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コロナと鼻の旅 ♯1979 β

正月早々、コロナになった。
この3年間、一度も風邪をひかずやってきたが、
遂に、である。

原因はわかっている。
それをここでとやかく言っても仕方ない。
もとを辿ればウィルスのせいだ。

熱が出て、
嗅覚がなくなった。

自分は、どちらかというと「鼻」のきく人間で
マスクの匂いも気になるほどである。
コロナになる前は、
マスク用のスプレーを振りかけていたほどだ。

マスクをしても匂わない。
いいことなのかもしれないが、
他にも色んなものが香らなくなった。

香り、といっても色々ある。
不快を催すような、
嫌な匂いもあれば、
花や木々が放つ
自然と溢れる匂い
そして、食欲を刺激する
匂い
それぞれの人間がまとっている
匂いもある

それが、無色になってしまった。
なんとつまらない世界。

臭い匂いも
良き匂いも
色彩と同じく鮮やかなもので
人生を彩る

それが、透明になってしまった。

横たわりながら、
これがもし、感情だったらどうなるのかと
考えた。

怒りも
憎しみも
悲しみも
喜びも
愛もない

そんな無色透明な世界は
きっとつまらない

一度、ある新興宗教のイベントに
知らずに出たことがある
(講演会と名を打って、実はというやつである)

その時、受付をしていた人々の
透明感を覚えている

怒り、
憎しみ、
そんな汚い感情がないです
というような穏やかな表情をしていた

「嘘くさいな」
そう直感的に思った。
あの時、なぜそう思ったのかは
わからない。

でも、コロナになって
嗅覚がなくなって思った。

彩りがない
つまならない世界なのではないか
と。

もちろん
怒りや憎しみを克服して
コントロールできるのは
聖人の域なのかもしれない

そしてそれが「善」なのかもしれない
それでも世俗的な自分は
つまらないな、と
思ってしまった

嫌な匂いも
憎しみも
ドス黒い人々の欲望もあっての
美味しい人生

美しさだけを追求したら
窮屈で住み心地は悪いのかもしれない
少なくとも、自分はそうだ

嫌な匂いも
嗅げるようになったら
愛してあげよう
不快な匂いも
嗅げるようになったら
眉をひそめず、
笑って愛おしく思えるだろう

陰性になった
抗原検査の結果を見ながら
そんなことをふと思った。

今年も少しずつ僕らの時代を
振り返る。




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