雑記(?)2024/05/04
書き殴ってる気がする
閲覧は注意かもしれないです
昨夜 ベッドに入り目を瞑った時
「私には帰れるような家や話が通じる父母がいないんだな」とまた気づいて
気づかないふりをして寝た
世の中にはたくさんそんな人がいるって!
絶対いるって!今更だよ!と強く言い聞かせる
私の一部
でもそんなん世の中関係ないじゃん
私の苦しさは私の世界で起こってる事実じゃん
受容して認知変えて、そうしてくのが大事なんだろ?
そうやれってお前が言ったんだ
と、また別の私が言う
連休中によく起こるパニックに近い何かなのはわかる去年も一昨年も、ずっと前から言語化できないだけで、そうだったのかもしれない
小さい頃は素直に「なんで?どうして?」と聞けた
知恵をつけ、仕方がないことだと
逆にそんなもんは要らねぇとイキった
イキって生きてたら騙されて洗脳されて
わけもわからず働きまくって
たくさん傷ついて泣いて
あの頃は苦しくて確実に死ねる気がして楽しかった
脳や体はダメージを受けてるのに
社長や社員の言うことを聞いて空気を読み
怒鳴られても閉じ込められても
飴に縋り鞭に耐えて
傷が絶えなかったのに、当然だと忠誠の証みたいなものだと、自主的に疑問を持ってはいけなくて
死ぬまでその団体にいるんだと聞かされても
死が身近だったので すぐだろ、と思ってた
身近にトラブルを抱えていること
それらに振り回されることが
私自身の問題から目を逸らすことになって
心の穴に向き合わずに済んだ
悪い人はきっとそうやって騙すんだなぁと
今なら察する
現在はどうだろ
生活は比較的自由だ
社会的には落ちこぼれた弱者で底辺で
メン◯ラ、キ◯ガイと揶揄される類であっても
自主的な行動が生活の全てだ
治療を続けるのも、諦めてとぶのも自由
私次第
数年前から始めたカウンセリングで
自分の問題を直視して生きてく訓練を受けてる(気がする)
逃げず、プロと共に考え、諦めようと
悲観的にならず、受けとめる
歪まないよう何度も考え直す、思い直す
そして日常に戻る
悲しいことも辛いことも死ねる!と楽しまない
受けた様々な暴力を認めて、私は悪くはなかった(愚かではあったかも)と
きちんと冷静に対応する
周りのトラブルで自分の問題を誤魔化さない
人と私に境界線を濃く引いて
ちょうど良い距離感で入らない、入らせない
ただじっと耐える日、耐えるのが辛くなったら
楽しいことを考えて心地よい空間をつくり
自分の命を見逃す
大事なものを粗末に扱わない
これが発狂しそうなほど辛い
生まれや育ちも事実として認識する
なんで?どうして?の答えを自分で決めつけず
腹落ちするまで、逆になぜ理由を求めるのか?まで深く潜る
知りたいのは本当はすごくそれが欲しかったから
今でも羨ましくて泣きたくなって
でも無い、私には無いと叫んでも
それで全部ダメにはならないと
何かある、私にも楽しいことはある、と思い直す
青空が綺麗で、死んで良い気がしても
先の予定を考え まだ予定あるんだったと
とどまる
これをすると内臓がすごく痛む気がする
だから呼吸をする
それで 精一杯 そんな日
こんな日をいなして騒がず逃げる
練習だと思う
生活費の足しにします! ありがとうございます!感謝の極み!