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紡いでいく物語

狭い世界に生きていると、予期せぬ人と人との繋がりに驚かされる事も多く、それが数年越しの再会であったりなんかすると、ロマンチストな人ならそれを『運命的』と錯覚したりしてしまう事もよくあります。

オタクの世界もまた狭い世界の集まりであり、地下アイドルやコンカフェに於いては、両方共にその地域に根付いたローカルな文化である為、特に狭い世界であると言えます。

狭い世界であるが故に生まれるものもあります。人と人との関係そのひとつひとつがドラマであり、その折り重なりの中にストーリー性を見出せる事です。

例えば、無名の地下アイドルだった少女が紆余曲折を経て、やがて有名な人気アイドルになる姿を見届けるまでの数年間にはストーリー性がありますし、未経験でメイドを始めた少女が成長し垢抜け、やがて生誕イベントの日に延べ数百人が駆けつける人気メイドになる姿を見届ける数年間にもストーリー性があります。

それはオタクとして日々近い距離感で彼女達と接していく中で見る、ひとつひとつの場面の積み重ねがあるから感じる事であり、ひとつの場面だけを見て感じられるものでは決してありません。見続ける事で生まれる“生きたストーリー”なのです。

物語が終わりを迎える時も、無関係な人からすると何とも思わないようなありふれた最後であっても、オタク達にとってはその抱えるストーリーが長ければ長い程に感慨深い最後となります。

涙と笑顔で感動的に終わりを迎えた物語は、いつまでも良い思い出として残り続けるものですが、時に思わぬ形で再開されてしまう事もあります。エピローグを越えた新たな物語として。

私が7年程前に通っていた地下アイドルは、当時の地下アイドルシーンに於いては名の通ったグループでした。メンバーの容姿が良いという訳でもなければ、ファンの数が多いという訳でもなく、強いて挙げるならば楽曲の良さとパフォーマンスが、評価されていた点だったと思います。そして唯一無二であったのは、ファンを含めた現場自体で、他のアイドル現場にはない特殊な光景として有名であったからです。詳しくは割愛します。これについてはまたの別の機会にでも。

そんなグループも2015年には終わりを迎え、僕と彼女達との物語もそこで完結しました。アイドル側もオタク側もやりきった感で溢れ、有終の美を飾るライブとなりました。

時は流れ、私の推しメンだったメンバーの子が新たなグループで再び活動を始めました。こういう事例はよくある事で、実際当時の私は驚く事もなく静観していました。

新しい人生を歩み始めた彼女に私が求めるものは何も無く、希望があるとすれば「スキャンダルだけは起こさないで欲しい」という事だけでした。良い思い出を大事にしたかったからです。

やがてその懸念は現実のものとなりました。

超ド地下アイドルグループのいちメンバーであるにも関わらず、事もあろうか文春砲に巻き込まれる形で名前を売ってしまう結果となってしまいました。スキャンダルのメインターゲットは相手の方で、大手男性アイドル事務所の人気メンバーの交際相手の地下アイドルとしてクローズアップされたのです。

結果だけを言うと、その後彼女はなし崩し的に引退を余儀なくされ、そのアイドル人生に幕を下ろしました。彼女と彼女の新しいオタク達との物語は、打ち切りという形で最後を迎えたのです。

私は他人事のように思いました。「あのまま終わったままで居たら良かったのに」と。彼女の中の栄光はいつの間にか姿を変え、汚点を上書きしたかのような格好になりました。なりましたというか、私が勝手にそう思っただけですが。

過去の思い出自体は何も変わりません。振り返る時の気持ちが変わってしまったのです。私が傷付いたのではなく、傷付いた彼女を思うと心が苦しくなるのです。恨む気持ちはありません。

この話で得る教訓はひとつ、終わり方の大切さです。

これは正解不正解という話ではなく、美学に近いニュアンスです。受け入れるしか選択肢のないオタク達に対する自身の在り方の話です。思い出を守り続ける覚悟。オタクと繋がるアイドルと繋がらないアイドルの違いも、美学があるかないかだけの話だったりします。

自分で描いた理想を最後まで徹底して貫けるかどうか。

この辺りは地下アイドルのみならず、コンカフェキャストにも当てはまる事ですよね。ひとくちにコンカフェキャストと言っても、意識の高さは個人で違いますし、また所属する店によっても価値観が変わります。客側が求めるものもまた様々なので、これもまた正解不正解の無い話ではありますが。

私個人としては、あまりコンカフェキャストに対して深く関わる推し方をしてこなかったので、遭遇したドラマの数は少ないです。生誕や周年、卒業イベントなどはもちろん、個人的な関係に於いても。

唯一あるとすれば、昔地下アイドルオタク時代に見た事がある子に、偶然コンカフェキャストとして再会した事くらいです。それも話している最中に気が付いたくらい、記憶の中に埋もれていたような微かな記憶でした。

それを運命的と思う程ロマンチストではないですし、そもそも当時会話すらしたことがないくらいの関係性だったので、そう思うには無理がありました。ただ、同じ時代を近しい所で過ごしていた事に対しては親近感が湧きましたし、なにより面白い子だったので卒業までの間よく会いに行きました。

本来、ドラマティックな日々であって欲しいと思いながら過ごしているのにも関わらず、いつしか人と深く関わる事を避けるようになってしまった気がします。

コンカフェで見る様々なオタク達を見ては、その熱量と自分の熱量との温度差に後ろめたさを感じながら、そんな思いを巡らせています。

最近、数年越しに旧知のアイドルと接した出来事や、コンカフェに於ける卒業や解雇、転生、SNS復活など見て触発され、今回の記事を書き始めました。

私はこれから起きる様々なドラマから紡いでいく物語を、今まで以上に楽しんでいけたらなと思っています。退屈は罪です。劇的じゃないとつまらないでしょう?これは私が歩き始める物語です。

今回はこの辺で。それではまた。

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