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新学期 何をやる1 しゅこうの学ぶ教員 (for teacher)

 新学期が始まった。
 夏休みの課題の整理
 授業の準備
 児童・生徒・学生の生活リズム
 自分の生活のリズム
 
 この1週間はみんな大変だ。それも一生懸命やろうとする気持ちがあるから。あまり頑張らないで、ほどほどが出来るといいのだが。
 担任としては、色々やることを考えるとついつい厳しい言い方になっていないだろうか。経験からするとあまり急いでもいいことはないと言えるが、指導内容が決まっているからしっかりやらなくては思う教員は多い。
 それだけ真面目な教員が多いと思うが、文科省や指導事務所は、それ以上に子どもが夏休み明けに学校環境に慣れない内に起きる問題を気にしている。勉強はしっかりやれと言っているが、問題が起きる方が問題に感じている。そう言えば、文科省は指導内容も柔軟な対応が出来るとまで言ってた。全く何を信じて指導をすればいいのかと思うような事が起きている。
 そこで考えて欲しい。管理的な立場からも、
 本当に子どもに役に立つことは何か、
 これからの時代、何が生活をするために必要なことか 
を。
 上からの命令を私も守っていたつもりだった。しかし、他の省庁との矛盾がありどちらを優先するかという問題が起きた時、社会的に正しい方を選んだ。しかし、教育の現場では違った。「おかしい」と言ったが揉み消された。その後、国の方針として、出された時には手のひらを返したように、方針が変わった。これは文科省ではなく、地方の自治体の解釈の問題でもあった。それだけ多くの慣例が教育の現場でもまだの残っている。指導要領の解釈が文科省で変わってきているが、自治体によって今までと変わらない所が多い。また、そのうち変わるかも知れない。
 つまり本当に自分として正しいと思ってることを教えているか
 新学期が始まって間もないが、慌てないでゆったりとした生活を送ることの方が子どもにとっても教員にとってもいいと思う。例え怠けていると思われても、子どもとゆったりとした触れ合いが今後に役立つと思う。
 管理職もよく分からないまま指導していることもある。考え方によって解釈が変わるように、完璧な人はいないのだから正しいとは限らない。若い頃は「長」が付く人は凄いと思っていたが、そうではなかった。勝手に偉いと思っていただけで、若い頃と何も変わらない人が多い。対面的にはいいことを言ってるようだが、それは環境からそうしていることが多い。本人も分かっていない事が多く、立場が変わると「変だと感じること」がある。
 いろいろな子どもがいる。そして、教員もいろいろな考えで働いている。正しいと感じたことを中心に働いてもいいのではないか。そして自分の考えが変わったら、素直に認めて変えればいい。誰からの命令で考えを変えるのではなく。
 
 ついでに
 やはり夏休みの課題は各団体に提出しているのだろうか。提出するための労力は必要なのだろか。これがなくなれば楽になると思う。さらに審査員として業務を離れることもあると、もっと疑問を感じる。若い頃は、審査員をやることも初めてで楽しいと感じていたが、慣れてくるとまとめ役や長になり、その審査基準に疑問を持ったり、これは教員がやるものかと疑問を持ったりした。
 

 
 

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