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オウム真理教プレイバック2~1995年オウム真理教事件~


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 オウム真理教が世間からはすっかり忘れられてしまった1992年頃。私は新宿でとあるビラを受け取った。オウム真理教のビラであったが、そこにはモスクワ放送のオウム真理教のラジオ番組が紹介されていた。さっそくその放送を聞いてみた。内容についてはほとんど覚えていないのだが、麻原彰晃尊師作詞・作曲・歌唱によるオウムソングが紹介されていたことだけは覚えている。

◼️オウム王国の建設

 1990年の選挙敗戦後も、麻原彰晃尊師はタレント的な活動をしていた。「とんねるずの生でダラダラいかせて」の人生相談コーナーに麻原尊師が出演したり、「BART」誌上で尊師とビートたけしが対談したり…。「朝まで生テレビ」では幸福の科学幹部とオウム真理教幹部による討論が行われたこともあった。宗教学者の島田裕巳が「オウム真理教はディズニーランドである」と称したり、中沢新一、吉本隆明らもオウム真理教を擁護する姿勢を見せていた。
 しかし、1992年頃からオウム真理教はマスコミにあまり登場しなくなっていた。オウム真理教は、山梨県上九一色村に富士山総本部を設立し、そこに「サティアン」と称する宗教施設群を建設。ここを舞台に独自の王国を作っていたのである。1994年には省庁制度を取り入れ、「神聖法王」である麻原彰晃尊師を頂点に、各省庁が置かれた。そして各省庁のトップにはそれぞれ“大臣”が置かれ、外報部長の上祐史浩正大師(マイトレーヤ)が外務大臣、石井久子正大師(マハー・ケイマ)が大蔵大臣、大阪大学理学研究課出身の村井秀夫正大師(マンジュシュリー・ミトラ)が科学技術大臣、顧問弁護士の青山吉伸正悟師(アパーヤジャハ)が法務大臣に就任している。

法皇官房  松本 梨華〈麻原三女〉(アーチャリー正大師)
法皇内庁  中川 智正(ヴァジラ・ティッサ正悟師)
究聖音楽院 石井紳一郎(ウルヴェーラ・カッサパ正悟師)
諜報省   松本 識華〈麻原四女〉(スヴァーハー)
外務省   上祐 史浩(マイトレーヤ正大師)
大蔵省   石井 久子(マハー・ケイマ正大師)
自治省   新実 智光(ミラレパ正大師)
科学技術省 村井 秀夫(マンジュシュリー・ミトラ正大師)
第一厚生省 遠藤 誠一(ジーヴァカ正悟師)
第二厚生省 土谷 正実(クシティガルバ正悟師)
治療省   林  郁夫(クリシュナナンダ正悟師)
建設省   早川紀代秀(ティローパ正悟師)
法務省   青山 吉伸(アパーヤジャハ正悟師)
文部省   杉浦  茂(ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ正悟師)
商務省   越川 真一(メッタジ正悟師)
労働省   山本まゆみ(キサーゴータミ正悟師)
郵政省   松本 知子(ヤソーダラー正大師)
流通監視省 松本 美和〈麻原長女〉(ドゥルガー正悟師)
車両省   野田 成人(ヴァジラティクシュナー正悟師)
防衛庁   岐部 哲也(マハーカッサパ正悟師)
東信徒庁  飯田エリ子(サクラー正悟師)
西信徒庁  都沢 和子(ウッパラヴァンナー正悟師)
新信徒庁  大内 早苗(ソーナー師長)

 そして、オウム真理教はこの王国で凶悪事件を次々と引き起こしていくことになる。
 1989、90年当時のオウム真理教は見ていて滑稽という印象こそあったが、恐ろしいとはまったく思えなかった。ましてや将来サリンを作成するなどとは想像もできなかった。しかし、その時点ですでに坂本弁護士一家は殺害されていたのである。気軽に駅前の信者に話しかけていた当時の自分が恐ろしい。

◼️地下鉄サリン事件

 そんなオウム真理教が、1995年一躍世間を震撼させる。地下鉄サリン事件である。
 1995年3月20日…私はその日ちょうど大学にいたのだが、すぐに地下鉄でサリンが撒かれたという噂が伝わってきた。その時点ですでにオウム真理教の犯行ではないかとの噂も囁かれていたが、さすがにそれは信じられなかった。
 だが、すぐに警察による捜査が始まり、オウム真理教の関与が明るみに出る。オウム真理教幹部が次々と逮捕されていく。マスコミもオウム真理教一色となり、オウム真理教側からも上祐史浩外報部長、村井秀夫科学技術大臣、青山吉伸顧問弁護士といった教団幹部が連日テレビに出演していた。
 中でも上祐史浩外報部は、巧みな弁舌で反論し、「ああ言えば上祐」と揶揄されるほどだった。
 5月には山梨県上九一色村にあったオウム真理教富士山総本部への捜査の手が入り、教祖の麻原彰晃尊師が逮捕された。
 オウム真理教からは484人が逮捕され、189人が起訴された。2011年までに麻原彰晃尊師始め13人に死刑判決が出されている。

◼️オウム後継団体

 オウム真理教自体も、宗教法人としての認可を取り消され、2000年には名称の使用も禁止されたため、「アレフ(現・Aleph)」と名前を変えている。後に、アレフが麻原彰晃信仰に回帰しているとして上祐史浩正大師らが独立して「ひかりの輪」を設立した。 現在Alephでは麻原彰晃尊師をあくまで「Alephの前身であるオウム真理教の教団創始者であり、Alephの宗教上の『開祖』」であるとしている。一方、ひかりの輪はオウム真理教時代の反省・総括のもと設立され、オウム信者の麻原彰晃信仰からの脱却を支援するなど、明確に脱麻原、脱オウムを主張している。しかし現在、公安調査庁はAleph、ひかりの輪共に観察処分の対象としている。
 オウム真理教が引き起こした数々の事件は、例え死刑が執行されようと許されることではないだろう。だが、オウム真理教のすべてが危険だと短絡的に考えることにも問題がある。少なからぬ宗教学者や文化人がオウム真理教を評価していたのは確かであるし、私もとある宗教学者自身から「オウム真理教ほど修業体制の整った宗教はない」と語るのを聞いたことがある。ましてや元信者だというだけで解雇されたり、麻原尊師の子供が学校や大学の入学を拒否されたりしたという例は、明らかに行き過ぎである。いや、1995年からしばらくの間はオウムと直接関係のないチベット仏教や、ヨーガといったものまで、バッシングの対象となっていたように思う。1914年創設の出版社オーム社や、1958年創設のオーム電機、「びっくりドンキー」の株式会社アレフなどが言われなき非難を浴びたし、1980年創設の予備校アレフは「メビオ」に改名している。

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 そもそもオウム真理教の「オウム(AUM)」という名称からして、もともとはヒンズー教の有り難い呪文の言葉である。だから、インドやネパールといったヒンズー教文化圏では、「オウム」という名前の人物はかなりいる。例えば日本でも公開された2007年のインド映画「恋する輪廻/オーム・シャンティー・オーム」の主人公の名前も「オウム」である。これは、数千年の歴史を持つ仏教の「卍」が、ナチスドイツのハーケンクロイツを連想させるからと使用にクレームがついたとの同じではないか。
 オウム真理教に対してバッシングすること自体の是非はともかくとして、やるならその相手ややり方についてきちんと調べた上でやらなくてはならない。差別をなくすという意味でも、そういった姿勢は大切だと思う。

(続く)

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