君と僕の二週間 22

 (終わった・・・)
 和也はどこへ向かっているのかわからないままふらふらと足を進めた。
 もう、傍らに小さい姿はない。
 (終わったんだ。)
 昼間の商店街の真ん中なので人の往来は多かった。
 すれ違う人々が全員不審な目で見ていく。
 それで初めて自分が泣いていることに気づいた。
 それでも涙を流したまま歩き続けた。
 失ったものの大きさを噛み締めた。
 あれは夢だったのだ。
 幸せすぎる夢。
 ずっとは続かない。
 もう目覚めてしまったのだ。
 一人で生きていこうと決めた。
 一人で生きていけると思っていた。
 でもあのぬくもりを知ってしまったら耐えられない。
 一人はさびしい。
 さびしすぎる。
 (千夏・・・千夏・・・)

 桜のつぼみもふくらみ始め、昼間はそろそろ上着を着なくても外を歩ける陽気が続いている春のうららかな日。
 公園でよちよちと両手でバランスを取りながら歩く赤ん坊の姿。
 ボールを追いかけているが、拾おうと近づいた瞬間自分の足で蹴ってしまい、ボールは無常にも遠ざかる。
 それを不思議そうな顔をしながらも再び追いかける赤ん坊。
 何をしでかすかわからない、いつ転ぶかわからない年齢のその子のあとをぴったりとついて回る母親。
 やっとボールを拾い上げ喜ぶ赤ん坊に母親も笑顔になる。
 赤ん坊は再びボールを投げる。
 よたよたと追いかける。
 ボールは何かに当たって止まる。
 ベンチに一人のスーツ姿の男が座っていて、その男の足に当たったのだ。男は書類の束を抱えていてそれを見るのに夢中になっており、ボールがぶつかって初めて二人の存在に気づいたようだった。
 「すみません。」
 母親がすぐに謝る。
 「いえ。」
 男は立ち上がり足元のボールを拾い上げ、警戒して近づこうとしない赤ん坊に差し出す。
 「どうぞ。」
 赤ん坊は固まる。
 母親の後ろに回り、スカートの裾につかまって男を覗き込む。
 「和哉、ありがとうは?」
 母親が受け取るように促すが、赤ん坊は頑として動かない。
 「申し訳ありません。」
 母親が受け取ろうと手を出した。
 「あ・・・」
 そのとき初めて男の顔を確認した母親は思わず声を上げた。
 スポーツ刈りに眼鏡をかけた男はあのときとすっかり容貌が変わっていたが、母親はすぐに気づいた。
 「あなたは・・・」
 男はにっこりと笑い、ゆっくり首を振った。
 母親はとまどいながらもボールを受け取る。
 そのとき機械音が響き渡る。男は胸ポケットからスマホを取り出して耳に当てる。
 「はい。すぐ近くまで来ています。・・・はい。約束どおり三時に。はい。では失礼します。」
 電話を終えた男は先ほどまで広げていた紙の束を鞄にしまう。
 母親のほうに向き直り、深々と頭を下げたあと、公園の出口に向かう。
 母親は声を掛けたい衝動を押さえながらその背中を見送る。
 「ただいま!お母さん。」
 背後から突然声を掛けられて母親はびくりとする。
 「和哉―ただいま。」
 ランドセルを背負った女の子が手慣れた様子で赤ん坊を抱き上げる。
 赤ん坊は笑顔でその腕の中に納まる。
 「おかえりなさい。」
 母親も笑顔で迎える。
 「本当はいけないんだけど、二人を見かけたから寄り道しちゃった。」
 「今、あの・・・」
 「え?」
 母親がどもるのを見て女の子は不思議そうな顔をする。
 「いいえ、今日はクッキーを焼いたから早く帰ろう。」
 「やった!おなかすいたー」
 女の子は赤ん坊を下ろし、三人で並んで歩き始める。母親と女の子の間に赤ん坊を挟んで手を繋ぐ。
 ときどき二人に繋いだ両手を持ち上げられて空中に浮いた赤ん坊が大喜びをする。
 その背中を、姿を隠しながら微動だにせず見送る人影があった。
 男は、三人が見えなくなるまで見送ったあと大きく息を吐き、迷いのない足取りで歩き始めた。
 偶然出会った過去に別れを告げて。

ー完ー

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