怒るのはカッコ悪いですか
喜怒哀楽。
どれも等しく尊い感情。
全てが揃って初めて、人は人間らしく生きることができる。
なのに、最近の世の中では「怒り」があまりにも軽視されているように感じる。
笑顔で喜ぶこと。
誰かを想い、涙を流すこと。
共にイマココの時間を存分に楽しむこと。
これらは美しい存在として認識されるのに、
怒ることは、抑圧するべき感情、恥ずべき感情として理解されている。
可愛い芸能人はテレビで、
「私、怒りっていう感情、どこかに置き忘れちゃってるんですよね〜。だから人に怒ったことない!てか怒るって意味なくないですか?」
って言ってたし、
よく分からん男友達は、自己紹介カードの好きなタイプの欄に
「怒らない人」
って書いていた。
昨今、コンプライアンスも問題になっている。
相手を想って怒ったり、厳しく愛のこもった指導をすることが、すぐにハラスメントとして受け止められてしまう、この世の中は中々に生きづらい。
「不適切にも程がある!」というドラマはそんな世相を反映しているかのように思えてならない。
私自身もこんなことがあった。
仲のいい友達と本気で喧嘩をした時。
「どんな時も笑顔で、建設的な話し合いをしたいの。」
「なるべく辛い思いをするのは避けたいの。」
まるで、怒って、真っ直ぐな思いを伝えることが、
大人げない、恥ずかしい行為だと言わんばかりに、
無理矢理「笑顔でいること」を要求されたような気がした。
彼らの価値観を否定する訳ではないが、自分は、こういう言葉を聞くと、
どうしても違和感を感じてしまうのだ。
なぜなら、「怒ること」とは、私にとって、「裏切られた悲しみを本人に直接ぶつける勇気ある行動」だと思っているからだ。
それをずっと抑えていたら、人はどうなってしまうのだろう。
テレビに出ていたあの女性タレントのように、怒りという感情をどこかに置き忘れたかのように、何も感じなくなるのかもしれない。
でもそれは、人間関係で何か不都合なことが起きた時に、もう一度わかり合うために、相手と正面からぶつかる勇気を失うことと同じなのではないか。
私の友人は、仕事で疲れ切って、鬱になってしまった。
自分の気持ちに蓋をし続けた結果だろう。
そんな彼は、父親のこの言葉で変わったのだそう。
「お前、もっと怒れよ!!!」
私は、この言葉ほど力強くて、愛に溢れてるものはないと思う。
人から後ろ指さされても、
ぶつけた感情を相手に受け入れられなくても、
それでも、心の叫びを届けること。
それはものすごく価値のあることなんじゃなかろうか。