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オウム真理教プレイバック1~真理党総選挙出馬~

 2018年7月、オウム真理教の死刑囚13人に死刑が執行された。日本いや世界中を震撼させた地下鉄サリン事件から23年、来年5月に平成が終わり、新たな元号を迎えようとしていた矢先であった。否が応でも、平成という1つの時代の終わりを感じさせる出来事であった。
 私は仕事柄10代と接する機会が多いが、彼らと話していてオウム真理教事件が歴史上の出来事であるかのように捉えていることに驚かされた。なるほど、23年前には彼らはまだこの世に生を受けていなかったのだから、そう思うのは当然である。確かに私にしてみても、自分が生まれる前の事件であるよど号ハイジャック事件(1970年)や、あさま山荘事件(1972年)というものは、どこか現実感を伴なっていない。1972年のあさま山荘事件から1995年の地下鉄サリン事件まで23年。そしてその地下鉄サリン事件から今年まで同じ23年の月日が流れている。あさま山荘事件を起こした赤軍派とオウム真理教との間には何かと共通点が多いと言われているが、同じ過ちはもう2度と繰り返してはいけない。そのためにもオウム真理教事件のことを決して風化させず、語り継いでいく必要があるだろう。

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◼️オウム真理教との出会い

 オウム真理教事件について語る前に、私とオウム真理教との出会いから述べたいと思う。あれは1989年頃であっただろうか、町中の壁一面に不思議な選挙ポスターが大量に貼られるようになった。白い服を着た体格の良い男(当時はまだ髭を生やしていなかった)であった。

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 それが「真理党」の「麻原彰晃」候補であった。当時私は、杉並区、中野区、渋谷区からなる東京4区に住んでいた。当初は彼がいったい何者なのかまったく分からなかったのだが、すぐに雑誌「サンデー毎日」が「オウム真理教の狂気」という記事を連載し始め、彼らをバッシングし始めた。このポスターの男こそがオウム真理教教祖の麻原彰晃尊師(本名・松本智津夫)だったのである。

◼️真理党・総選挙進出

 1990年に行われた総選挙。麻原彰晃党首率いる真理党は、25人の候補者を擁立し「確認団体」となった。真理党は候補者を宗教上の名前、いわゆるホーリーネームで立候補させようとしたが、選管に拒否されてしまったという。だが、選挙ポスターには候補者の名前ではなくホーリーネームが記されており、白い服で宗教的なポーズを取るというものだった。これらの候補者の中には、後のオウム真理教事件で話題となる教団幹部が多数含まれていた。

埼玉1区  富田  隆 31(シーハ)
埼玉2区  杉浦  茂 31(ヴァンギーサ)
埼玉3区  大内 利裕 37(プンナ・マンターニ・プッタ)
埼玉5区  広瀬 健一 25(サンジャヤ)
千葉4区  遠藤 誠一 29(ジーヴァカ)
東京1区  松本 知子 31(マハーマーヤ)
東京2区  松葉 裕子 25(スッカー)
      満生 均史 38(マルパ・ロサ)
東京3区  石井 久子 29(マハー・ケイマ)
東京5区  上祐 史浩 27(マイトレーヤ)
東京6区  松田ユカリ 28(バッダー・カピラーニ)
      鎌田紳一郎 30(ウルヴェーラ・カッサパ)
東京7区  山本まゆみ 35(キサーゴータミー)
      杉浦  実 28(カンカー・レーヴァタ)
東京8区  村井 秀夫 31(マンジュシュリー・ミトラ)
      宮本 公恵 29(マチク・ラプドンマ)
東京9区  坪倉 浩子 26(ダルマヴァジリ)
      名倉 文彦 28(ナローパ)
東京10区  新実 智光 25(ミラレパ)
      岐部 哲也 34(マハー・カッサパ)
東京11区  飯田エリ子 29(サクラー)
      佐伯 一明 29(マハー・アングリマーラ)
神奈川2区 秋山 伸二 27(アジタ)
神奈川3区 中川 智正 27(ヴァジラティッサ)

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 そして、彼らは意表をついた選挙戦を展開する。「♪しょうこうしょうこう…あーさーはーらーしょうこー…」で有名な「麻原彰晃マーチ」を流した街宣車が町を走り回り、駅前には麻原党首の姿を模した着ぐるみが立つなど、真理党はしきりに視覚や聴覚に訴えていた。私が現在選挙ウォッチャーとして活動しているのも、この時の真理党と麻原彰晃候補の選挙戦を身近で見て選挙の楽しさを知ったことがきっかけだったかもしれない。2013年と16年の参院選での三宅洋平候補(緑の党→無所属)の“選挙フェス”や、2018年6月の東松山市長選挙での安冨歩候補の“街宣ライブ”が音楽を取り入れていたことで話題になったが、元をただせばこの真理党が元祖だということもできるだろう。

◼️激戦の東京4区

 麻原彰晃候補の立候補していた旧東京4区(渋谷区、杉並区、中野区)は、定数5に対し、全国最多17人もの候補者が立候補する激戦区であった。
 候補者は次の通り…

粕谷  茂 64 自民党・現
高橋 一郎 64 自民党・現
沖田 正人 61 社会党・新
外口 玉子 52 無所属・新(社会党推薦)
大久保直彦 53 公明党・現
松本 善明 63 共産党・現
岩附  茂 37 社民連・新
田中  良 29 進歩党・新
細木 久慶 50 スポーツ平和党・新
麻原 彰晃 34 真理党・新
高岡紀代子 49 地球維新党・新
森田 優一 27 地球維新党・新
重松九州男 77 日本世直し党・新
石原 伸晃 32 無所属(保守系)・新
藤原 和秀 31 無所属・新
日高 達夫 44 無所属・新
町田  徹 45 無所属・新(年金党推薦)

 東京4区には自民党の粕谷茂・元北海道・沖縄開発庁長官や、公明党の大久保直彦副委員長、共産党の松本善明・国対委員長といった大物候補者が揃っていた。自民党の2人目には2期目を狙う高橋一郎代議士。前年の参院選でマドンナ旋風を引き起こした社会党も引退する金子みつ副委員長の後任として公認で沖田正人元都議、推薦で外口玉子候補と2人を擁立していた。少数政党であった社会民主連合(社民連)と進歩党も候補者を立てていたが、進歩党の田中良候補は後の杉並区長で当時は29歳だった。アントニオ猪木参院議員率いるスポーツ平和党からは、占星術師・細木数子の弟の細木久慶候補。無所属候補でも石原慎太郎・元運輸大臣の長男の石原伸晃候補が落下傘として立候補。前回落選した藤原哲太郎・元民社党代議士の息子の藤原和秀候補。過去2回立候補し1万票以上獲得した経験のある日高達夫候補も3度目の挑戦であった。後にオレンジ共済組合事件で逮捕される友部達夫代表(のち新進党参院議員)率いる年金党が町田徹候補を推薦していた。
 麻原彰晃党首の真理党以外にも、地球維新党が確認団体となり、2人を擁立。さらに常連候補の日本世直し党の重松九州男党首が立候補していた。
 

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 候補者乱立によって激戦となった東京4区では怪文書なども出回っていた。真理党やオウム真理教のパンフレットなども毎日のように郵便ポストに投函されていたが、私は将来それらが価値が出るのではないかと一部を取っておいた。

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 結果的に30年近くたった今、こうしてレポートを書くのに役立っているのだから、その予想は正しかったと言える。

◼️真理党惨敗

 1990年2月18日、総選挙の投票が行われた。麻原彰晃候補は「6万票取って当選してみます」と語っていたが、果たして結果は…

当選 78,114 粕谷  茂 自民党・現
当選 73,939 石原 伸晃 無所属・新
当選 72,165 高橋 一郎 自民党・現
当選 69,131 外口 玉子 無所属・新 (社会党推薦)
当選 66,337 沖田 正人 社会党・新
   61,331 松本 善明 共産党・現
   58,863 大久保直彦 公明党・現
   29,333 岩附  茂 社民連・新
   11,508 田中  良 進歩党・新
      4,830 細木 久慶 スポーツ平和党・新
      3,636 日高 達夫 無所属・新
      2,831 藤原 和秀 無所属・新
      1,783 麻原 彰晃 真理党・新
      747 町田  徹 無所属・新(年金党推薦)
      285 高岡紀代子 地球維新党・新
      218 森田 優一 地球維新党・新
      182 重松九州男 日本世直し党・新

 石原伸晃候補が上位で当選。また社会党ブームにのって同党の候補者2人が見事に議席を分け合った。そのあおりで連続当選を続けてきた松本善明代議士と大久保直彦代議士が落選している。麻原彰晃候補は当選には遠く及ばない惨敗に終わってしまった。他の真理党の候補も全員が麻原候補以下の得票であった。

埼玉1区  富田  隆 484票
埼玉2区  杉浦  茂 553票
埼玉3区  大内 利裕 303票
埼玉5区  広瀬 健一 397票
千葉4区  遠藤 誠一 508票
東京1区  松本 知子 276票
東京2区  松葉 裕子 360票
      満生 均史   58票
東京3区  石井 久子 398票
東京5区  上祐 史浩 310票
東京6区  松田ユカリ 202票
      鎌田紳一郎   71票
東京7区  山本まゆみ 536票
      杉浦  実 232票
東京8区  村井 秀夫   72票
      宮本 公恵   99票
東京9区  坪倉 浩子 272票
      名倉 文彦 188票
東京10区  新実 智光 205票
      岐部 哲也 139票
東京11区  飯田エリ子 494票
      佐伯 一明 217票
神奈川2区 秋山 伸二 487票
神奈川3区 中川 智正 1,445票

 麻原候補陣営は選挙に不正があったと主張し、不正の証拠を探すために、各家を訪問して投票していたかを聞いて回っていたようである。麻原彰晃尊師はこの敗北の背景に国家権力による陰謀があると感じたようだ。これによって合法的な政権獲得には限界があり、武力による権力奪取の必要性を感じたのではないだろうか。もしこの時の選挙で誰か1人でも当選していれば、ひょっとしたらオウム真理教がサリンを撒くようなことはなかったに違いない。

(続く)

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