『果しなき流れの果に』小松左京 ◆SF100冊ノック#04◆
『果しなき流れの果に』小松左京 1965初出 ハルキ文庫
◆1 あらすじ(ネタバレなし)
大学の研究者、野々村は、物理学教授番匠谷から、太古の地層から掘り出されたという不思議な砂時計を見せられる。砂時計の砂は―減ることなく、いつまでも落ち続けていた。番匠谷と共に発掘地の古墳に飛んだ野々村は、彼の周囲に怪しい追跡者を感じる。そして、砂時計のことを知る関係者は次々と失踪し、野々村も消えてしまった……
未来、あるいは過去。時間と歴史は超越的な未来の存在と、「審判者」と呼ばれる組織によって管理されていた。だが、彼らに反抗する叛逆者たちのグループも存在する。21世紀に滅びゆく地球の上で、一人の男、松浦もまたこの「審判者」に出会うことになる。
人間を越えた超越的な力を持つ超人へ、「階梯」を登っていく松浦は、過去へ、未来へ。恐竜の時代から、遠い遥か未来の異なる惑星にまで、時間を渡り歩き、叛逆者たちを追いかけ、追い詰めていく。逃れながらも反撃を試みる叛逆者の中には、「時間と人間の認識」について思いをめぐらす野々村の姿もあった……
※画像は「トップをねらえ!」最終話
いやね、GAINAXっていうほら、エヴァを作ったアニメ会社の作品で、クソ名作SFアニメに「トップをねらえ!」ってのがあってね。この小説へのオマージュのタイトルになってるんですよ。で、まあこのタイトルは、別に小松の小説とはそんなに関係ないんですが、(ものすごい時間の果に旅する、という共通はあるけど)とにかくタイトルが胸に焼き付いてたわけです。
時間旅行SF。これはもう、一つのジャンルだと思うんですが、とはいえここまで、徹底的に時間を突き詰めた、突き抜けた小説というのは滅多にない。形容するなら「壮大」の一語に尽きる。そもそもタイムトラベル、という技術それ自体が壮大なパラドクスを含んでるわけです。そのあたりを比較された本さえ出ているそうで……読みたいな。
あるいは、アダルトゲームの名作『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』や、アニメ化もされたゲーム『STEINS;GATE』も思い出すところ。
YU-NOというゲームには、「選択詞分岐」したそれぞれの時間軸を飛び回ることが出来るシステムが組み込まれている。本書で繰り広げられる、「追跡劇」は、まるでこの「分岐」をどんどん狭めて追い詰めていくような感覚を得る。
それにしても、「壮大」な物語だ。「壮大」であること、それ自体が価値になっているかのようにも感じる。二人の主人公、秩序側と叛逆者の追跡劇では、本当に様々な舞台が登場する。恐竜が闊歩する中生代から、地球から人類が飛び立った遥か遠未来まで。単に時間が異なるだけでなく、それぞれのトーンが全く違うことも驚きの一つだと思う。滅びゆく地球から人類を救いだした異星人の船―その中からドアを開けた瞬間に、20世紀初頭のニューヨークはエンパイア・ステート・ビルの事務所に移動するシーンは、そこまでの物語の流れがぶった切られて、一気に「メタ」の立場に連れていかれる非常に印象的なシーンだった。
◆2 人間と現象
この話、後ろに行くにつれてどんどん壮大になっていくので、最初の方を忘れてしまったのだけど、あらすじを書こうとして読み返して色々と気づかされる。主人公と言える二人、NとM、野々村と松浦の二人ともが、印象的な恋愛をしていること。そしてその愛をどんどん失っていくこと。
SFを読んでいく中で、「人間」が描かれていない、と感じることが良くある。登場人物のキャラクターよりも、SFの設定、道具立ての方が重視されて、複雑な人間の感情や変化があまり描かれていないこと。いや、もっと複雑かな……人間の感情とか欲望とかかわりが薄くなってしまえば、魅力的な設定なのに、物語自体が地に足がつかなくなるように思うことがある。
『果しなき流れの果に』も、クライマックスでは「時間と認識」という論文、哲学のような話に向かっていくし、NとMはどんどん非人間になっていく。それでも、最初にこの二人の経た「愛」であったり、仕掛けのように前半に挿入された「エピローグ」での、かつての恋人の待つ姿がそこに効いてくる。果しない時間旅行の中で、二人はどんどん人間性を失い、「秩序」と「自由」、「追うもの」と「追われるもの」という概念存在にどんどん純化されていってるように見えるのだけど、この「人間性を失っていく過程」によって、むしろ人間性が描かれているように思える。
◆3 描写
様々な世界について、「トーンが異なる」と書いた。こうした細かな描写の一つ一つは、小説の本筋とは関わらないのだけど、けれどそれこそが全体の壮大さを構築しているように感じる。
何万光年も何億光年も彼方、いや光すらとどかぬ暗黒の彼方に、さらにまたたく、無限歳の年をへた無限の星たち―……
……そこで彼自身は、つめたくひえきった大理石のような塑像のような、一個の星のかけらとなり、虚無の大渦流にまきこまれつつ、不思議な光に輝く星から星へと経めぐりはじめるのだった。
……これら、宇宙の極限に描き出される巨大未知の文字は、彼をして、あらゆる制約をこえたはてにある、純粋な「知ることの喜び」へといざないよせるのだ。(P74)
なんという平穏な終末!
人間は所詮、誰にもわばかれなかった。―もしさばくものがあったとしたら、おのれでおのれをさばいたのだ。「種」の連帯のもとに、「自然」と対決することを、ながらく怠り―そのむくいとして、自然の突発的な異変に対処する力を、きわめて不十分にしか蓄積できなかった。(P178)
死のような、白と青の光が、冥王星の第二衛星ケルベルスのフェリー基地を照らしていた。……
二十一世紀の半ば、思いもかけぬ大地震と地質変動で、日本列島が、わずかな高山頂をのこして海底にしずんでから、この古い歴史をもつ、文明度の高い、エネルギッシュな民族は、祖国を失った、さまよえる民となった。(P289)
そうして、あの美しいエピローグへとつながっていく。冷たさと情熱、喪失と永遠が同居するような静かなラストへ。
◆キーワード
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