ボツ原稿2024/2/9

母親に「何のために生きているんだと思う」と聞かれた。
この質問をしてきたのが肉親でなければ、「意味なんてないから寿命まで自分で勝手に見出すんだよ。」と言う回答を用意しているのだが、お腹を痛めて産んだもらった相手に「生きている意味なんて特にない」とは言えない。
非常に回答に困ったので、幼児教育の本で読んだやり方で一旦かわすことにした。
「お母さんはどうしてだと思うの」と私は質問に質問で返した。
母親は「美味しいものを好きに食べれないなら生きてる意味ないんじゃないかなと思う。」と言う。やはり親子。たどり着くまでの過程は違えど、母親は私と同じ結論をもっていた。
話はそこで終わり、昼下がりのリビングではテレビがうるさかった。

先週、病院で糖尿病と診断されてから、白米が好物の母は神経質すぎるほどに糖質を避け、自分で考えた献立に落胆し続けていた。
幸い、血糖値がべらぼうに高いこと以外、現状新たに既往は追加されていないが、近い将来どんどんと飲む薬が増えていくことが予想される。
石川啄木の短歌に
 "たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず"
という、母の老いを体感する息子の気持ちみたいなものを歌ったと思われる作品があったが、私の母は物心ついたころからすごく太っていたので、たはむれにも背負おうと思ったことは無く、過去も現在も母の質量を知らない。
でも、少なくとも私より重いと言ってたので、筋トレしないと背負えない。
鍛錬の末に母を背負って三歩も歩けた日には違う涙が出るかもしれない。
そんな状態だったので、いまさら糖尿病だと言われても、母以外は誰も驚いていない。

冗談はさておき、周りがどう考えていようと母にとっては精神的なダメージがあったことなので、最近は、なんとか美味しいものを罪悪感なく食べれらる方法とダメージに対するケアの方法を考えている。
薬での鎮痛以外あんまり考えてこなかった私には、糖尿病について詳しく説明することで、糖尿病に対する未知がもたらす恐れを軽くしてもらい、診断された中でも上手く食べれるものを一緒に考えること以外思いついていない。

麻酔の勉強をしていながら肝心なときには無力なものだと思いながら、今週はたくさん糖尿病を勉強した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?