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選択が紡ぐ物語

まえがき


『学生時代にする一時的なアルバイト』という印象が強かったコンセプトカフェのキャストというお仕事ですが、時代の流れからか稼げる職業として認識され始めた今ではそういう印象も薄れてきているように思います。『専門学校や大学の卒業、それに伴う就職が理由のコンカフェ卒業』が王道の卒業理由だったのもひと昔の話で、今ではマイノリティと言える比率になっていると体感で感じます。ひとつの『生きていく為の職業』としての選択肢。そういう印象が強くなってきた気がします。

2024年。今年は某最大手メイドカフェグループの20周年という事もあり、長期に渡って勤務を続けているキャストを数多く擁する会社として、コンカフェキャストとして生きていくという生き方を、世間に対して改めて提示しているようにも見えます。

そんな最大手メイドカフェグループで働いていたという女の子と宗右衛門町という人外魔境にあるコンカフェで出会ったのは昨年の秋から冬にかけての事でした。

当時の私はプライベートが上手くいっていない事もあり、心がすさんだ時期を憂鬱な気持ちでただただやり過ごすという毎日を送っていました。また人間関係にも辟易し、現実だけではなく見知った人物のSNSの投稿にすら嫌悪感を覚える程にナーバスになっていたように思います。何の縁もない見知らぬコンカフェキャストとの新たな出会いを欲していました。

そんな頃、ふと「そう言えば以前話した女の子から勧められたコンカフェキャストがミナミの店に居たな。」という事を思い出しました。私は事コンカフェに関しては他人のオススメをあまり信用しないタイプで、加えてその店は個人的に好きではないグループに属する店舗だった事もあり、最初に勧められてから実際に足を運ぶまでには結構な時間が掛かりました。

宗右衛門町のメイン通りに面した立地にあるその店は、決して分かりにくいという訳ではありませんが、いわゆる初見殺しとも言えるような『入りにくさ』を感じる人が多いだろうなと思わせる佇まいの店でした。ただでさえ人通りの多い通りであることに加え、夥しいキャッチ達の数。そして何より一階路面が無料案内所という異様な構造が『Theミナミのコンカフェ』と言わんばかりの様相を呈しており、ライトなコンカファー達の入店を阻んでいるような雰囲気を醸し出しているようでした。

大手メイドカフェから泡沫コンカフェに転生するケースも、今となっては珍しい事ではなくなりました。その理由としては、大手メイドカフェがやりがいや名誉を得やすい環境である反面、賃金面では妥協や諦めを強いられる環境である事などが挙げられます。「実家暮らしやないと本業としてはキツいでこれは…副業やったらエエけどや…」という子が居たとしたら、ミナミのコンカフェに転生したくなる気持ちが芽生えてもおかしくはないでしょう。

『やりがい』か『生活』か

今回のnoteは『選択』のお話です。

前置きはここ迄。ここからが本編です。


選択が紡ぐ物語


彼女は掴み所がなく、ふわふわしていた。
彼女は接客が得意という訳ではない様に見えた。
筋金入りのオタク気質と特徴的な容姿に声質。
言動と挙動がナチュラルに一般人のそれとは違う。
それは変だとか決してそういう意味合いではなく、
ごく自然にオタクである普通の女の子が居た。
そんな子が宗右衛門町に居るのが面白く思えた。

かわいいものが好きで、美味しいものを食べる事が好きで、エログロが好きで、アニメや声優が好きで、パチンコやスロットが好きで、麻雀アプリやソシャゲが好きで、VTuberが好きで、アイドルが好きで、お母さんの事が大好きな普通の女の子。日本橋では見慣れたオタク女子がなぜかミナミに居るという違和感に引っ掛かった。

私がこの街で見る女の子は良くも悪くも普通だ。その辺に居るようなただの学生やただの飲み屋の子でしかない。当たり前に友達が居て、当たり前に恋愛をし、普通に生きてきたであろう感性の偏りのない平凡な女の子達。モラルも低く自分達が良ければそれでいい。正義感などとは無縁で「みんなやってるから別によくない?」という精神が基本。中途半端なオタク知識とオタク達への理解。純粋でもなければ不純でもない。どこにでも居るような特別ではない女の子達。

キャバクラやガルバは面倒くさいけど、承認欲求を満たしながら自分を売っていけるコンカフェならいい。そんな子達がお金を稼ぐ為だけに来ている。それがミナミのコンカフェに於けるマジョリティ。『特別な女の子』を見つける事は難しい。彼女はなぜここに居るのだろう?という疑問が湧いた。

彼女がメイドとして歩み始めたのは2019年の12月2日。某大手メイドカフェの大阪本店がオープンして半年後、大阪本店2階のオープンとほぼ同時にお屋敷に立った彼女は、卒業を迎える2022年の5月8日までの約二年半に渡り沢山の人に愛されながらお給仕に務めた。

…特になぜかデカパイ女達に愛されていた。

デカパイを愛し、デカパイに愛されたメイド。

彼女のお嬢様として通っていた人達には。SNS上で活躍を見られる活動者も多く、大阪の某デカパイ地下アイドルや、大阪の某魔法学院の元生徒(高身長ゴリ爆乳)、九州の人気デカパイパチスロ演者など、どうやら胸の大きな女性達を惹き寄せる何らかの魅力があるようだった。

大手メイドカフェを卒業した彼女はその後、パチスロ演者の門を叩き各地のホールを来店して回ったり、血迷ってミナミの赤ちゃんコンセプトのコンカフェに入店したりして自分の生きていく道を模索していた。その中で彼女が選んだのは、ミナミを中心に多数の店舗を展開するコンカフェグループだった。最初は友人の所属する日本橋の店舗に務めていたようだったが、最終的にはミナミの店舗に落ち着いた。

私はいつだって彼女とすれ違っていた。すれ違い続けてきた。私が某メイドカフェに行き始めたのは彼女が働き始めたタイミングと同じだったし、彼女が演者として入ったYouTubeチャンネルも見ていたし、赤ちゃんコンセプトの店の始まりもSNSで追っていた。なのに私は彼女を認識した事が一度もなかった。出会っていたのに出会っていなかった。

彼女の存在を認識したきっかけはInstallのつきちゃんだった。つきちゃんがイラストレーターとして関わっている店が彼女の働く店だった。彼女が卒業をするという事でオリシャンやアクスタなどのデザインをしたという話だったが、よくよく聞いてみるとつきちゃんが彼女にドハマりしたという内容で「よかったらk.w.s.k.さんも卒業までに行ってみてください!」と勧められたのがきっかけだった。結局卒業まで行くことはなかったが、その後卒業自体が撤回され勤務継続となった後、しばらくして会いに行ったのが最初だった。

女の子に好かれる女の子の特徴や求められる要素は、男が求めるそれとは違う。良い女オタクは推しに同性としての憧れを抱く。自分には無いものに憧れ自身を補完する。悪い女オタクは友情を求める。同調を共有して理解者になって欲しがる。この両極端を結ぶ直線上に生きているのが女オタクという認識だ。彼女はその点に於いて強い。

男である私が感じたのは、冒頭に記した通り。彼女は決して接客が得意という訳ではないように思った。これは不快な思いをさせられたという意味ではなく、初見の客への歩み寄り方を見て思った感想だ。コンカフェキャストにありがちな軽度のコミュ障。不器用で他人の目を見るのが苦手で、それでも歩み寄ろうとする姿が微笑ましく思えた。

気を許した相手には何でも話す人懐っこさ、それでも一定の警戒心がある距離感に、他人と近付きたい気持ちと他人に対する臆病な気持ちとの葛藤が垣間見えた気がした。自信の無さからSNSの自撮りでは自分を良く見せようとするが、店の中で行う会話ではそういう素振りは一切無い。対面で必要以上に自身を良く見せようとか好かれようとかは思っていない。思っていないというよりは、そう思う事に対しておこがましさを感じるタイプだと思う。

トレードマークであるショートボブのおんぷちゃんヘアーに二次元的なかわいらしい声質。コンカフェキャストとしては充分すぎる程にアイコニックな彼女も、宗右衛門町という街では息を潜めて夜の闇に埋もれているだけだった。自身の良さは理解しつつもいつも謙虚さが上回り、ミナミの街で好かれやすいタイプのキャスト達に引け目を感じ「私なんかが…」と燻っているように見えた気がした。

私が思うに彼女は明らかに戦うステージを間違えていた。彼女の類稀なる感性もユーモアも人を惹き付ける魅力も、このステージでは全て掻き消されてしまうんじゃないかと思った。自身の客層と店の客層との不一致、本人にもそういう自覚が無かった訳ではないようだったが、共に働くキャスト達が大好きな気持ちも大きかった。異質に見える彼女もキャスト達には充分に馴染んでいた。

選択をするのはいつだって自分自身。人生は選択による結果の積み重ねだと思う。彼女の選択の傍らにはいつも『生活』があった。『夢』の為ではなく生きていく為の選択。そういう意味では店の選択は間違っていなかったのかもしれない。決して客層が良いとは言えないが、集客力のある店ではあるし金払いの良い客も多いような印象が強い。

『やりがい』か『生活』か、或いはその両方か。

もしも彼女が何の信念も無く生活の事だけを考える女の子だったなら、何の疑問も抱く事もなくそこで働き続けられると思う。雰囲気に身を任せて愛嬌を振り撒き、客に媚び心を擦り減らし、ヘラヘラ笑いながら酒を飲んでやり過ごせばそれでいい。店に消費されるコンカフェキャストとして。そういう女の子を仕入れては消費し入れ替え続けていくのがミナミの街の常だ。

でも彼女は違った。彼女はその他大勢の『持たざる者』ではなかった。搾取される消費物ではない。『強い意志』を持つコンカフェキャストだ。

2024年の春、彼女は『生活』ではない選択をした。それは結果的には生活の為の選択になるのかも知れないが、そうならない可能性もあるリスクを妊んだ勇気のある選択だった。

春に生まれた彼女はこの麗らかな陽気の様に穏やかな人生を望んで生まれ変わる。この選択によって彼女にどんな未来が訪れるのかは誰にも分からない。でも店を変えなければ彼女は暗闇に埋もれ続けたままだったと私は思う。太陽の下へ歩き出す為の前向きな選択。そうなればいいなと心から願う。

彼女の選択が紡ぐ物語は新たな章を綴り始めた。
今日も春の陽気が悪戯に希望を感じさせる。


あとがき


この業界ではトラブルや好き嫌いによる転生はよく見られるが、自身のステップアップの為の円満な転生は珍しい。そこまで考えるような子はとても少ないからだ。過去を切り捨てる形での転生が基本であり、たとえ金銭面での条件が悪くなっても自身の成長や環境を選択する子は極めて稀なケースだ。

無数に存在する選択肢の中から自分にとっての正解を手繰り寄せるのは至難の業のように思う。似たような規模の似たような時給の似たような店。コンセプトなどはお飾りで、やってる事はどこも一緒。似たような内容のイベントを似たような時期に開催する。例えるなら無数の金太郎飴を違う包装紙で個別包装しただけ、というのがコンカフェの実態としてある。

本当の違いは目に見えない思いだけなのかも知れない。経営者、キャスト、客の思いが店を形作り、その結果が店の雰囲気として現れる。良い経営者と良いキャストと良い客層。全てが揃うことは決してないが、そのバランスが私にとっての店の良し悪しの判断材料になる。

私はただの傍観者のひとりであり、彼女の人生に影響を与える事はない。何百人という中身の無いNPCコンカフェキャストの中に紛れ込んでいる、彼女のような主人公を見つけてはその物語を聞き出して楽しむだけの、何者でもないモブキャラクターで在りたい。彼女達の物語のエンドロールには私の名前は必要無い。

私が聞いた物語は、私の物語としてnoteに綴る。
誰も知らないオタクの誰にも辿り着けないnoteに。

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