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【デブサミ2020】セッションレポート:14-A-1 チーム・ジャーニー 〜逆境を越える変化に強いチームをつくりあげるまで〜

ともにつくる

今回のデブサミのテーマは「ともにつくる」だ。

そのテーマを聞いたとき、私はある書籍のことを思い出した。昨年発売された「正しいものを正しくつくる」だ。

「これが正解だ!」という方法論を提示するのではなく、正しさを探求しながら開発するための心構え、視座を獲得するための問いを投げかけるこの書籍は、その最終章で「ともにつくる」というタイトルを掲げている。

そしてデブサミ会場でも先行販売されている「チーム・ジャーニー」、その名前が示すようにまさに「ともにつくる」あり方を描いた一冊だ。

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そんな、今回のデブサミのテーマを象徴するような書籍を執筆してきた市谷さんの講演は充実したセッション群の中におけるひとつのハイライトといえるだろう。

イントロダクション

講演:市谷聡啓さん

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・最初に市谷さんがデブサミで話したのは、なんと2010年
・ここ最近はDX支援が増えてきた
・「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」を執筆
 ・会場の多くの人が、どちらかは持っている
・あたらしく「チーム・ジャーニー」を執筆
 ・出たばかりなのでさすがに持ってない人が多い

プロダクトづくりの難関

不確実性との戦い

・不確実性があることを前提として、どう取り組むか
・「これさえやっておけばいい」というところにはたどり着いていないし、たぶんそうはならない

組織変革における不確実性

傾き:変化に求められる変化量が急峻すぎるのではないか
目指すこと自体はよいが、理想的な結果を求める期間が短すぎる

重力、モメンタム

これまでの慣習などからなかなか抜け出せない

ここから生み出されてしまうのが「分断」だ。「分断」が2項対立世界をつくる。

「段階」の概念を取り入れる

変化の勾配を滑らかにする

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どういう時間軸でどう変化していくかを設計する
たとえば、まずは見える化する
つぎに、周囲を巻き込む
仮説検証を持ち込んでゆく
これはカイゼン・ジャーニーでとった段階の戦略

二項対立が招いた「全体性の欠如」

アジャイル開発の難しさ

少しずつ繰り返しながら作っていく
この粒度で全てを表現するのは無理がある
自分たちの意思がどこに向かっているかを形づくることが難しい

われわれはどこへ向かいたいのか?

タイムボックスを積み重ねた先にどこへ向かいたいのかが見えづらくなる
そこで「段階の設計」という作戦をとる

アジャイル開発を進めているときに、チーム内部の実感としては「よいチーム」に育っていると感じているが周囲の期待からは離れていっていることがある。まさに、このどこに向かいたいかが不明瞭になるため起こっていることなのだろう。

段階の設計

到達したい地点を見立て、そこにたどり着くために必要な状態を構想する

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到達点を目指す
行動した結果からわかったことを学びとする
段階=ジャーニー。リズムを作るためのスプリントと異なり、長さは可変

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いにしえの現場がいきなりアジャイルに、というのは無理筋
現状の文脈から分断した環境を作る
そこでチームを作る
その後、いにしえの現場を変えていく

不確実性と向き合う作戦

10年、様々な現場を見てきた。チームが成長していく段階は丁寧に設計しなければいけないと実感している
「意思のある変化」

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「10年かかって作り上げたものを3ヶ月で変えようとするのは勇気なのか?無謀なのか?」という問いが刺さった。ツェペリ男爵なら「それは勇気とは呼べんなぁ、ジョジョ」と喝破しそうだ。

リーン・ジャーニー・スタイル

・セットベースで選択肢を広げ、ポイントベースでアウトプットを結実させる
・選択肢を広げるために多様性を利用する
・段階の設計によって、経験による学びを踏まえた当事者の意思決定を着実に形にしていく
・変化の適応性を確保するために、ミッション、フォーメーション、チームイズムを動的に選択する

あるジャーニーで選択したことを、次のジャーニーではそれを否定することもある。これはよくわかる。大切だし、難しい。
「一貫性」というものへの幻想があり、状況に応じて変化する際に「フラフラしていて芯がない」と不信感を募らせる人もいるからだ。
ここの適応性を高めるための対話と、メンバーたち自身が多様性や変化を受け入れられるような成長の設計も重要だと感じた。

「リーン」といっているのは、その中核である「セットベース」を重要な概念として取り入れているから

重奏的仮説検証とプロダクトオーナーの民主化

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仮説を外在化することで解釈に対して意見表明できる
プロダクトオーナーの視座をプロダクトの上限にしない戦略

スクラムガイドから逸脱する覚悟をもった「プロダクトオーナーの民主化」、個人的には非常にしっくりくる概念だ。そもそも1人で決めきれるほど人間は情報をもっていないだろう。しかし、その民主化した意見を統合するためのプロセスはどうあるべきなのだろう。

ひとつのキーワードとして「段階」があるのは間違いなく、リーン・ジャーニー・スタイルはひとつの指針とはなりそうだ。

ともに考え、ともにつくる

(市谷さんの中でも)次に向かうべき先は変わってきている
6年前ならあるべき姿として「正しいものを正しくつくる」をあげていただろう
学びを中心とした「ともにつくる」あり方を目指したい
お互いの関係性に意味を見つける「われわれはなぜここにいるのか?」

「われわれ」というのが大切で、「私」ではなく「われわれ」で考えるために“自分のナラティブを傍に置く(「他者と働く」より)”。この考え方は、チームでの協働が重要視される現代において非常に重要だ。

チームは重要だが、チームという境界線を内側と外側で分けてしまうと自家中毒を起こしてしまうだろう。そうならないためには、チームで結束しながらも“ナラティブを傍に置く”考え方を持つのがよさそうだ。

「あなたは何をする人なのですか」は自分の再定義
ジャーニーごとに変わるはず
いつもいつも、このタフクエスチョンに答えられるわけではない
だからこそ「チーム」がある

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一人では何者にもなれないが、ともにあることで何者かになることができる。だからこそ、「ともに考え、ともにつくる」という力強いメッセージでセッションは幕を閉じた。

エモさと論理の同居

ともにつくろうというメッセージは非常にエモーショナルだ。チーム・ジャーニーも感動的だった。

一方で、チームが機能し変革するのを自然にまかせず、着地点からジャーニーを設計しようという視点は非常にロジカルだ。

「チーム」というとウェットな方向に走りがちだが、この視点はとても重要だと感じた。ロジカルに、丁寧に作り上げたチームだからこそ「ともにつくる」歓びを分かちあえるのではないだろうか。

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