ボツ原稿 2024/2/2

先日、祖母と二人きりで回転寿司を食べに行った。本当は焼肉が良かったし、なんなら外食は苦手なので行きたくはなかったが、祖母が行きたいと誘ってくれたので行った。
2月の下旬から私は実家を出て一人暮らしを再開するが、一人暮らしをする部屋の家賃は祖母に払ってもらうので、祖母の誘いを断るのは気が引けた。
祖母に家賃を払ってもらう部屋での一人暮らしは、一人暮らしと言えない気がして、頭が柔軟な友達には「実家で暮らしている」と言うようにしている。私は自分で家賃を払わない一人暮らしを、子供部屋が実家から200㎞離れただけのことと捉えている。ただ、それを事情を知らない人に向けて(例えば街頭アンケートなど)発した際の混乱を見越して思想を貫くほどの度胸は無くて、特に親しくない人には「一人暮らし」だと、ちゃんと伝える。でも、ちょっと「一人暮らし」を発する際には、現状抵抗を感じるのも確かで、その抵抗は固いものをあまり噛まずに飲み込んだ際の少しの痛みを伴う異物感と似ている。吐き出した言葉と入れ替わるように痛みを飲み込む。
回転寿司が楽しみだ、と祖母に感謝を伝えたときも、少しの痛みを飲んだ。

日曜日の午後4時、人口8万人弱の中途半端な街の回転寿司屋では、ぼちぼち夕飯を食べにくる家族連れでにぎわい始める時間帯。私と祖母が回転寿司屋の自動ドア付近で店員がこちらに「何名様でしょうか?」と聞きに来るのを10秒待った。「2名様でよろしいでしょうか?」と聞かれた。この店員と友達になったら、「実家暮らし」を理解してもらえるんじゃないかと思った。店員は「今だと、カウンターならすぐ入れるんですが、テーブル席とカウンターどちらにしますか?」と続いて聞いてきた。祖母はちょっと迷った素振りを見せていたが、2秒以上返答を遅らせる胆力のない私は「カウンターでお願いします。」と勝手に祖母に代わって応答した。祖母は痛みを飲み込んだような顔に見えた。

他愛もない話題で談笑しながら、寿司をつまみ、祖母が会計を済ませ、店を出る頃には日が落ち切って、外気は冬らしく張り詰めていた。
私の運転では保険がおりない祖母の車で回転寿司屋に来ていたので、帰りも祖母の運転で帰宅した。酒好きの祖母は、食事の最中、周りで楽しそうに酒をあおる客をどう思って見ていたのだろう。と、今更ながら私は思った。
ごちそうさまでした、と祖母に感謝を伝えた。
祖母は「はーい。」とだけ言って、3秒後、全然違う話を始めた。

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