逃げの人生

「これで囲碁の頂点を目指すのは終わりか……」
2019年11月9日。2つ年下の、20戦以上打ってこれまで一度も負けたことのなかった女子に完敗した時に最初に思ったことだ。
わずか7歳のころから10年間夢見たもの。14歳の時に目の前にあったもの。そういった夢が潰えた瞬間は、ひどくあっけないものだった。ここでは、一人の少年が夢を追いかけ続けた記録について書きたいと思う。おしゃれな詩的表現もうまいまとめ方もできないため、読みにくく冗長な文章となっているかもしれないが、ご容赦願いたい。

僕が囲碁を始めたのは5歳の時だ。将棋が少し好きだったようで、それならばということで体験に連れられて行ったら、目を輝かせていたようで、そこから囲碁教室に通うようになった。
8歳で囲碁のプロの卵の養成機関である日本棋院の院生になった。将棋で言う奨励会のようなものだ。日本棋院は、東京本院、中部総本部、関西総本部と分かれており、自分は関西総本部に所属していた。入った当初は全く勝てなかったが、若さゆえの吸収力で棋力は着実に伸びていった。しかし、小4の12月に受験勉強のために退会することとなった。
その後中学受験も成功し、全国大会で個人戦準優勝、団体戦優勝など、囲碁を楽しみつつ、結果も順風満帆で、中1の1月に院生に復帰した。
2016年4月。中2になり、それと同時に入段(=プロ入り)を決める「プロ試験」が始まった。4月から12月のほぼ全ての土日に、持ち時間2時間(秒読み60秒)の碁を1日1局、合計70局打つ。6人で、黒白交代で2局ずつの10局のリーグが7回(6、7回目は得点2倍)という決めだ。得点は、各リーグの勝利数(1勝1点)、順位点(1位6点、2位5点、……6位1点)によって決まる。実質的には、入段は、周りより頭1つ抜けている僕と1つ年上のS君で争っていた。
1リーグ目。9勝1敗で1位。15点を獲得。幸先の良い滑り出しだ。S君は13点だった。
2リーグ目。入段レースと関係するわけではないが、この2リーグの合計得点が最も高い1人が、若手棋士たちが出場する棋戦への出場権を得ることができる。同点の場合は後のリーグの順位が高い方が上ということになっていた。
そのリーグの最終戦、序列(=前リーグの順位)1位の僕が8勝1敗、2位のS君が8勝1敗という状況で迎えた。(ここでは起こりえないが)同星ならば序列が高い方が上だ。1回目の直接対局は僕が制したのだが、7戦目に1つ年下のKくんに敗北を喫したのだ。
お互い時間も神経も使い、一進一退の攻防が続いた。結果は半目差での敗北だった。囲碁における最小差での負けだった。S君との得点差を考えると、ここで勝つのと負けるので出入り4点の差だ。しかも、これで2リーグを足した点数は同点。彼が棋戦への出場権を獲得した。棋士の方々と真剣勝負をするという機会は、プロに近い立場の院生でもあまりないことだ。僅かな差で非常に大きい機会損失となった。ちなみに、先ほどの「半目(はんもく)」という言葉、この後重要な場面で出てくるので、意味を覚えておいてほしい。
その後も入段レースは一進一退の攻防が続き、負けたらとんでもなく苦しい、勝っても楽しくない、対局前も対局後も辛いという地獄の中で、なんとか6リーグ目が終わった時点で僕が4点上回っていた。7リーグ目の序列も僕が上だ。
最後のリーグの入段条件を整理しよう。先ほどの決まりにより、通常の1リーグにつく最小の点差は「序列が下の場合による同星」の1点だ。1つ勝ち星が少なければ2点差となる。このリーグは得点が倍なので、それぞれ2点、4点の差となる。
同点の場合は後のリーグの順位優先という決まりにより、自分が縮められていい差は2点。しかし、自分が序列が上なので、順位が下回るということは勝ち星が1つ少ないことになる。そうなると、4点差となり、ぴったりまくられることとなる。つまり、このリーグで順位が高い方が入段ということだ。
自分の方が序列が上なので、S君との直接対決は1勝1敗でいい。そう思っていた。
ところが3戦目、事件が起きる。僕がまたしてもK君に負けたのだ。これでS君への連勝が条件となった。
5戦目。S君との1局目を完勝。これでお互いが取りこぼさなければ最後の直接対決でプロになるのがどちらかが決まる。
8戦目。またしてもK君に負ける。(S君は取りこぼさないので)9戦目で負けるとその時点で入段の可能性が潰える。
9戦目。無事勝利を収める。
そして2016年12月10日。このリーグの10戦目。9か月、70局打ち続けてきたプロ試験の最終戦。S君との直接対局だ。この一戦の結果次第で人生が変わる。
周囲の院生によると、対局前の僕の表情はたいそうこわばり、ガチガチになっていたようだ。
対局開始。途中でポイントを挙げたと思われたが、相手の逆襲を受ける。終盤に入り、僅差の展開が続いた。
終盤の終わりごろになると、お互い結果が見えていた。僕の3目半負けだ。信じられない、信じたくない。整地(最後にお互いの地を数える段階)でズルしてやろうか、それとも対局が終わったら殺し屋を雇って相手を殺せば自分が入段できるのではないか、などさまざまな愚かな思考が頭の中を駆け巡った。
気持ちの整理をして整地の時間。整地前に何度も何度も行った自分の目算がずれていることを祈った。当然そんなはずもなく、合計2点差で入段はS君に決まった。
本当に凹んだ。信じられない。自分の方が強いはず!なぜだ!(注:S君との14局の直接対局は7勝7敗でした)。知っている言葉だと絶望というのだろうか。これまでに感じたことのないような感情を覚えた。

2017年に変わり、1か月ほど休養を摂りメンタルはある程度回復した。この年のプロ試験は(自分は)秋からだ。そこまでは1日2局対局を行い、実力向上に励む。
この年のプロ試験はある作戦をもって臨んだ。それは、「しゃがみ作戦」だ。この年のプロ試験(本戦)の序列は、1~5位が「院生」、6~8位が「外来」(元院生など、22歳までのアマチュア強豪たち。自分が所属していた関西総本部の場合、一般的には院生より外来の方が強い)となっていた。院生の中では一番強い自信があったので、あえて序列決めリーグの順位を3位に下げて臨んだのだ。
この作戦のメリットは、「なめてもらえる」ことだ。一般的に、院生1位よりも、予選を勝ち抜いてきた(「外来」は「外来予選」と、院生の下位と当たる「合同予選」を受け、その上位だけが本戦に進出している)外来は非常に強く、この年は一般の全国大会で優勝してきたような人も来ていた。そういった人たちは、院生には絶対に負けないと思っている。なので、院生の1位や2位相手だと少しは気を引き締めるかもしれないが、3位相手だと全く気にも留めずなめてかかるだろうと思ったのだ。格下が格上に一発入れるためにはこういった手も使わざるを得ない。
本戦は8人で黒白交代の14局打ち。1戦目はまたもやK君に負けた。
しかし、この敗北も先ほどの作戦の根拠づけとなったのだろうか、作戦は功を奏した。なんと、1まわり目で外来2人に勝利を収めることができたのだ。入段も現実味を帯びてきた。
7戦目、3人目の外来(Tさん)との対局。10時に始まったこの対局は18時30分ごろまで長引く、これまでの囲碁人生で最も長い対局となった。大激戦だったが、痛い敗北を喫した。だがまだチャンスは残っている。
2まわり目の8戦目。K君との再戦は大逆転勝利を収めることができた。この調子。
11戦目が終わった時点で、入段争いは3人に絞られた。2敗のMさん(外来、序列6位)、同じく2敗のTさん(外来、序列8位)、そして3敗の僕(序列3位)だ。僕とMさんの対局、僕とTさんの対局が残っている。同星は序列優先のため、僕は残りを勝てば入段だ。
12戦目。Mさんとの対局。小学生で院生だった時、雲の上の存在だった相手だ。この試験では、1回目は非常に苦しい局面から、わずかなチャンスを掴んで、日本のこれまでのプロの対局の最長手数を超える手数の大乱闘を制して勝てた。もう一回奇跡を……。
序盤で苦しくなるが、簡単には土俵を割らずに粘り続け、ついに逆転することができた。しかし、終盤で二転三転。勝負は半目を争うものとなる。
自分が頭を振り絞り、長考して打った手が敗着となった。絶望の半目負け。正しく打っていれば半目勝っていたようだ。ただ、この年は明らかに実力不足だったからこの結果はある程度納得せざるを得ないものなのだと割り切った。翌年のプロ試験は院生だけで争われる。実力的には間違いなく入段できるだろう。自他共にそう思っていた。
年末、東京の某プロから「悪い知らせがあるよ」と言われた。なんと、東京本院で一番強い院生(I君。1つ年上)が家庭の都合で関西に移籍してくるようだ。また俺

年が明け、2月から年末までの長丁場のリーグが始まる。その直前の順位決めリーグではI君に連敗して2位。とはいえだいたい実力は把握することができた。互角ぐらいには戦えるだろう。
しかし。そこから泥沼は続く。全く勝てないのだ。どれだけ優勢を築いても最後には逆転されるのだ。なんなんだよクソゴリラ。自分より下位の院生がたまにI君に勝っても、自分は一向に勝てない。そうやって17回負け続けた。毎年「史上最悪の心情」を更新しているような気がする。東京に武者修行に行っても何も変わらなかった。その直後の対局でも負け、屈辱のカウンターが18になったところで院生を辞める決断を下した。清々しい気持ちだった。

なぜこうもプロの座を逃し続けるのか。実力的にはいつなれてもおかしくなかったはずだ。原因がメンタル面にあることは明白だった。中2の時は対局開始前から「負けると思っていた」と言われるほどだったし、中3の時も勝ちが見えたプレッシャーで冷静な思考を続けることができかった。高1の時は、心のどこかで、I君には絶対勝てないのだろうという深層心理が働いていたとしか考えられない。

失意の中ではあったが、アマ大会やプロとの対局の機会ではある程度実力を発揮することができ、高2の年は外来でプロ試験を受けることにした。
僕の夢は囲碁でただ単にプロになることだけではない。囲碁でトップ棋士になることだった。プロになるだけでは食べていけないが、トップ集団に入れば、十分対局料や賞金での生活も可能となる。
日本は中韓に後れをとっている状況だが、その中でも世界で戦える棋士になりたかった。しかし、そういう棋士になるには、過去の例を振り返ると、できれば中学生、どれだけ遅くとも高2ぐらいまでには入段しないと話にならない。そういった意味で、この年がラストチャンスという気持ちで受けていた。
この年は合同予選、本戦の2段階であった。毎年外来は強力なメンバー揃いではあるが、この年の外来は本当に化け物ばかりであった。しかし、11人の予選の中で、幸運にも10勝1敗の圧倒的な成績で本戦に進出することができた。実力的には自分が一番上とは到底言えないものの、なんとか力をうまく出せた。
自分は、18連敗した前年を除く、惜しかった2年は、本戦中に囲碁のことを考えすぎてがんじがらめになりプレッシャーがかかり悪い結果を招いたと分析した。そこで、今回の本戦は、その期間中にも息抜きを多めにすることにした。これでメンタル面は大丈夫、なはずだった。まさか予選の成績が油断を生むとは。
しかし。8人で14戦を戦う本戦。なんと6戦目までに3敗してしまったのだ。この年は院生も非常に強かったし、外来も全員実力伯仲の中とはいえ、このような調子ではプロになることはとうてい叶わない。もう1敗もできない状況だ。しかし、自分は、「プレッシャーから逃げるため」「予選1敗しかしてない自分だぞ。もう負けることはないだろう」などといって、囲碁の勉強をあまりしなかったのだ。これでは勝てるはずがない。前述のK君にもこの試験で連敗を喫した。
「最後の挑戦」は、8勝6敗の5位というあまりにも無様な成績で幕を閉じた。

自分が負け続けた歴史をつらつらと書き連ねてみた。客観的に見ると、自分が囲碁のプロに「すら」なれなかった理由としては、次のような理由が考えられる。

・メンタル
文章中でも言及したが、山場の一戦にあまりにも弱すぎる。戦う前から気持ちで負けてどうするんだよ。僕は周りからは自信家と思われていると思うが、そういう言動をしているだけで、内心は非常に自分の棋力に懐疑的なのだ。だからここぞというところで力を出し切れない。
また、それと密接にかかわるものとして、
・努力不足
中2中3高1ではかなり努力したつもりだ。しかし、全く報われなかったため、無自覚のうちに「努力したところでほとんど棋力は変わらない」などという言い訳をするようになっている気がする。これは大学受験にもつながっていて、「ここで数十分勉強したところでほぼ変わらんよね?」といってずっと逃げ続けている。それゆえに危機的状況になるのは自然な流れであろう。努力が必ず報われるとは限らないが、努力をしないと報われるかという抽選すら受けられないようだ。また、この努力不足のせいで、「自分の棋力に対して懐疑的」ということになる。
・SNS
Twitterやりすぎ。人生の優先順位を何一つ分かっていない。

このようなところだろうか。冷静に振り返ると本当にダメ人間だなぁとしか思えない。苦しいことから逃げてTwitterで愚痴ってばっかり。
とはいえ、人間ずっと苦しいことばっかり頑張り続けられるのだろうか。中2の途中までは囲碁が楽しかった。しかし、そこからは囲碁が楽しいという気持ちはこれっぽっちも無くなっていた。将来の生活の手段のためと割り切って頑張っていたつもりだが、そのような努力の方法ではなかなか長続きしない。
これはどういったことにもつながることだと思うが、あることで成果を上げようとするならば、やはり「楽しむ」ことが一番大事なことだと思うようになった。
去年のプロ試験に落ちてからしばらく囲碁からは離れていたが、久しぶりに打ってみて、囲碁はそこそこ楽しいものだと思えるようになってきた。棋力はピーク時から比べるとだいぶ落ちているが、少しずつではあるが回復傾向にある。

目標を達成するために楽しむ。これからはそのことをモットーに生きて行きたいと思う。

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