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無意味考察333、うすしおと食塩無添加

無意味を考えて来ましたが、案の定よくわかんなくなりました。
これまでの考察で「意味は意図の集合」「無意味は意図の無いさま」、あるいは「意図が一つも成立しなかった時」と定義しました。
また、人は無意識の領域が広く、無意識の意図はどこかに内在する事から、人による完全無意味は不可能だと現状考えています。

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「全ての事に意味はある」という言葉は、多くの人を頑張らせる勇気の言葉ですが、これが昔から苦手でした。
完全無意味は不可能という結論から、逆説的に嫌いな言葉を証明してしてしまい、果たして自分の感じていた無意味の心地よさとは何だったのかと、わからない気持ちになりました。
また、ずっと好きだと思っていた「無意味」は、実は誤解だったのではと最近考えていました。

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で、あれこれあって、気づきました。
完全無意味を達成できるか考え実践する事を考えていたけど、それはそれほど興味がない。無意味ではなく「無意味性」のある現象のコメディさ面白さを考えたい。と。

突然の所信表明になりますが。
無意味性のある現象「デタラメ」「ナンセンス」「困惑・誤解・齟齬」「無駄」などを考察していきます。
また、「無意味」は完全無意味の考察ではなく、現象としての無意味を考察していきます。人による現象としての無意味は、厳密には薄意味と言い換えるべきでしょう。うすしおと食塩無添加のポテチの違いですね。

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無意味考察によって、物心ついた超幼少期の記憶を思い返すようになりました。一切は無意味であるという幼少の直感は、思春期に空虚ニヒリズムになり、成人後仏教リテラシーによって無意味は空気のようなものになりました。
今は、無意味考察と実践が人生の目的だった、残りの人生はこれに費やそうと考えています。そんな事あるんですね。びっくりしました。

無意味は空気のような存在ですが、おそらく酸素なんだと思います。
意味が多い、意図が多い事がとても息苦いです。
無意味はネガティブに使われる事が多いですが、意味の多さはポジティブに語られる事が多いように思います。
意図にブレがある、隙がある、意味がわからないものは表現として劣っている、至らない。隙間なくビッシリ意味で埋まっている表現はコンセプトが硬い、素晴らしい。
本当にそうなのでしょうか。

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これはずっと疑問です。
超絶伏線回収とか、完璧なコンセプトなものをみると、なんだか敬遠してしまう気持ちは何なんでしょうか。
完全無意味が不可能なように、完全意味も不可能と思います。完全意味を装うさまは不自然な表現に感じて、敬遠しているのかもしれません。

秋が来てメランコリなんだ!と今思ったので、栗餅買いに行きます。では。








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