はじめに

文章を書くのが苦手で、SNSもアカウントはリリース直後にテストのために作っても発信はほぼしたことがないが、練習もかねて、noteを書いてみようと思う。

学生の頃は、不老不死の研究がしたくて分子生物学を専攻し、大学院まで行ったが、研究職ではなく就職をして、DeNAに行った。DeNAでの仕事は楽しく、何の不満もなかったが、ちょっとしたきっかけで同期の根岸と会社を作ることになり今に至る。

やりたいことがあって起業したわけではなく、会社を辞めて1か月くらいは暇だった。昼過ぎに起きて夕方くらいからやることを考えてまた寝る。今でいうリモートワークを10年以上前にやっていたが、ほとんど働いていない自分がいて、さすがにまずいなと思ってオフィスを高田馬場に借りることにした。

手始めにサービスを作ってみたが全然当たらなかった。
当時Twitterがアメリカで出始めで、Twitterのようなものをガラケー向けに作ってみたのだが、全く何も起きず3か月が過ぎた。

資本金350万円も尽きてきてこのままだとまずいな、と思って始めたのが受託開発事業。当時はVCが今ほど流行っておらず、外部から資金調達をするという選択肢は全く考えなかった。当時根岸と自分+学生アルバイト数名しかいなかった当社はかかるコストもたかが知れていて、受託で受けるほとんどのサービスは他社見積もりの半額以下で開発することができたので、案件は十分とれた。

初期コストを半額以下で受ける代わりに保守費用は普通にもらうことにしていたら、2年ほどで、会社の運営費用のほとんどを月額の保守費用で補えるようになり、新規の受託開発を止めることにした。受託開発をするために会社を作ったわけじゃないので、何かサービスを作ろうと思って作ったのが「ハウコレ」と「ジョブカン」。

今でこそ、相当数売れるサービスになっている「ジョブカン」も当時は全然売れずに年間1~2件しか売れなかった。全然売り上げにならないジョブカンとハウコレと受託開発の保守運営をやっているのが当時のDonutsだった。

その時、ちょうどゲームプラットフォーム「モバゲー」のオープン化が起きていて、DeNA時代の同僚に会った時にゲーム開発したほうがいいよ、と勧められゲームを作ることにした。三作目の「暴走列伝 単車の虎」というヤンキーバイクゲームが当たり、ゲーム事業を本格的に会社でやることにした。版権のない当社で、当時狙えるカテゴリとしてヤンキー以外に、戦国、萌え系があるのではと仮説を立てて、開発したのが「戦国の虎」と「Tokyo 7thシスターズ」。その二作は当社でも代表的なタイトルとなった。

一方、ゲームで出ている利益を毎月2000万円程度投資していたのがジョブカンだった。ゲームが圧倒的な利益率で収益を出している中、赤字事業と社内外で冷たい視線を送られていたのだが、今では当社の代表的なサービスとなっている。
新規サービスはみんなから反対されるもので、新規事業責任者の資質は100人から反対されてもやりとおす人間だな、とその時思った。

同じDeNAつながりのマイケル(株)代表取締役の福山誠氏だが、Donuts起業当初に何回か手伝ってくれたこともあり、たまに会ったりしていた。当時、ソーシャルランチを運営していた福山氏とランチをした事がきっかけで彼も当社に加わることになり、新規サービス第二弾として作ったのが現在の「ミクチャ(MixChannel)」。

以上が、ここ10年くらいで起きたこと。今後は、事業についてや思ったことを適当に書いていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?