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ビオラ/パンジー

5月2日。昨日の肌寒さから一転、すっかり春の陽気だ。今日も特に予定がなく家族が仕事で家を空けている間、留守番がてらほんとうにゆっくり過ごさせてもらった。午後になって散歩に出かけたら思いがけず鉢植えにスズランが咲いているのを見つけて人様の庭先にもかかわらず写真を撮ってたいへん気分よく遠くまで歩いた。
帰省6日目でわたしの長期休暇も折り返しを通過して、また連休前の日々が押し寄せてくると思うと心細い。もちろん仕事がないからというのもあるけれど、わたしはこの気負わない生活を心底気に入っている。すれ違う他人から「こんにちは」と頭をさげられて、細い道を豪速で走り抜ける軽トラに遭遇して、街頭のない真っ暗の帰り道を歩いて、そうやって外に出ることでやっとここが田舎であることを痛感する。
コンビニまで15分強歩いて、駅の前を通ってスーパーまで行ったけどこれと言って物欲や食欲を唆るものがなかった。更に10分ほど歩いて(おそらく)地方で展開するチェーンのホームセンターに入った。もちろん何か買いたかった訳じゃない。イヤホンでなるべく多くの曲を聴きながらどこまでも歩きたい気分の時間稼ぎのつもりだった。でも、洗剤と飼料と堆肥と新しい衣類の混ざった匂いが泣きたいくらい懐かしくて音楽はすぐに止めてしまった。アルトサックでジャズアレンジされたJPOPと安っぽいアナウンス。祖父に連れられてあてもなくホームセンターに行くのが好きだった。ピンクの香り付き練り消しや子犬がプリントしてあるラメ入りの鉛筆キャップ、情けない顔でデフォルメされたネズミがデザインされたねずみ取り、むせる匂いが夏を先取りした虫除けと手持ち花火、色々な形のネジ、ちょっと美味しそうな犬のおやつ、すぐに壊れそうな黄色い縄跳び、濁った水槽で泳ぐ金魚、外には使い道の分からない木材や砂利、ありふれた花の苗。あの日と同じ店舗ではないのに明確に思い出せる、祖父の買い物が終わるまで飽きることのない冷やかしをしていた時の景色と匂いが変わらずそこにあった。
野外の売り場にあった花の苗はどれもたくさん花をつけていたけれど、パンジーとビオラの、オレンジ紫ピンク水色白は目を引いた。俯くように咲く姿から「もの思い」という花言葉がついている。パンジーという名前自体、フランス語のpenser(考える)という単語が語源になっていると聞いたこともある。この上なくかわいい色合いのはずなのに、昨日の憂鬱をなんとなく引きずって考え事ばかりのわたしと重なって一瞬、寒色だけが際立ったほんとうにさみしい花のように見えた。何だか急に居た堪れなくなってまたイヤホンをつけた。
地元でしか見かけないドラックストアで買い物をした後、aikoを聴きながら帰路に着いた。家について洗濯物を取り込んで映画を見ながら畳んでいる頃には、そんなばつの悪さはどこかに消えていたし、夕方どたばたと帰ってきた妹と作った夕飯はとても美味しかった。

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