見出し画像

家族コンプレックス

燦々と降り注ぐ太陽の光が、
中庭の緑を照らしていた。
そんな生き生きとした生命の輝きとは対称的に、
そこに居る人達の眼には光が届いていなかった。
私の前で空を見上げる父親の眼にも、
その陽の光が差し込むことは決してなかった。

東大阪市にある病院の隔離型の精神病棟。
その中庭で自分の価値観の全てがひっくり返った。

私の当時の記憶は曖昧である。
嘘みたいな現実の中をゆらゆらと揺蕩う、
何者でもないただの高校生だった私は、
小さな決意と共に子供から大人になった。


幼少期

家庭環境

大阪の門真市という場所で私は生まれ育った。門真運転免許試験場があること以外には、これといって特筆するべき点は何も無いような、郊外の町にある団地群の中で幼少期を過ごした。大手運送会社の小さな支店で管理職として務める父親と、パートタイマーとして働く母親。そして五歳年の離れた兄との四人家族という家庭環境だった。生活は極めて質素であり、特に贅沢をするようなこともなく、周りから見れば一般的な家庭だったように思う。

私の記憶が確かであるならば、私は自分の父親と母親が談笑している姿を見た記憶がない。記憶がないだけで実際にはあったのかも知れないが、少なくとも私の記憶の中にはどこにも残っていない。

一見何の変哲もない家族。今思えば、最初から普通ではなかったのかも知れない。父親は母親を愛していなかった。我々子供達に対しても同じだったように思う。とは言っても、家庭を捨てようとしたりすることはなかったし、家庭内暴力等があった訳でもなく、ただそこには愛だけがなかった。家に生活費は入れていたが、彼の心の拠り所は家族の居る家ではなかった。父親の不倫によるストレスが原因かどうかは分からないが、母親はとある精神疾患を患っているようだった。

窃盗症

クレプトマニアは「窃盗症」や「病的窃盗」とも呼ばれる精神疾患のひとつです。通常の窃盗行為は「○○が欲しいけどお金がないから盗んで手に入れよう」というように、行為者が利益獲得を目的として盗みを行うものです。
これに対して、クレプトマニアは、十分な資産を有しているのに数百円の物の窃盗を繰り返したり、窃盗する物自体には大して関心を持たないことも多くあります。 窃盗後は、盗んだ物を放置したり、一度も使わずに捨ててしまうこともしばしばあります。

クレプトマニア医学研究所

元々私も知らなかった事だが、窃盗というのはただの犯罪行為というだけではなく、精神疾患に起因する病的な行動であるケースもあるのだそうだ。確かに当時は生活に困っていた訳ではなかったと思う。

母親の犯罪行為が発覚したのは、私が小学五年生の時だった。あろうことか、同じ団地の階下に住む私の同級生宅に侵入し窃盗行為に及んだ。当時は小学生だったこともあり記憶が曖昧ではあるが、母親が逮捕された事により町には居られなくなった私は、大阪市内にある父方の祖父母宅に避難することになった。そのまま大阪市内の小学校に転入するも、勾留期間を終えた母親に引き取られる形で再び転校することとなり、大阪市からまた郊外へと移り住むこととなった。当然当時の私は状況を理解できる訳もなく、ただ親に振り回されているだけの小学生だった。


思春期

離婚

父親と母親が正式に離婚をしたのはいつだったか覚えていない。子供相手に一生懸命説明をしていたように思うが、既に私にとってはどうでもいい事であったし「言い訳とか体裁とか色々と大変だな。かわいそうな人達。」と思いながら話を聞いていた。離婚そのものよりも、子供は皆親の離婚を悲しむものだと思い込んでいる彼らの思考が自分とずれている事の方が悲しかった。私の感覚もまた普通ではなくなっていた。その頃にはもう家族愛という感情が完全に欠如してしまっていたと思う。

薬物

私が高校一年生の頃に父親と一緒に暮らしていた時期があった。正確に言えばもう一人、父親の恋人を加えた三人での生活だった。この頃の父親は、数年前に仕事仲間に騙され詐欺被害に遭ったことが原因で完全にダークサイドに堕ちていたように思う。何の仕事をしているのかは分からなかったが、高級車に乗るなどなぜか羽振りは良いように見えた。そしてなにより様子がおかしかった。それはもう子供の目から見ても明らかに。

結論から先に言うと、この頃には既に父親は薬物中毒者だった。恋人と共に覚醒剤に溺れていたのだ。それを知らずに十五歳の私は同じ屋根の下で暮らしていた。ある時、共同生活のストレスからか、父親の恋人に包丁を向けられたことがあった。窓から逃げ出して裸足で町を彷徨いながら「いったいいつになったら普通の生活ができるのか?」と自分の境遇を呪った。その数日後に父親の恋人は自宅マンションから飛び降りて自殺した。それに対して私は特に何も思わなかったが、父親に対しては気の毒だなと心底思った。

覚醒剤が原因で父親が逮捕されるのに然程時間は掛からなかった。起訴か不起訴なのかは分からなかったが一ヶ月程で帰ってきたような曖昧な記憶がある。そこからが地獄の日々だった。マンションを引き払った父親と私は祖父母宅に住むこととなった。屋根裏部屋に籠もる父親はそこから日に日に精神を病んでいくことになる。恋人を亡くしたことが原因なのか、或いは再び覚醒剤に溺れてしまったのか。異常な日々が始まっていった。

狂気

まずは目つきが変わった。精神異常者特有の警戒心剥き出しの敵意が顔に表れるようになった。これまでの父親とはまるで別人のようだった。見えない何かに怯えるように周りの様子を窺い、時にはその見えない何かと会話をするようになった。「警察や敵が家の周りを囲んでいる」と騒ぎ始めることも一度や二度ではなかった。この頃には私も既に高校へは登校していなかった。自分が父親をなんとかしないと殺人事件でも起こしかねないと本当に思っていたので、学校なんて行っている場合ではなかった。

ある夜に父親の部屋を訪ねてドアを開けた。
電気も付けずに月明かりで照らされる室内。
何かをしている後ろ姿が見えた。
どうやら淡々と包丁を研いでいるようだった。

もう駄目だと思った。限界だった。
誰にも相談できずにいた。
十六歳の私の心はもたなかった。

精神病棟

しばらくして父親が入院したという報せを受けた。精神科の隔離病棟に入ったとのことだった。当時で言う『精神分裂病』と診断されたようだった。今で言うと『統合失調症』にあたる病気だ。正直私は父親に会うのが怖かったが、気になって見舞いに行くことにした。その日が私にとって大きなターニングポイントとなるなんて、この時は夢にも思っていなかった。

東大阪市にある河内小阪駅に降りた私は、父親が入院しているというその病院へ向かった。厳重な入館受付を済ませ病棟内に入ると父親が出迎えてくれた。少し前に見ていた猟奇的な人物像とはかけ離れた父親の姿がそこにあった。邪気が祓われたかのように挙動が普通に戻り、生気の抜けた目つきには何の怯えも感じられなかった。拍子抜けして黙っている私を父親は中庭へと誘った。

病院の中庭で

会話は特になかったように思う。
冷静になり周りを見渡すと、
異常な光景が日常としてそこにあった。

ギターを弾き語りする人
目の焦点の定まらない人
何かをブツブツ言い続けている人
見えない誰かと会話をしている人
笑っている人
怒っている人
そして息子を前にしてそこに居る父親

何が現実で何が非現実なのか分からなくなった。
何が普通で何が異常なのか分からなくなった。
そもそも普通だったことなんてあったのか?
私は普通の家庭に産まれたかった。
ただクズとクズの間に産まれただけで
なんで自分がこんな目に合うのか?
自分が何をした?悔しくて堪らなかった。

自分の中で何かが変わったような気がした。もう何にも動じない。自分にとってこれ以上の出来事がこの先に起きる気がしなかったから。不幸が底を打つ音がした。穏やかな陽の光が差し込む中庭、ギターと歌声が響き渡る平和で狂った空間の中で孤独を誓った。この先何が起ころうと私は父親と母親を許さない。時間に解決なんか絶対にさせない。この怒りだけを糧に生きていくと決めた。十六歳の春だった。

その後は再び学校へ行くようになったし、アルバイトをするなど傍から見れば普通の生活を送るようになった。憧れていた『普通』を既に諦めた私にとっては、自分が普通か普通じゃないかはもはやどうでもいいことだった。あの中庭での出来事を境に、むしろ普通ではないことにアイデンティティを感じ始めていたように思う。

不幸マウント

当然世の中にはもっと不幸な人は沢山居る。子供の頃の私は衣食住に困ったことはなかったし、家庭内暴力や育児放棄を受けた訳でもない。でもそんな事は知らない。他人と比べることじゃない。これは私だけの不幸であり、私にしか分からなくていい。誰にも理解されなくてもいいと思っている。

あれから二十年以上が経った今でも、その誓いは変わらない。思いは色褪せずにコンプレックスとして体に染み付いた。もはや両親の不幸を願ってはいないが、この先も許すことは決してないだろう。と言っても、今となっては彼らが生きているかどうかすら分からないのだが。

「親は何があっても親だから」
「最後に頼れるのは親だけ」
「時間が解決してくれる」
「自身も親になれば分かる」

こんな言葉を掛けられた事が幾度となくあるけれど、所詮は恵まれた環境でしか生きてきていない人間の軽い言葉でありリアルではない。私は正真正銘天涯孤独だ。家族と思っている人間は一人も居ない。一人だけ何の影響も受けずに育った兄に対しても何の感情も持っていない。

復讐の言葉

二十歳の時にしばらく疎遠だった父親を呼び出して会ったことがあった。成人になったという節目にどうしても面と向かって言いたいことがあったからだ。喫茶店で久しぶりに会った父親に私はこう言った。

「子育て失敗したよな。俺は産まれてきて良かったって今までで一度も思ったことがないよ。ずっと恨んでる。多分これからも。」

父親は「失敗…そうかもしれんな。」とだけ返した。自分の中での復讐自体はこの時点で済んだのかも知れない。一番言われたくないであろう言葉を突きつける事が出来たから。


あとがき

本当は書きたかったことがもっとあったが、センシティブな場面も多く生々しい表現になりそうだったので大幅に割愛した。それに登場人物を家族に限って書かないと長くなってしまいそうだったので。気軽に読むことが出来る5,000字以内でまとめられてよかったと思う。

父親はその後新たに家庭を築き子供も居るそうだ。母親は兄と一緒に幸せに暮らしているらしい。過去の呪いに苦しんでいるのはどうやら私だけのようだ。でも私が生きている限り彼等は『実の子供に恨まれている親』で在り続ける。やがて死ぬ時まで罪悪感を忘れさせない為に私が居る。人生の最期に私の顔を思い浮かべて許しを請うに違いない。それでも私は許さないのだと思う。たとえ私が死ぬ時にそれを後悔するとしても。私も穏やかに死ねるとは思っていない。誰かを恨むとはそういうことだ。覚悟は十六歳の時にもう出来ている。

「両親が二人とも前科持ちの犯罪者」と言うと面白がってくれる人も稀に居る。『逆エリート家庭』みたいな感じだが、私には今のところ前科はない。私が酒や煙草や薬物に手を付けない理由は、両親が反面教師になった結果なのかも知れない。特に薬物の怖さは身を以て理解している。酒と煙草と薬物、全てが嫌悪の対象になっている。あとは親に恵まれなかった子供達のニュースを見る度に、自分と重ねてしまい胸が張り裂けそうになる。これが私のコンプレックス。出来の悪いドラマみたいな悲しい家族の物語。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?