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やっとモーターのコイルがあったまってきたところだぜ

はじめに

この記事は、DevLOVE Advent Calendar 2019 の25日目だ。テーマは「それぞれの10年、これからの10年」。

それぞれの10年、これからの10年

2019年6月に開催されたDevLOVE10周年イベント、DevLOVE X。
ありがたいことに登壇の機会をいただき、そこでは自分がこの10年携わってきた「ソフトウェア開発の現場」におけるこれまで、これからについて話した。

2019年も終わりということで、あらためてふりかえり、そして10年先を見据えてみたい。
なお、ここ10年の活動から得られた外向けの発信については日々、このnoteで行っている。
なので今回はおもいっきり、自分の内側へと潜ってゆく。

2009年 転職

DevLOVE Xでも話したが、10年前は私にとって「転職」という大きなイベントがあった年だ。リーマンショックの後遺症が吹き荒れる日本では採用の門戸が次々と閉じられ、非常に厳しい就活環境だった。研究所の閉鎖に伴い早期退職パッケージが提示された際には「お、ラッキー」くらいに考えていたが、中途採用を見合わせている企業の多いこと多いこと。リーマンショックのすさまじさを肌で感じた。

正直、前職はそれなりに大きな企業だったので「前職看板があれば就職先は簡単に決まるだろう」と高をくくっていた。しかし、自分の身を守るのは大企業に在籍していたという看板ではなく、自分自身のスキルと実績のみだーということを痛感した。

なので、転職してからは意識的にチャレンジをしていった。試用期間中に特許考案の社内審査を通過させたり、新規のシステム開発を担当したり。その中でpostgreSQLやopenmpといったそれまで触れてこなかった技術にも触れていった。必死だったし、新しいことを覚えるのは楽しかった。なにより、エンドユーザーが実際につかうソフトウェアを開発するという体験が新鮮だった。

2013年 マネジメントへのチャレンジ

この年の4月から、はじめてマネジメントを担うことになった。ピープルウェアを読んだり、提携業務をテンプレート化したり、自分なりにいろいろチャレンジした。

しかし「自分のチーム」という意識が強すぎ、最初に自分たちで決めた業務以外が割込みで入ることをあまり歓迎していなかった。その割込みが生み出す価値は何か、と問いかけることもせず「わりこみ」であるから、なるべく排除しようとしてしまっていた。

自分ひとりではできないことをチームで成し遂げる面白さは感じていたが、今ふりかえってみるとずいぶん内向きなマネジメントを行っていた。

メンバーと同じ目線で意思決定し、メンバーたちを守るためにチームの内側の論理で外部と接する。それでメンバーから「いいマネージャーだ」と言われ満足してしまっていた。外部から必要されていることに目を向けずにオレオレ開発をしていては、良いアウトプットは出ない。そして良いアウトプットが出ないと、チームの空気は淀んでいく。内向きのチームを作ってしまい、失敗し、暗闇の中でもがいていた。

この頃は本当に悩んでいて、自分はマネジメントに向いていないのではないかと逡巡していた。そこを抜け出せたのは、何か一つのカンフル剤が効いたというわけではない。

目線をチームの内側から外に向けたこと、チームのメンバーが心地よいことだけやるのではなく、チームがやるべきことをメンバーがやりたくなるように誘導することー。そのような意識をもって行動すると、成果につながる。ひとつひとつ小さな成功を積み重ねることで気持ちが上向きになり、チームも成果を出せるようになっていった。そして成果が出せると、チームの空気はよくなっていくのだ。

2017年 初の社外登壇

この年は大きな転機があった。初めて社外イベントで登壇したのだ。

初登壇が寺田さんとの共演という、なんとも贅沢な船出だった。プレゼンが始まった瞬間に大きく動き始め、聴衆を一気に巻き込んでいった寺田さんの姿が衝撃的で忘れられない。今の自分の登壇スタイルは、寺田ismの影響を多分に受けている。

MSの大田さんと登壇させていただいたTech Summitでは満足度が全セッション中No.8, NSAT189(「大変満足」が89%)という成績を残すことができた。これが大きな自信につながり、翌年以降の積極的な登壇につながっていく。

この頃からだろうか、「与えられたミッションを遂行する」という意識に加え「自らミッションを生み出していく」「社外とつながり幅を広げていく」という意識を持つようになってきた。

2018年 devloveとの出会い、本格的なスクラム導入

この年からマネジメントを担当したチームにはいくつか課題があった。お互いに何をやっているか知らない、目指している方向があっていない、いまいち開発スピードが出ていない・・・などなど。

それまで在籍していたチームで、アジャイル開発自体には取り組んでいた。練度の高いエンジニアの集団で、プラクティスで方向を示さずとも機能的に動くようなチームだった。

しかし、新しいチームについては、プロセスを機能させるために「がっつりスクラム開発をやる」ことがよいと判断した。やることを決めるプランニング、お互いの業務を可視化するデイリースクラムといったプラクティスが、まさに今チームに欠けているピースだったからだ。

「スクラムやるよ」という宣言に対しては、反応は様々だった。「うちはアジャイル開発に向いてないんじゃないですか」「いまのチームに特に不満はないのですが」といった消極的な人々をどう巻き込むか、が課題だった。

そのときに支えとなってくれたのが「カイゼン・ジャーニー」だ。
1月に「スクラムやるよ」と宣言し、準備を進め、2月から開始。
果たしてうまくいくだろうか、という不安を抱えていたときに寄り添い、背中を押してくれたのがこの本だ。

そしてもう一冊。「エンジニアリング組織論への招待」。友人の友人が本を書いたらしい、という話を聞いて軽い気持ちで手に取ってみた本書だったが、カイゼン・ジャーニーと対をなすような重要な一冊だった。

この2冊の本は私の中に軸を作ってくれるとともに、チームへ「なぜアジャイル開発を、スクラムをやりたがっているのか」を説明するためのよいガイドブックとなってくれた。

そして、スクラムを回し始めて数か月。なんと上で紹介した2冊の著者でイベントが開催されるというではないか。これが、私とdevloveの初めての接点だった。

この後、コンスタントにdevloveへ参加していくことになる。また、登壇させていただくことも何度かあった。

devloveという社外のコミュニティに関わり始めたことは、ここ10年の中でも非常に大きな転機だった。その後、2019年にはDevLOVE X, 夏サミで登壇することになる。これは10年前にはまったく想像していなかった姿だ。

10年をふりかえって

1エンジニアとして始まり、マネジメントを経て、外部へと発信するー。10年前はそのような変化があるとは思っていなかった。マネジメントをやるかも、とは思っていたが外向けの発信などとは無縁だとおもっていた。

マネジメントに携わる中で、「自分ひとりではたどり着けないところへたどりつける」ということがチーム開発の醍醐味だと感じている。そして発信が外側へ向くと、そのたどり着けるところは本当に予想もしない遠いところになっていく。

36歳、「プログラマー35歳定年説」でいうとちょうど定年を迎えたところだ。ちゃんちゃんこください。しかしもはや「プログラマーは35歳までだよね」なんていう人はほとんどいないだろう。エンジニアリングという広い範囲で考えればなおさらだ。36歳、ようやくいろいろなことがわかり、いろいろなことができるようになり、いろいろとやりたくなってきた。やっとモーターのコイルがあったまってきたところなのだ。

2029年 46歳

さて、10年後の私は何をしているだろうか。この10年では1人で開発するエンジニアからチームの力を発揮するマネージャーへ、内向きの最適化から外向きの発信へと変化してきた。

オリンピック、万博を経て社会も変わるだろう。5Gは、MaaSはどのような地殻変動を起こすだろうか。

不確実性が多すぎて、10年後どうなるかなんてわからない。ただひとついえることは、チームを最適化し力を発揮させることには10年後も興味を持っているだろうということだ。

今の現場で最大限、価値を生み出す。インプットし続ける。現場の外へ向けて発信する。そうして少しづつ社会を曲げていく。それがアラウンドフォーティーとなる2019~2028の、私のミッションだ。

最後に

ずいぶんとパーソナルな内容になってしまった。1エンジニアが辿るキャリアとしてひとつ参考になれば幸いだ。そして書いた自分自身が、言語化することで次の10年に対する熱意を燃やしている。言語化、重要である。

2020年のdevloveの現場でも何かアウトプットしたいし、2029年にはDevLOVE XXをやりたい。なんなら海外に進出させて、日本のイベントはDevLOVE X JAPANにしたいぐらいだ。まだまだ旅は続く。

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