感想

 カーテンを開けたら晴れていました。冬特有の黄色い陽射し。あの日もちょうどそうでした。これはわたしの思い出ですがね。

  母は明晰な人でした。自分の頭で考えろというのが口癖で。わたしはそんな母が大好きだったので、彼女の言いつけを守っていつも自分の頭で考えました。要するに素直で愚かで、大人の言うことは聞けても大人の期待には結局添えない子供でした。そんなわたしが─あれは小学校の帰りだったか、買い物へ行く途中だったか─とにかく、あの日もアスファルトがちょうどこんな風に照らされていて、わたしは母の手を握って、歩道にまばらに落ちていた青桐の大きな枯葉をわしわしと飛び石のように踏んで遊んでいました。そしてゆうととしんやのこととか、グラセフのこととか、とにかく他愛もない会話の合間に、ふと、当時学校ではやっていたセリフを口ずさみました。
 「それってぇ、あなたの感想ですよね?」
 わたしはあの時の母の表情をどうしても忘れることができません。

 「いますぐに、撤回しなさい!」
 母は私の手を振りほどいて叫びました。
 「撤回しなさい。いい?これが私の感想だったら何が悪いの?感想を抱くことの何が悪いの?」
 母はベージュのコートの裾が地面につくことを気にもとめずに、わたしの前にしゃがみこんで、私の肩を掴んで揺らしました。
 「いい?そのおぞましい言葉はね、相手の気持ちを全く考えられない人が、相手を黙らせたり意表を突いて、自分の考えを押し付けるために使う言葉なのよ。使う前にはよく考えなさい。」
 ただ流行り言葉を母の前で披露して、2人で笑いたかっただけだったわたしは、何が起こっているのか全く分からず、黙って俯くしかありませんでした。そしてわたしは必死で考えました。わたしは困った時、いつも母の言葉を色々と思い出して、自分の考えをあらわす言葉とか、自分の気持ちを整理するような言葉を探しました。そうすることで必ず上手くいったし、そうやってわたしが記憶の中から見つけてきた母の言葉を使って話すと母はわたしを褒めてくれました。それがわたしの「自分の頭で考える」でした。ところがその時だけは、どうしても今の状況にピッタリ当てはまる言葉を、探し当てることができませんでした。わたしが黙ったままでいると、しゃがんでわたしの肩をつかんだままの母はわたしの目をじっと覗き込んで、
 「わかった?いい?自分の頭で─」言うが早いか、わたしは突然、私の今の考え、気持ちを完璧に表現する、たった一つの言葉を思いつきました。
 それってあなたの感想ですよね?
 それって、あなたの、感想ですよね。わたしは、喉の先まで出かかった言葉を、先程なんの考えもなしに放った同じセリフの余韻の中に慌てて隠すと、しゃがむ母の体の横に回り込んで母を抱きしめ、ごめんなさいといいました。母は何か言いながらわたしの頭を撫でていましたが、わたしの頭の中ではあのアノニマス顔の長髪黄色パーカーが目を細めて笑っていました。思えば、それが初めてのわたしの感想でしたね。

 カーテンを窓の横にくくって、換気のために窓を開けました。ひんやりした空気が顔に当たります。あれから長い月日が流れました。ひろゆきはあの頃とは完全に芸風を変えて、南米の密林の奥地で原住民とステゴロ勝負をするABEMAの番組で人気を博していますが、あの頃流行り言葉ひとつに目くじらたてて騒いで、わたしたち子供世代の信頼を完全に失った大人たちは、偉そうなことを言ってた癖に、滅茶苦茶になっていくこの国に対して、未だに何も出来ていません。「それってあなたの感想ですよね?」とは何だったのでしょうか。胡散臭い男による胡散臭い言葉で、この国をさらに胡散臭くした言葉だったのでしょうか。あなたはどう思いますか?あるいはあの言葉は、悲惨な震災と深刻な原発問題の余波の残る日本で、人々に蔓延していた「次こそは”防が”ねばなりません」という雰囲気だけを頼りに、ある種の論調がメキメキと成長しつつあった日本で、そのような傾向に一石を投じ、かつては確かに輝いていた批判的な言葉だったとは思いませんか?
 はいかいいえでお答えください。

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