ボツ原稿 2024/01/26

今年、北海道の別海町から直木賞受賞作家が出た。ニートになってから習慣となったテレビ鑑賞でその情報を知った。番組は夕方の北海道ローカルのワイドショーで、地元から受賞者が出たことをお祝いするという文脈で別海町の様子が放送されていた。その内容でひとつ私の中で引っ掛かったことがあった。
ワイドショーのリポーターは直木賞受賞作の人気ぶりを表す文脈で、「図書館でその本を借りようとすると、既に3か月待ちです」ということを嬉しそうに語った。
私は率直に、買えよ、と思った。
応援する気持ちがあるならば、その作家を誇りに思い支持するという立場をとるならば、作品を買って、作家としての市場における価値を高めるのに貢献するべきじゃないか、と思った。

別海町の図書館のホームページを調べると、貸出期間は2週間となっていたから、図書館にあるその直木賞受賞作が1冊しかなかったとして、3か月待ち状態というのは6人ぐらいが借りようと待っている状態だと考えられる。
2冊あるなら12人、3冊なら18人と単純に倍にしていっても大した人数ではない気がする。
別海町の人口は1万5千人程度であるから、割合で考えても借りに行ってる人は大した数にはならなそうである。
なので、図書館で3ヶ月待ちを人気があるという表現に使うのは合わない気もしてくる。

せっかくの受賞作にタダで読もうとしている人々の順番待ちが出来ている感じが嫌だという意味でも、冷静に聞いたら結局大した人気があるように聞こえないという意味でも、どちらにせよ「図書館で3ヶ月待ち」の表現をすごいことのように嬉々として語る様子は気に入らない、と私は思ってしまったわけである。

権威に対して騒ぐだけ騒いでそこに投資しない姿勢は、見習ってはいけないと思いながら、正直、地元(といっても北海道というデカいくくりではあるが)からなんかすごい賞をもらっている作家さんが出たことに内心喜んでしまっている自分もいて、情けない気持ちにもなった。

「図書館3ヶ月待ち」からぐるぐる考えてしまったが、結局、この直木賞受賞作がどんな内容なのか、自分はちゃんと買って読んで確認したいと思い、Amazonを開いた。入荷待ち状態であった。ちゃんと売れているんだと思った途端、じゃあ買わなくていいや、と思ってしまった。


以上、「図書館3ヶ月待ち」からの一連の流れで出てきた自分の挙動はすべて、他人に置き換えて見た際に私が軽蔑する対象であると判断する行動である。メディアに気持ちを逆なでられ即座に感情的な反応を示す気分屋であり、課金しない客を客と見なさない厄介オタクであり、自分の推測する数字で暴走するインテリ気取りのあんぽんたんであり、地元しか知らないのに地元一番のヤンキーでもあり、結局流行りものに乗りたいがちょっと手が届かないならすぐ諦めるミーハーでもある私は、これを他人がやっていると無性に噛みつきたくなる衝動に駆られる。これが「ともぐい」かしら()


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