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少々旧聞になりますが、3月10日(日)に放送されたフジテレビの『だれか to なかい』という番組をTVerで観ました。

この番組は松本人志と中居正広がMCを務めていましたが、松本が活動停止しているため、旧ジャニーズ事務所を退所した二宮和也が代わりを務め、タイトルも『まつも to なかい』から『だれか to なかい』に替わったことはご存じの通りです。
毎回、2人のゲストを呼んでMC2人を交えてトークをするのですが、今回のゲストはKinKi Kidsの堂本光一と、Sexy Zoneの佐藤勝利でした。
元ジャニーズの2人と、現ジャニーズ(正しくはSMILE-UP.)の4人がああだこうだとトークをする、かなりジャニジャニした内容。

本論に入る前に。
出演している4人のうち、誰かのファンであるなら、あるいはこの番組に登場していなくとも、ジャニーズに所属している(もしくは所属していた)誰かのファンなどで、ジャニーズ事務所になじみのある人ならば、今回の私のこのエントリーは理解できないかもしれません。
理解できるのがいいとか悪いとかの話ではなく、単純に言っている意味がわからない可能性が高いのではないかと思うのです。
そして、意味がわからないまま不快になるのではないかと危惧します。
なぜなら、特定の文化に対する違和感というのは、その文化圏の中、もしくは周辺で中のことをなんとなくでも理解している人には感じない(感じにくい)ものでしょうから。
ですから、自分がそうだと思う方はこの先を読むことをお勧めしません。

私が今から書くことはかつて(今も?)ジャニーズ界隈で言われていた「ジャニーズイズム」に関する話です。
といっても、これまでジャニーズやアイドルといったものに何の興味も持ってこなかった私には、ジャニーズイズムというのがどういうものなのかわかっていません。
ですから、あくまで「私が感じたジャニーズイズム」という視点であることを先に断っておきます。

話を『だれか to なかい』に戻します。
出演者4人について、生年月日・年齢とジャニーズ事務所への入所年をWikipediaから拾ってみたのがこちら。

<中居正広> 1972年8月18日 51歳 1987年15歳入所
<堂本光一> 1979年1月1日   45歳 1991年12歳入所
<二宮和也> 1983年6月17日 40歳 1996年13歳入所
<佐藤勝利> 1996年10月30日  27歳 2010年14歳入所

こうしてみると、4人ともいい歳をした大人ですよね。
最年少の佐藤以外は中年といっていい年齢ですし、その佐藤も27歳でとっくに成人しています。
しかし、ジャニーズ事務所へ入所したのはいずれもミドル or ローティーンのときです。
TVerの『だれか to なかい』はすでに期限切れで観返すことができないので、記憶だけで書きますが(ゆえに間違っているところがあるかもしれませんが)4人そろったときもやはり年齢や入所年の確認をしていました。
彼らにとってそれは確認すべき重要なことなのでしょう。
いえ、それは彼らジャニーズだけでなく、年齢なのかキャリアなのかの違いはあるようですが、吉本の芸人なども同様です。
つまり、先輩なのか同期なのか後輩なのかを明確にして、上下関係をはっきりさせるということなのでしょう。
私がジャニーズ回の『だれか to なかい』に感じた違和感はそこに起因しています。

メリー 喜多川(藤島メリー泰子)が生きていた頃のジャニーズ事務所は、ことあるごとに“ファミリー”という言葉を使っていました。
通常はファンクラブの略称である「FC」も、ジャニーズの場合は「ファミリークラブ」の略称で、それは現在も変わりません。
ジャニー喜多川と、その姉のメリー喜多川が二人三脚で家族経営をしていたジャニーズ事務所らしいといえばその通りなのかもしれませんが、グループの年間売り上げが1000億円を超えるとも言われたその規模は、家族経営といったほのぼとしたイメージとは程遠く、取引先であるテレビ局やスポンサーには日本を代表するような上場企業が多数、名を連ねています。
逆の言い方をするなら、日本の芸能プロダクションでトップの売り上げを誇る規模の企業でありながら、その内部は家族経営であり、所属するタレントたちにも家族的なつながりの意識が色濃く反映されていたと言えるでしょう。

すでにジャニーズ事務所を退所している中居と二宮、今も残っている堂本と佐藤の4人がそろった『だれか to なかい』でも、そうした家族的つながりを感じさせる雰囲気が充満していました。
しかし、そこには厳然とした序列があり、年齢順(入所順)に上下関係がありました。
その「家族的雰囲気」は、一見、和気あいあいとしたものに感じられるものだったかもしれませんが、底流に流れているのは家父長制的家族であり、それを原理とした支配形態であるように私には感じられたのです。
しかも、それだけではなく、ちょっと言葉にするのは難しいのですが、4人全員が何か重大な共通の秘密を暗黙のうちにわかりあっていて、外側にいる人間を意識的・無意識的に拒む、ある種特殊な親密さがあったように思うのです。
それは、幼少の頃に同年代の子たちが遊びに夢中になるなか、同じスポーツ少年団などで厳しいトレーニングに明け暮れ、やがてプロになったスポーツ選手同士のようにも思えましたが、『だれか to なかい』の4人にはそれよりも粘度の強いものを感じました。
おそらくファンの多くは、それを好ましいものとして感じ取ったのではないでしょうか。
言葉にはしなくとも、それがジャニーズイズムというものを成立させている根幹なのだと。

芸能人は個人事務所を除き、マネジメントやプロデュースを芸能事務所に委ねているのがほとんどです。
その契約は一部のエージェント契約を除けば専属マネジメント契約です。
私たちは芸能人を「〇〇所属」という言葉で言い表したりしますが(ex. 「ジャニーズ所属の堂本光一」)芸能人の立場は本来、実演家として芸能事務所と対等の立場であるはずなのです。
仮に対等でないとしても、社員契約をしていない限りは個人事業主です。
一人ひとりが親方であり大将。
契約ではそうなっているはずなのに、意識は「ファミリー」。
ある種の人たちにはそれが必要なのです。
ある種の人たちとは誰か?
支配を望む人たちです。
マフィアがファミリーを強調するように。
昔のヤクザが一家(現在は「組」や「会」)を名乗ったように。
しかし、そこには明示されない掟があるのです。
共通しているのは、そうした反社会的組織を抜けた者に対して厳しい制裁を加えること。

『だれか to なかい』に出演していた4人にそのような意識があるかどうかはわかりません。
しかし、意識していようと無意識であろうと、そこにあったのは秩序に名を借りた支配の原理だと私は思うのです。
それは彼ら自身がつくったものではなく、ジャニー喜多川と、ジャニーを担ぎ上げたメリー喜多川がつくりあげたものです。
もっというならば、ジャニー・メリー以前から芸能の興行を取り仕切っていた山口組等のヤクザ組織や、そうした芸能をビジネスとして組織化した渡辺プロダクションなど、現代における日本の芸能ビジネスのスタイルを作った先人たちがつくったものを、ジャニー・メリーの弟姉が自分たちの都合やスタイルに合わせてアレンジしてつくりあげたものです。

ジャニーズ事務所に在籍したまま成功した人たちは、一人の例外もなく、そうした家父長的支配を基本としたファミリー観を子どもの頃から無意識のまま受け容れ、植え付けられた人たちで、そのまま自身がその体現者となっていることに気がついていないのだと思います。
ジャニー喜多川による児童性虐待はそのような環境の中で行われていました。
だから、後から入所してきた後輩に注意を促すこともなく、暗黙のうちに了解事項となっていったのではないでしょうか。
外ではメリーがメディアをコントロールすることで沈黙を強い、内では家父長的支配を原理とした上下関係によって暗黙裡に被害が拡大していったのだと私は思います。
もし、誰かにそういわれても本人たちは否定するでしょう。
意識できていないのだから当然そうなります。

ジャニーズ事務所という鳥かごの中で抱卵され、殻を突き破って生まれたヒナは、誰を(芸能の)親だと思うでしょうか?
性被害にあった子どもはグルーミングの影響下にあるといいますが、ジャニーズにおいてはそれだけでなく、芸能の親としての側面が混然一体となってタレントの意識を形成し、事務所を退所したあともその意識は鳥かごに入ったまま、上から幾重にも「絆」という名前に置き換えられた見えない鎖でぐるぐる巻きにされているように思えます。

私が『だれか to なかい』から感じたのはそういうことでした。
ジャニーズ事務所からいくら名称を変えても、意識が鳥かごに閉じ込められているなら何も変わりません。
どこかの段階で鳥かごから抜け出した例外的な人はいるにしても。

私は、旧ジャニーズ事務所の在籍者も退所者も、今からすぐにでも専門家のもとで認知行動療法等のカウンセリングを受けた方がいいと思います。
それは決して恥じることではありません。

最後に。
少し前に岐阜県岐南町の町長が在職中に99件ものセクハラを行ったとして調査結果が報告されたことが報じられました。

その報告書は91ページにも及ぶものですが、セクハラだけではなく、パワハラについても指摘されています。

たぶん、91ページを読む人はいないでしょうから、概要を解説したもののリンクも置いておきます。
ここに抽出して書かれているセクハラ・パワハラの具体的内容を、それぞれが個人事業主であるジャニーズの先輩・後輩の関係で考えてみてください。
該当するものはひとつもないでしょうか?


■追記(2024年3月20日22:50)

上記の『だれか to なかい』では、カットのつながりに不自然な箇所がいくつかありました。
編集でどんな箇所を切ったのか、編集前のトークが知りたいところです。
そうすれば、私が上述したことがより明確になる気がします。

それからもうひとつ。
以前、中居正広の番組に井ノ原快彦と彼のグループのメンバーが出演したことがありました。
そのとき、Xで「中居はキャスティングに口を出さない」というポストを読みました。
私はそれを信用していません。
番組の性格や内容にもよるとは思いますが、少なくとも『だれか to なかい』はそうではないと思っています。
あのような性格・人数の番組はキャスティングが命ですから、MCの中居が口を出さないわけにはいかないと思うのです。
上述の回ではそうしたことも少しだけ会話に出ていました(編集でカットされていなかった)から、はっきりしたのではないでしょうか。

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