街の七不思議

 トイレの花子さんや、夜になると歌い出す音楽室のベートーヴェンの肖像画など、よく聞く学校の七不思議はゴマンと存在するが、その辺の街中にも七不思議はあるんじゃないか、と最近思い始めてきた。
 電柱やトンネルの摩訶不思議な落書きはその典型例だ。言語も、描かれた意図も、その芸術的価値も不明のまま、忽然と現れては、人々は「触らぬ神理論」を発動させつつ、穏やかに通り過ぎていく。これこそ、七不思議に相応しい代物ではなかろうか。実体の分からない物には、人々は恐怖を抱く。もしかすると、その怪しげな落書きも、くすんだ現世に啓示を与える神からの産物かもしれない。だとすれば、今我々が発動させている「触らぬ神理論」は大いに効果を発揮させていることになるが、単にマイルドヤンキーが憂さ晴らしに残したお荷物だったとしたらどうだろう。貴い「触らぬ神理論」が「なます冷まし理論」へと変容する事となる。とにかく、「分からない」は「恐ろしい」のである。
 じゃあ、その落書きがバンクシーの絵画だったら。人々は通り過ぎる事は無く、立ち止まって有難く鑑賞するだろう。バンクシーの価値を知っているからこそ、単なる落書きも目に留まってしまう。「分かる」は「有難い」のである。
 ただ、必ずしも万人に「分かる=有難い」が通用する訳ではなかろう。どこかのニュースで見聞きした話だが、海外の地下鉄の車内に突然、バンクシーが描いたと思しき絵が残されていたという。勿論、人々は有難がってそいつを鑑賞したが、たちまち駅員に掃除され、跡形もなく消えてしまったという。「分かる」からこそ、邪険に思う人々も発生するのだろう。これほど価値のあるバンクシーの絵が一瞬にして消えてしまうにも関わらず、どこの馬の骨かも分からないような落書きが何年も街に放置されているというのは、どうにも不憫な話だ。
                  <2023年、12月4日、たぶん晴れ>
 

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