悔しかった話
昔体験して悔しかった話を偶然思い出したのでします。悔しかったです。では聞いてください(読んでください)。お願いします。
昔、俺が小学生の時。多分1~4年生の時だったと思う。俺は小4の終わりくらいに転校したけど多分転校する前の小学校の記憶だった。
その日は、俺は全校朝礼を聞いてた。別に聞きたかったとかじゃなくて半ば強制的に聞かされる感じの。
校長先生は地球とか太陽とかそういうありきたりでしょうもない、M-1なら1回戦落ちが妥当って感じの話をしてた。
「地球が太陽の周りを一周するのにかかる時間は本当は365日ちょうどじゃないんですね」
知ってる話だと思った。知ってる話やからワクワクしてた。それ俺も知ってるぜー!みたいな。
当時俺は何でも知ってた。あくまで小学生としての範疇やから累進課税のことも女の子の落とし方も何も知らなかったけど物知りだった。
「厳密には365.(てん)何日やったかな...…ええと...…」
俺は大きい声で叫んだ。全校生徒数百人に響く声で叫んだ。
「365.2422日ですよーー!!」
宇宙の本とかいっぱい読んでた俺からしたら、そんなことは常識の中の常識だった。当時あんまり覚える意味のない数字とかを覚えるのが好きだった。円周率小数点以下100桁とか覚えてた。今は45桁くらいしか覚えてない。
もちろん、全校生徒ほとんど全員の視線は俺に向かった。でも正しいことを言ったし、完全に善意で言ったから全然その視線は快感だった。
みんなのヒーローになれる!!あいつ賢いぞって思われる!!
校長先生にも認められる!!この前校長室に呼び出されて怒られたけどやっぱ見直される!!
そんな企みも校長先生の一言によって潰される。
「365.35とかやったかな」
みんなの視線は笑いに変わる。上級生下級生みんな俺を笑ってた。ほんっっっっっっまに悔しかった。
もう涙をこらえるのでいっぱいだった。間違ってるのは校長先生、もとい、あのきっしょいオッサンやのに。
でも俺を笑ったみんなが悪いわけじゃない。地球の公転周期を小数点第四位まで覚えてるわけがない。小学生の間は俺みたいなひねくれたやつ以外は大人の言ってることが一番正しいし、その「大人」のヒエラルキーの中でもだいぶ上位の校長の言ってることが間違ってるなんてみんな考えたことなんかなかったと思う。
泣くのをこらえるのに必死だった俺だが、ここで最後の渾身の一撃を放つ。
「ほんまにそうなんやったら、うるう年が3年に1回になるじゃないですか!」
天才すぎる。当時の俺ヤバすぎ。偏差値1万やん。そんな悔しい状況から咄嗟のカウンター。これには先生も自分の発言を撤回せざるを得ないだろう。そう思っていると
「お前、校長先生がお話してるねんから黙って聞け」
学年主任か生徒指導か、誰かは忘れたけどとにかく先生に注意された。
みんなの笑いは大きくなった。完全に全校生徒に変な奴だと思われた。九九も怪しい小学生が、俺が言ったことの意味が分かるわけはないからこれも仕方ない。悔しくて教室に帰るまでずっと下向きで誰に話しかけられても無視してた。
校長先生が問題児の俺に花を持たせたくなくて適当に言ったのか本当に校長先生がアホだったのかは今となってはわからない。でも小学校の先生とか大概アホか頭おかしいかのどっちかやしおそらく後者やと思う。
この経験がもとになったのかはわからないが、俺はその時から大人を論破するのに快感を感じるようになってしまった。大勢の人の前で大人の間違いを指摘して、恥ずかしい思いをさせるのが気持ちいいと思うようになっていってしまった。
もう俺も子供じゃないから、それをしてヒーローになれるわけじゃないのはわかってる。敵を作るだけなのもわかってる。でもやってしまう。
多分、ひろゆきとかも、同じようなトラウマを持ってたんだと思う。
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