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11月(ラブレター?)

思ったことを言葉にするのは簡単だけど、感じたことを言葉にするのは難しい。またやっかいなことに、思うことは面倒で、感じることは簡単だ。
だからジレンマを抱える。面倒なことは簡単に言葉にできるのに、簡単なことは中々言葉にできない。


小説を書くのと、論理的思考で文字を起こすのは全く違う。小説のような、自分の生きてきた全てが落とし込まれた文章は、必要よりも、切実に存在している。感覚の世界とも違う。何なのか、よくわからない。
だからこそ惹かれるし、わかろうとする。


愛している人がいる。その人と触れ合う時、心の底から愛情を感じている。あまり考えたりしない。でも、ひとりになるとぼちぼちと思考の足音が近づいてきて、気づけば、僕自身が考えながら歩いている。コツコツコツ、自分が歩いていることを、遅れて自覚する。

思考は、面倒な行いだ。

きりがない。

でも僕は、思考を愛している。

それはマニュアルフォーカスのカメラでピントを合わせてシャッターを切る瞬間のようなもので、自分が見えた世界を、そこで一度完結した、或いは、するであろうと見做す覚悟を孕んでいる。

考えなければ、ずっと、景色は映る。自分なりの被写界深度で、ピントの合った風景を、自分なりの色味で。

でも考えるから、僕たちは世界と自分との距離を測れる。そしてそれを、外界に発信できるようになる。思考は、自分と他人との架け橋だ。


愛する人のことを感じる時、なんだか、心地良い。
愛する人のことを考える時、なんだか、優しくなれる気がしている。

あなたの世界、もっと見せて。
善いも悪いもなく、まるごとあなたの世界を愛している。何を言われようとも、あなたを受け入れるよろこびは、優しい。


あなたみたいな、小説が書きたい。



P.S 相方へ。僕の恋人のことを愛方と表現するの、全然喧しくないよ。むしろ、お前のことを愛方だと思ってたから、僕の方が喧しいわな。ははは。

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