだ大切な友人と話して、
彼女の言葉があまりに的を射ていて、
思わず大笑いして、大泣きした。

「私たちはさ、上の人から否定ばっかりされてきて、
今は肯定して育てろって言われてさ、
でも相変わらず上の人は私たちを否定しかしないんだよ、
ひどいじゃんそんなの」

ひとつの会社に長く勤めてきて、
責任ある立場になって、
でもいわゆる管理職の中ではまだ末端ではある、彼女のポジション。

すっかり疲れちゃった。と彼女は言う。

かつて私はそういう場所に身を置いたとして、
「闘おう!」と息巻いていた。
「逃げるもんか!」

でももう知ってる。
私たちはちゃんとがんばってきた。

休んだっていい。環境を変えたっていい。

なるほどなぁ。

しあわせは、歩いてこない。だから歩いて行くんだよ。
一日一歩、三日で三歩。三歩進んで二歩下がる。

この歌に涙するときが来るなんて、思いもしなかったなぁ。

道の、真っ只中にいるのだ、わたしたちは。
ーーーーーーーーーーーーーー
facebookで過去の投稿でこのポストが現れて
何の気なしに読み返して、
また泣いた。

私は今もやっぱり、この練習を毎日、
それはそれは毎日、繰り返している。

そうやって繰り返しながら、
私はこの文章の2年後に一つ映画を作り、
そのさらに2年後の今、2作目の監督作の撮影を終えたところだった。
びっくり。

ちょっとだけ話を更に巻き戻す。
「私の感性はわたしのもの」
そう気づく前の、自分のこと。

このポストを書いた時から更に2年ほど前だったろうか。
「闘おう!」「逃げるもんか!」そう息巻いていても
“べきお化け”に自分の感性を握らせてしまっていた当時の私は、
“べき”という鎖に雁字搦めで
自分の可能性をちっとも信じていなかった。

彼女がいう“否定する上の人”の一番強大な存在が
自分自身だったのだ。

雁字搦めの鎖に息が出来なくなり
藻搔いて足掻いてボロボロに痛めつけられて、
パニック症のような状態になって、
白旗を上げた。

逃げたのだ。自分を否定する場から。

そして練習を始めた。
まずは《否定しない》練習を。
あれは正直、殆ど“諦め”に近い状態だった。

そしたら、
あんなに息巻いてた時がてんで可笑しくなるくらい
どんどん世界が広がっていった。

やがて《否定しない》練習が、
《自分の“好き”に耳を澄ます》練習に変わっていった。

そしたら
気がついたら色んな挑戦をしていた。
しかもこれは本当に不思議な感覚なのだけど、
私が挑戦するというよりは
挑戦の方が私をめがけてやってくるのだった。

びっくり。
世界ってめちゃくちゃ面白いところだった。

そう書くと順風満帆っぽい感じだけど
実際には全然順風満帆じゃなくて
むしろだいぶ見切り発車の綱渡り(^◇^;)

でもそれで転げ落ちたらそれは自分の責任。
そう手綱を握っていられるギリギリを攻めて、
私はこの愛しい世界に投げキッスを投げ続けたいと思う。

先日、ふと思い立って綴ったこんな思い出に

万単位の反響がありました。初めての万バズであります。

その反響の中に、
「映画化/ドラマ化/漫画化してほしい」というコメントがいくつかあって
それなら自分で映像化したいなと思った。

で。
3日後には脚本を書き起こし、
昨日、撮影してきました。

運転免許取得のための貯金を投入して、
私、今すっからかんです(^◇^;)

でも、このエピソードを映像化できたら
それを名刺にしてやりたいことがあるのです。

かつての私や、大切な友人のような
一生懸命生きている誰かに
そっとエールを送れるような何かに、
この作品たちはなれると思うのです。

私の貯金はもうすっかり底をついてしまうので、
どうか応援してもらえたら嬉しいです。

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そしてこの後告知整えますフリークラファンへのご支援、
ぜひぜひご検討お願いいたします。

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