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4年、話してもわかるものではないものを、言葉にすることにいまだに抵抗を感じますが、話すのではなく言葉に残すことはまだできるようです

初めて完成させようとしているアートアニメーションの締め切りは間近だったにも関わらず、渋谷にdownyを見に行った夜。病気療養中のギタリスト青木裕さんはそこにはいませんでしたが、きっと復活して戻ってくる、やっぱり彼がいないと!と思いながらその日は、LIVEを見て終えて、雨の中、来場者にプレゼントされたポスターを大事に抱えて帰りました。

翌日、教室でみんなとわいわい話している時に何気なくのぞいた公式のお知らせで、その訃報を知りました。あの夜、確かにロビンさんは、涙を浮かべ演奏していたのを思い出します。その日にすでに亡くなった、その上でLIVEを決行されていたのかと思うと、その時、何も知らなかったのは当然といえば当然ですが、どこか自分を恥じたというか、悔しいというのか、ショックな気持ちが複雑に混ざり合っていました。

訃報を知った夜はそのまま朝まで作業を続けて、作品を完成させるとこまで行きました。21日の朝は3月なのに、雪が降っていて静かだったのを覚えています。

時系列を前後させて、2017年の4月、関西から東京に引き上げてきて、心機一転、新たなスタートを心に強く誓いながら、アートアニメーションの教室に通う準備を進めていた矢先、沖縄の友人から手紙が届きました。そこに書かれていたのは、敬愛されていた方の長年の闘病の末の訃報。この数年、会えていなかったのですが、急な事だったそうで、手紙を読みその事実を知って、その場で崩れ落ちました。

それが、自分が作品を作る原動力となりました。

作品を完成させた雪の降る朝は静かで、いなくなってしまった人たちへの想いから、一人静かに涙を流しました。

時は進み、次年度の作品制作。この頃にも、大切な方が長い苦しみの末に、去っていきました。戦争の大きな苦しみや痛みを抱え続け、それでも闘い続け、最後の最後まで。もし、魂というものがあるのなら、その先に救済があることを祈らずにはいられない想いで、この年の作品を完成させました。

一年目も二年目も、衝動一つ。技術も何もあったもんじゃない。

ずっと怒りや苛立ち、憎しみこそが自分の原動力だと思っていました。
でも、この頃から、大切なものを失うことの深い悲しみこそが自分を突き動かしているような気がしています。それでないと、本当に自分自身を出し切る作品にならない…大切な人を失わないと作品が作れないのかという自問自答をしばらく繰り返していたような気がします。
そして、さまざまな矛盾にとらわれながら、それらを引き裂くように、今も、思うように何もかもをできていない自分に苛立つ日々は続いているようです。

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話してもわかるものではないものを、言葉にすることにいまだに抵抗を感じますが、話す事ができない事を言葉にして書き残す事はまだできるようだと、noteで文章書いていて思いました…。
動画を公開してもみる人も限られているし、何かしら言葉にして吐き出しておいても良いかなと思ってます。

冒頭のdownyの話からだいぶパーソナルな方に転がりました。自分が生きる上で最大限に必要で世界を照らす存在は音楽以外に考えられず。今もこのバンドが活動を続けているのは、本当に嬉しいし、新しい作品がリリースされ、その度に強い衝撃を受けることができるのは、本当に感謝しかないです。少しずつまたLIVE活動も増えてきましたね。アルバムリリースのツアーLIVEは、混乱期の中延期になり結局配信でしか見れませんでした。後悔なくこれから先のLIVEもしっかり行きたいです。


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