ニーチェ『善悪の彼岸』読書ノート

※僕が理解した範囲・重要に思えた部分のメモなので、全体を網羅したものにはなっていません。参考程度に読んでいただければ幸いです。
※おおよそ書籍の内容に沿った要約ですが、個人的な補足やメモ、考察を含みます。これらは大抵 ※米印 がついてます。


1. 「独断論」批判…哲学は占星術のようなもの。プラトン以降の西洋哲学を外観し、その限界を予期させる。
2. 「キリスト教は『通俗的な』プラトン哲学だからだ」
3. 二度の危機…①イエズス会(宗教改革) ②啓蒙思想

1篇 哲学の先入観について

1真理の価値の問い
1. いわゆる形而上学。真理を問うこと自体への懐疑。そもそもなんで真理を求めるのがそんなに大事なの?

2危険なおそらくの哲学者たちの到来
1. デカルトとかの「価値が対立しあう」という信念を疑う…つまり真理-虚偽が分別出来対立するという前提
2. 形而上学とか哲学とそれが追う真理が、そもそも「誠実さ・無私」みたいなフィルターを受けてるという話
3. 仮象・欺瞞・利己・欲望、みたいなものの価値はなぜ無根拠に貶められてる? 善悪と真理の関係性の話

3思考と本能の深い関係
1. 哲学的思考に人間本能が関わってないか、という問い → 先天的に思考の方向付けが行われてるという指摘

4虚偽の判断の必要性
1. 「非真理が生の条件であることを認めるべきなのだ」 →「生」にまつわるものにバイアスがかかる

5哲学者の手品
1. 哲学者批判。「無邪気」さと「自己弁護」についてのもの。カント批判。
2. 単調な批判だが、深読みすると「言語ゲーム」や「知の欺瞞」的な話な気もする。
3. スピノザが「幾何学の体系を採用」したこと →数学の証明の技法で哲学することは単にレトリック=手品である

6哲学と道徳
1. 哲学の判断に、「その体系・哲学者はどのような道徳を目指しているか?」と問うことができる
2. 哲学は→認識することの欲動から生まれたと思われてきたが → 実際は道徳・個人的な何かを語りたい

7エピクロスの語った悪口
1. エピクロスはプラトンを「役者」と語る。芝居=虚構であること+レトリック・大げさなふるまい。

8驢馬の登場
1. 「そこにロバが登場した。美しく、いともたくましきロバが」
2. 一種の悪口→思考の末にたどり着いたものを劇的に見せてるが、実際はみすぼらしいもの

9哲学の暴力
1. ストア派批判。おそらく「自然に従って生きよ」の「自然」が恣意的であること。
2. 「自然が『ストア派にしたがった自然』となることを求めているのだ」

10現実と仮象
1. 「現実-仮象」について哲学がこだわっていること。心身論みたいな? 具体的に何か指してそう。
2. ニーチェの立場はそれに対し「肉体」「現実」に重きを置く。
3. 哲学者たちが「後戻り」しようとしてるのではなく「去ろう」としていることが大事

11カントの発明の魅力
1. カントは「アプリオリな総合判断の能力を発見したことを誇りに思っていた」主観的-自己の判断能力。自律
2. 価値→道徳の「判断能力」が人間の中にどのようにあるのか、に焦点が移る
3. シェリングの「超感覚的なもの」=「知的直観」
4. カントをメタ的に批判したい。カントの「判断」は無根拠にそれこそ基礎づけられてないか?
5. 「すなわち、人間という種の生存を維持するためには、このような判断が真なるものとして信じられる必要があったのはなぜか、ということを理解すべき時期が訪れたのだ!」フーコー的な「系譜学」の視点。カントの議論が成立した理由を考えていく。「眠りの力」というのもフーコーと関連。
6. ここでの「眠り」は「思考停止」くらいのイメージか。

12霊魂の原子論
1. 霊魂の原子論=霊魂の永遠性・モナド的な考えを批判する。

13自己保存の欲動
1. ここでの「欲動」は「本能的欲求」くらいの意味?
2. 生物の「自己保存の欲動」を本質的なものという考えを再考しよう
3. 「生そのものが力への意志」→「自己保存はそこから間接的にうまれる帰結」

14物理学の機能
1. 物理学(科学)は世界の説明=絶対であるというのが科学者の立場、「解釈=相対」であるとするニーチェ
2. 生理学、ダーウィン主義…現代科学の端緒について。実証的科学との関係。

15身体とその外界
1. 「外界はわたしたちの器官が作り出したものと主張する人々」→批判。トートロジーと考える

16直接的な確実性の迷信
1. デカルトは懐疑主義のようで「われ思う」のプロセスは前提にしてる。
2. 思考そのもの、思考する我々そのものについての疑問 →ざっくりいえば思考についてメタ的に考えたい

17エスが考える
1. ちょっと難? おそらく「思考する」プロセスそのものを疑っているという話か
2. フロイトのエス概念がここから大きく影響を受けた(注釈

18反駁の意志
1. 「反駁されうることはすなわち見るよくがあるということ」
2. また反論そのものに満足を感じる人々への皮肉

19意志の多様性
1. 「意志」は無根拠に、熟知されてると考えられてきた → ニーチェはもっと複合的なものと考える。例えば感情
2. 意志とは「命令を発する情動」→命令-服従というプロセスが関わってる。強要-抵抗
3. 意志を命令者-服従者に分割し、行為とは直結してないと考えてる

20文法の呪縛
1. まず間テクスト性みたいな話。オリジナルな思考は存在せず体系・近縁関係があること
2. 哲学が文法体系に影響を受けるという考え → ハイデガーあたりまで通じるサピア・ウォーフ的な話。眉唾。
3. ※サピアウォーフのwikiを見ると、カント、ゲオルク、ヘルダー辺りからあるっぽい

21不自由な意志という神話
1. 意志の自由(思考の自由)の批判。
2. 原因と結果の連鎖の誤用…恣意的に結果を結び付けてる、という話か。
3. 同様に「不自由な意志」も批判される…自分の行動を他者・環境に帰結させる論法
4. ニーチェの主張は「強い意志と弱い意志」があるに過ぎないというもの

22自然の合法則性の虚偽
1. 自然の法則の崇敬=つまり科学信仰的なものは、権力という恣意的なものに従属してることの批判が原因との批判
2. 「神様もまっぴら、殿様もまっぴら」と感じるので → 「自然法則万歳!」となる
3. ともあれ、自然を平等-法則的とする考えも実際は恣意的であるということ

23新しい心理学の課題
1. 良心的なものを批判するが、一方で「憎悪・嫉妬、所有欲・支配欲などを、生に必要な情動である…と主張する」ことも批判する。反道徳を訴えてるのではなく、非-道徳を訴えてるという話。

まとめ
- 非常にざっくりとまとめると、ニーチェはここで「思考」とか「意志」というものが思ったよりも不自由だよね、という話をしている。例えばデカルトの「われ思う」をあげると、「思う」「考える」みたいなことを私たちは頭の中で自由に=問題なく行ってるように思えるけど、実際は色々と限定されてるよね、という問いかけ。例えば肉体と、例えば言語、例えば文化、例えば本能…など。
- また、哲学だったり「生」が至高であるとか、そうした「当たり前」になってるもの、前提条件に対して疑問を投げかけるところから始まる。

2篇 自由な精神

24単純さの欺瞞
1. 単純さ →無知…「知・哲学」が、無知の洗練の上に成り立っている、という指摘。
2. 知⇔単純さ、が対立概念ではないという指摘。

25哲学者の殉教
1. 全体的には、哲学者が哲学という仮面をかぶりつつ一種の「デマゴーグ」として機能しているという話。
2. 哲学=客観的なものを装い、その実自身の主観的な主張を語るというプロセスに「堕落」しているとする。
3. 「地上での真理の擁護者の役割を演じなければならないときに、諸君は愚かになり、獣のように、牡牛のようになってしまうだろう」
4. 「身の回りには庭園にふさわしい人々を集めたまえ」
5. 「道徳的な憤怒の愚かしさ…この憤怒こそは、哲学者が哲学のユーモアを喪失したことを示す確実な証拠なのだ」

26キュニコス派の哲学者
1. ディオゲネス…卑しい人間という表象の捉えなおし。一方で啓蒙学者の欺瞞の批判。
2. 「憤慨して語るもの」(とその欺瞞)への鋭い批判 →これはつまり「真理・正論を仮構しながらその実エゴを主張しようとしてる」欺瞞への批判と思われる。

27理解されることの難しさ
1. 思考の店舗の話。読解してくれる人には「前もって誤解してくれるように遊技場と運動場を用意しておくべき」

28ドイツ人の文体
1. 翻訳と文体のテンポの話 →文化依存と考える
2. イタリアは「早く」ドイツは「重々しい・粘着性・長ったらしく退屈」なもの。
3. レッシング、マキャベリのテンポ。ペトロニウス、アリストファネス。
4. お前ギリシャ語とイタリア語どれくらいできるんだよ、という突っ込みはどうしましょう。

29独立不羈
1. 他者から独立・孤立しようとすることの強さ。迷宮の比喩。ツァラトゥストラを思わせるところ。

30洞察の功罪
1. 「最高の洞察は、一般の人々にとってはおろかなこと、犯罪であるかのように聞こえねばならない」
2. ※「高い資質・魂」を持った人とそうでない人にとって、知識は異なるという話。大衆論に近いところだが、現代から見るとそもそもこの辺りの「賢さ」の定義が引けないので問題感はある。むしろエンタメ-高尚なものが社会・モラル的なものとどう結びつくか、みたいな辺りで考えると良いかも。

31青春の幻滅
1. 「幻滅」というプロセスが青春を終わらせるということ。知識と感情の時代的な移り変わり、プロセス。
2. 深読みすれば、知識を得る事について段階があるみたいな議論ともとれる

32道徳の三つの時代とその超克
1. 「行為を結果からのみ判断する時代」を「道徳以前の時代」と呼ぼう。※因果の過剰とかとつながりそうなところ
2. やがて人間の進歩…貴族的価値・起源進行によって→結果より「起源」(原因)で行為の価値が決まるようになる
3. もっと言うと「意図」「意志」が重視されるようになる。
4. ※深められてはいない気がするが、ここは結構重要な話をしている気がする。単に倫理的に「意図」を否定してるのではなく、そもそも「意識」とか「意図」が明晰なものでなく複合的なプロセス…「皮膚」と語っているが…と考える。「意図なるものはたんに記号であり、兆候であるものにすぎず、解釈を必要とすると考えている」ここで意図があいまいなものになると、意図に対する評価=道徳 もあいまいになることを免れない

33利害関係のない直観の美学の誘惑
1. 「利害関係のない直観」→カント美学。美に関する判断は客観的であるべきだが → そのようなことは不可能
2. 一種「無償の」あるいは「客観」的判断みたいなものは、そもそも存在しえないが人間にとって「誘惑」である
3. ※もっと深読みすると、客観的であろうとすること → メタに立つこと →フーコー=サイード的な知=権力

34虚構と仮象の世界
1. 「世界が誤謬に満ちたもの」 →唯心論とかの話? 後にショーペンハウエル・バークリの名前が出る。
2. デカルト的な「全てを疑うこと」の身振りが、市民一般的には悪徳、哲学的には賢いことになってる欺瞞への皮肉
3. ここで「遠近法」はパースペクティヴ →主観からの価値、くらいに考えた方が良い?
4. ニーチェの考えは客観的真理の批判。メタに立とうとするとき必然的に主観が入り込んでるが忘却・隠蔽される
5. ここで「仮象」=精神が主体的に作り出す世界、みたいなものは優越できな。

35善と真理の探究
1. ヴォルテールへの皮肉。ここで「善」は主観的価値を免れないものなので、人々が言う「真理」つまり客観的な価値(ニーチェはこれも批判するが)とは相いれないもの。なので「善のため真理を求める」は全く意味をなさない。例えば「真理」が「人間は殺せば殺すほど良い」という結論を導きだしたとしてもそれを善と受け入れることはない

36力への意志の根源性
1. 「意志をほんとうに作用するものと考えるべきだろうか」因果関係と意志。
2. ここも人間の「意志」「思考」をどうとらえるかという話(もっと相対的に捉えたい)
3. 「力への意志」の語が登場。ニーチェはこの「力への意志」が人間の思考や行動の根源と考える

37大衆向きの言葉
1. レトリック。「大衆向きの言葉」は悪魔に属する

38過去の解釈
1. フランス革命は「茶番劇」→「過去が改変されて実際とは異なる素晴らしいものに見えてしまう」理想化される

39良き哲学者の資格
1. 幸福や善、安全で快なものを「真理」としてしまう理想主義者たち。
2. 「有害で危険な」思想も真理である可能性が当然ある。
3. 「人間が完全な認識を獲得することで滅びてしまうとしても、それは人間存在の根本的な特性かもしれないのである」
4. プロ哲学者的な存在が特権的であることへの批判。例えばスタンダール。哲学とは「哲学者」に限られるものでは当然なく、スタンダールやあるいは「悪人や不幸な人々」からも生まれる

40仮面
1. 「狡知の中には多くの善きものも混じっている」「隠れて生きる者」
2. 明らかにされているもの、明晰さ、(あるいは晴朗さ・楽天主義)のみが真理と結びつかない。
3. 一見悪いものが善を隠すこと、逆に善を隠す方がよいこと、という逆転の状態について

41自己の試練
1. 「一人の人物だけに心を砕いてはならない」「祖国に心を砕いてはならない」
2. あくまで「自分自身」を一つのポイント、足場とすることの必要性。
3. 『悲劇の誕生』のドイツ賛歌に比べると大きな変化に見える。
4. 「一つの学問に心を砕いてはならない。それがこのうえなく貴重で、まさにわたしたちのためにとっておかれたかのような発掘物をもって誘惑するともである」
5. 「飛翔の危機」これはまさにメタ的になることへの批判。

42誘惑者
1. 「新しい哲学者」→誘惑者 「どこかに謎が残ることを望む種類の人々」

43来るべき哲学者
1. 来るべき哲学者は「独断的な哲学者にはならない」→これまでの哲学者は主張する価値を押し付ける
2. 未来の哲学者は「わたしの判断はわたしの判断、他人にはたやすく自分のものにする権利はない」
3. 「多くの人と同じ意見を持ちたいという悪趣味はさっぱりと捨てるべきだ」
4. 「共同でありうるものは、つねに価値の低いものだ」

44新しき哲学者
1. 「自由な精神」を持つもの →現在この「自由な精神」は乱用されているが、これはニーチェの考えるものと異
2. 誤って「自由な精神」と呼ばれている者は、要するに厳しく言えば水平化する者たちなのである
3. 「自由と平等」は相反するという話→現代に通じるところ。
4. 彼らが全力を尽くして手にいれようとしているすべてのものは、あらゆる家畜の群れが望む緑の牧場の幸福である。すなわちすべての人が安全で、危険がなく、快適に、そして安楽に暮らせることである。彼らが朗々と歌いあげる歌と教説は二つだけ、「権利の平等」と「すべての苦しめる者たちへの同情」である。──そして彼らのうちから苦悩そのものが除去されねばならないと考えているのである。
5. そして苦難とか、さまざまな症状を示す病気とかには、感謝の気持ちを抱いている。それはつねにわたしたちを、ある規則や、その「先入観」から解放してくれるからである。
6. ※実にコロナ的、そして生-権力的な話。

まとめ
- かなりレトリックも多用され、シンプルな主張も多いので冗長さはあるが、重要な指摘がいくつか含まる
1. 一篇から引き続き、「思考」「意図」というものをシンプルに、絶対的なものとして捉えることを批判する。サピア・ウォーフ的文体の話も続くが、32節の「意志」についての記述がクリティカル。
2. これが二つ目で、「道徳」とはつまり人間の「意図」を評価するもの、という視点。つまり、「父親が憎く殺そうとして包丁で刺した」ときの意図が評価され、「不意に脅かされて反射的に振り返ったら手に持っていた包丁が父親に刺さった」という同様の結果を招いた事象と区別が行われる。(精神鑑定・心神喪失などがこれを複雑にする)道徳とは「これをすべきではない」というよりも「これをしようと考えるべきではない」という、ある価値への意図が評価される。ここで一篇にあるように「意図」が曖昧なものとされれば、道徳もまた曖昧になることを免れない。
3. 悪・不幸・不道徳・不平等と真理の関係。不平等については次で。「善と真理」を無根拠に結び付けるヴォルテールへの呼びかけ35に集約される。
4. 区別-差別。ニーチェ哲学が議論を呼ぶ理由の一つがおそらくここ。現代においてほぼ神学となってる「基本的人権」…その根本である「平等-公平」という考えに真っ向から衝突するため。この点においてナチスとニーチェの親和性ということはうなずける。もっと柔らかにするとエリート主義的なものにも通じる。曲解すれば、「弱い」人間は真理を得るに値せず、奴隷にしたり絶滅させることも否定されないかのようにも聞こえる。哲学の基本原則は真理が区別されない、非-差別的なもの、オープンソースであることだが、ニーチェはこの地点に批判を加える。
5. ただし、これに対しては、まず間接的な批判であることを前提にする必要がある。つまり「あらゆる哲学はこれまで真理が平等であると無根拠に仮定してきた」ことへの批判が最初にあり、カウンターとして始まっていること。客観から主観(パースペクティヴ)への転回。
6. 現代から見直すと、この辺りはかなり示唆に富む。というか「民主主義の限界」はニーチェの時代から既に予期され繰り返し語られてきたんだなぁ、という話にも思える。情報化社会やネットの複雑化の産物ではなく、結局「自由」と「平等」のバッティングは非常に根本的なものということ。「公共の福祉」をめぐる議論。44節で語られていることは、まさにコロナウイルスの事態を示しているように聞こえる。
7. とはいえ、ニーチェの語りは(19世紀に書かれたことを考えれば当然だが)非常にシンプルで突っ込みを入れたくなる点が多い。つまり、単純に逆張りになっているだけで、そっち側を突き詰めれば批判するものと同様の(あるいはもっと早く)突き当って絶滅を免れない。『これがニーチェだ』にあったように、敗北を運命づけられてる思想、というのがうなずけるのは、つまり孤立化していく思想は再生産力が低くなる=進化論的に見て弱くなる、みたいな話。

3篇 宗教的なもの

45大いなる狩
1. レトリック。「狩人」=新しい哲学者と、旧態の「学者」との比較。

46キリスト教の信仰と古代精神
1. パスカルの犠牲。キリスト教が「犠牲」と「服従」であること → 供犠と精神の犠牲と両方を指すように思える
2. 「奴隷は…苦悩を味わっているがゆえ…苦悩を否定するかのようにみえる高尚な趣味には反逆するである」
3. ※啓蒙思想と大衆の関係性。現代でいうならいわゆる「反知性主義」を思わせる。知的権威に反抗する姿勢をむしろ一般的なものとして見る。「あなたにも知性があり、私たちのように知性を持つことが出来る」という呼びかけに反抗している。穿った視点でいうのであれば、「鎖を外されてしまえば、奴隷は自らの戒めを盾にして保証を受けられない」ことかもしれない。

47宗教的な神経症
1. 宗教的ノイローゼ ①孤独 ②断食 ③性的禁欲 
2. ショーペンハウエル批判。奇跡について

48ラテン民族と北方の民族
1. 民族論というよりカトリックとプロテスタントの違い。
2. コントの実証社会学。サント・ブーヴ、エルネスト・ルナン。フランスの知の批判。
3. 簡単に言えば、キリスト教的な態度が(客観的であるべき)学問に入り込んでるという話

49ギリシアとキリスト教
1. 古代ギリシャ(プラトン以前)の宗教性には「感謝」が溢れていたという話。自虐的キリスト教と反対

50宗教的な忘我
1. ルター、アウグスティヌス。プロテスタントには「繊細さ」が欠ける →ディオニュソス的なイメージか

51聖者への敬い
1. 聖者=禁欲を体現した「謎」を崇める。→ただその背後には、克服・意志の強さ・強者イメージがある
2. この背後には「力への意志」がある、という話。聖者批判ではなく、聖者を崇めるのは、禁欲ではなく、実際はキリスト教の本筋とは別に「力への意志」を持った強者の価値への憧れがあるという話。

52旧約聖書と新約聖書
1. 旧約聖書をギリシャ神話・インド神話と比較。これらに類するもの=「神話」と考えている。「物語」
2. 新約聖書は「ロココ趣味」つまり貴族的で、家畜、卑小さ、欺瞞に属するもの
3. ※悲劇の誕生を思い出すと、旧約はディオニュソスに、新約はソクラテスべースの思想に当てはまる

53有神論の没落
1. 「神は意志を伝える方法を知らない」
2. 宗教的な本能の成長が、有神論それ自身を拒んでしまう

54反キリスト教的な哲学
1. デカルト以来 →霊魂の概念の暗殺を目指す。哲学が(隠れながら)反キリスト的になる。
2. ただし「反宗教的」ではない。→「霊魂」つまり「わたし」自我存在はうまく残る
3. 「カントが根本において証明しようとしたのは、主観を主観から証明することはできず、客観も[主観からは]証明できないということだった」

55宗教的な残忍さの梯子
1. 梯子=3つの犠牲 ①人間の犠牲=供犠 ②本能の犠牲=禁欲主義 ③神そのものの犠牲 →虚無の崇拝
2. ※おそらくは宗教を現代的な枠組みの中で捉え再構築している状況を指してるように思える

56悪循環の神
1. 永劫回帰に関わるところ。「しかも自分に向かってだけでなく、この人生のあらゆる劇と芝居に向かって、永遠にわたって飽くことなく、もう一度(ダ・カーポ)と叫びながらである。
2. 永劫回帰が「ダ・カーポ」という音楽用語で最初に出てくるところは面白い。音楽こそ、完全に同じものでありながら幾度も繰り返し聞くものだから。

57永遠の子ども
1. 永遠の子ども→精神の老いのようなものの拒絶 →キリスト教を示してるように深読みもできる

58無関心な不信心者
1. 宗教に対する無関心性。一種の伝統行事と変わらなくなっているということ。
2. 学者がそうした無関心性を劣ったものとして見ること…基本は学者批判

59表面的な存在
1. 「表面的」を賞賛するニーチェの逆張り。この辺りが「実存」と言われる辺りかもしれないが、その後の実存主義とはかなり異なる立場であることは大体わかった気がする。ニーチェは「実存は本質に先立つ」などとは言わないだろう。

60人間愛
1. キリスト教的な隣人愛が持つ欺瞞への批判ととれる

61宗教の効用
1. 「宗教とは、支配者と服従者を共同に結ぶ絆であり、服従する者たちの良心である」
2. 三種類の人々にとって宗教がどのようなものであるかを見る
3. ①強いもの・独立した物…支配の手段。装置として宗教を利用する。服従者を自ら服従させる
4. ②強くなる途中の人々 …支配層となるための準備の機会。自己超克。例えば修道・禁欲主義は自己修練
5. ③普通の人間     …「自らの境遇と性質に満足できるようにするための貴重な手段」服従を価値にする
6. 宗教を支配の構造と関連させ、機能主義的に眺めた見方。分かりやすい。

62宗教の代価
1. 才能があるほど成功する確率が低くなる不受理さ。
2. 「出来が良くない人々」に対して宗教はどう考えるか →当然苦しむ人々を正しいものと考える
3. 「これまでの宗教、すなわち至高の権力を主張する宗教は、「人間」という種族を低い段階につなぎとめてきた主要な原因の一つなのである。──宗教は没落すべきであったものをあまりに多く、維持してきたのである」
4. 非常に論争的な一説。字義通りとれば、障害者差別や人種差別の肯定になる
5. ニーチェを擁護するとするなら、弱者を守ることを批判しているのではなく、弱者を守るために強者の価値を貶めていること、強者を弱者の水準に引き下ろすことを善・正しいものとしていることが批判されている。価値についての問題で、この二つを切り離して考えれば差別とは言わないかもしれない。ただし社会的においてこれらはトレードオフにしかなりそうにない。

まとめ
1. 一種ニーチェの宗教学。心理学も少し混ざる。基本的にはキリスト教批判。仏教などの意見も少し混じる。レトリックが多くこの時期のヨーロッパについての個別的な部分も多いので内容は取りづらい。またキリスト教全体を批判しているわけではない。
2. 基本的には、いわゆるニーチェのキリスト教理解が出ていて、特に後半の ①61 「支配のツール」としての宗教 ②62 弱者の価値観に強者が貶められている というところは明確。
3. 現代からメタ的に見るのであれば、ここで言う「宗教」が今では何が担っているか、を考察できそう。メディアやネット、SNSなどの効果が考えられるが、構造よりも心理学的なところにフォーカスする方がよさそう。あるいは「愚かさ」という点。
4. 理解しやすさはあるが、単純化しすぎているという印象。

4篇 箴言と間奏曲 ※この一篇はすべてアフォリズムの形で書かれている

63教師とは 教師は自分と教え子の関係においてのみまじめに考える
64認識そのもののための認識 道徳のしかける落とし穴
65認識の魅力 認識の途上には羞恥心が働く。これが認識を魅力的にする
65a罪 「罪を犯してはならない」というとき神に対し不誠実となる
66神の羞恥心 自らをけなさせ、利用させようとする傾向
67唯一神への愛 ただ一人を愛すること、唯一神を愛することは独善的
68記憶と誇り 記憶が誇りに譲歩する
69殺す手 いたわるふりをして人を殺すこと
70性格 性格とは自らの典型的な体験を何度でも繰り返す
71カント 天文学者。「上なるもの」と感じている限り認識者ではない
72持続 高き人間を作るのは持続
73理想 理想の実現により理想を乗り越える
73a孔雀の誇り 自慢の羽を隠すことが誇りの現れと主張する
74天才 感謝と潔癖を持ち合わせていない天才は鼻持ちならない
75性的な特徴 性的特徴が精神に浸透する
76自虐 「平和な状態に置かれると、好戦的な人間は自分に襲いかかるものだ」
77原則 原則は主観によって多様に解釈される
78自己軽蔑者 自己軽蔑者は自身が自己軽蔑者であることを尊重する
79心の澱 愛されながら愛そうとしない人は澱を浮き上がらせる
80自己知 解明されると関心を失う
81真理のつらさ 真理を塩辛くして、あえて渇きをいやせないようにしている
82同情 すべての人へ同情することは自分自身への虐待
83本能 家が燃えているときは昼食を忘れる
84女の憎悪 「女が憎むということを覚えるのは、人を魅惑することを忘れ始めるときだ」
85男と女 同じ情動を感じても感じるテンポの違いがあるからすれ違う
86女なるもの 「女なるもの」に対する軽蔑心
87精神の自由 縛るほどに精神の自由が大きくなる
88当惑 賢い人物でも当惑を見せると信用されなくなる
89恐るべき体験 体験をした人間こそ恐るべきものではないか
90陰鬱な人物 「憎悪と愛によって軽やかになり」
91冷たさの熱 冷たいほどに燃えていると思われる
92評判の良さ 「良い評判を得ようと、自分を犠牲にしなかった者がいるだろうか?」
93愛想の良さ 愛想には人間の軽蔑にあふれている
94男の成熟 遊びの真剣さを取り戻したこと
95不道徳の恥 道徳を恥じる事の第一歩
96生との別れ 祝福とともに別れをつげるべきだ
97偉人 理想を演じている俳優
98良心の調教 良心を調教しようとするとかみつきながら接吻する
99幻滅 幻滅したものは語る「反響を聞きたかったのに賞賛の声しか聞こえなかった」
100安らぎ 自分を実際より単純なものと信じ込むことで安らぎを得る
101認識者 認識者はみずからを獣になった紙を考えがち
102愛の実り 愛されることを知ると興ざめする―愛がつまらなく愚かになるから
103幸福の危機 運命の喪失
104人間愛の無力 人間愛に力がないためニーチェは焚刑にならない
105教会への理解 自由な精神と教会が手を組んでいること
106音楽の力 音楽の力を借り情熱はみずからを享受する
107強い性格 最善の反証に耳をふさぐこと。強い意志とともに愚鈍への意志ともなり得る
108道徳的な現象 道徳的な現象は存在しない-現象の道徳的な解釈のみがある
109犯罪者の成熟 犯罪を矮小化する
110弁護人の手腕 犯罪の価値それ自体の弁護
111うのぼれ 誇りが傷つけられたときに傷つく
112信仰者 観想と信仰
113当惑の力 気に入られたければ彼の前で当惑してみせよ
114女性と性愛 「女性はそもそも、事物を客観的にみる視点というものをもてない」
115女性の愛憎 愛憎を共演者としない女は凡庸な俳優だ
116人生の偉大な時期 自分の悪を最善のものと呼ぶ勇気を持てたとき
117情動の意志 情動を克服しようとする意志という情動
118無邪気な賞賛 無邪気な賞賛をするものは自分がそうされることを考えたことが無い
119不潔さへの嫌悪 嫌悪を弁明することもできなくなる
120肉欲と愛 肉欲のために愛が育つと根が弱いまま引き抜かれてしまう
121ギリシャ語と神 新約聖書がギリシャ語で書かれてることへの皮肉
122賞賛 賞賛に喜ぶのは礼儀、精神のうぬぼれの裏返し
123婚姻 自由な同棲関係の堕落したもの
124比喩 焚刑の焚き木の山で嬉々としてるもの
125見損ない 不愉快を感じたとき相手のせいにする
126民族 偉大な人物に到達するための回りくどい手口
127女性と学問 まっとうな女性なら学問には周知をかんじるものだ
128真理と感覚 真理が抽象的であるほど感覚の動員が必要
129悪魔 悪魔は最も古くからの認識の友
130隠れ家 才能は化粧であり一つの隠れ家
131女性と猫 男女は自分だけを敬い愛している。
132美徳の罰 人は美徳故に罰せられる
133理想 理想を持ちながらたどり着けないものは理想を持たないものよりも軽薄で厚かましく生きる
134感覚の産物 感覚から生まれるもの・信じるに足るもの、やましくない良心
135ファリサイ派 善良な人間
136対話 思想を生むために他者を必要とする人、される人
137学者と芸術家 すぐれが学者は凡庸に見え、凡庸な芸術家はすぐれた人物に見える
138交際 つきあう人物ほどバイアスを作りやすい
139女性の野蛮さ 復讐と恋愛にかけては女は男よりも野蛮だ
140忠告 絆が断たれないようにしたいなら、それにかみつかねばならぬ
141下半身 下半身があるから人間は自分を神だと思わない
142恋愛 真実の恋愛にあっては魂が肉体を包む
143道徳の起源 虚栄心は、立派に行ったことは困難なものだったとみなしたがる
144不妊の動物 学問を好む女性は性的な欠陥があることが多い。男性とは不妊の動物である 
145脇役と化粧 脇役を演じるカンのない女性は化粧の才能にも欠けている
146怪物との闘い 「怪物と闘う者は、闘いながら自分が怪物になってしまわないようにするがよい。長いあいだ深淵を覗きこんでいると、深淵もまた君を覗きこむのだ」
147女と鞭 「善い女も悪い女も鞭を欲する」
148隣人の意見 誘導すること
149善の隔世遺伝 善悪は時代的に隔世遺伝する
150神の物語 悲劇は英雄をめぐる物語を語る。神の物語を語るのは世界。
151才能 才能を持つだけでは十分ではなく、才能をもっていることを認めてもらわなければならない
152知恵の樹 知恵の樹が生えているところはどこでも楽園だ
153愛と道徳 愛によってなされたことは、つねに善悪の彼岸にある。
154精神の健康さ 異議申し立て、不信、脱線、嘲弄は精神の健康の兆候。逆は病理的
155悲劇と官能 悲劇と官能は比例する
156時代の狂気 個人の狂気はまれだが、集団・民族・時代はくるっていない方が稀
157自殺の効用 「自殺を考えることは、きわめてすぐれた慰めの手段である。多くの悪しき夜を、これでやりすごすことができるのである」※寺山の「自殺は貴族階級のみに限定すべきだ」を思い出すところ
158暴君 心の暴君には理性だけでなく良心も屈する
159善悪への報い 善悪をなした人に報いる必要はあるか
160認識と伝達 認識を他者に伝えたとたんにそれを愛さなくなる
161詩人と体験 「詩人たちは自分の体験を恥知らずに扱う。それを使い尽くすのだ」
162隣人の隣人 隣人の隣人がわれわれにもっとも近いもの、と考える
163愛の力 愛は愛する者の例外的なところをあらわにする
164律法 イエスは語った「律法は奴隷のためのもの、立法ではなく神を愛するのだ」
165司牧者 羊飼いは先導すべき羊を必要とする
166嘘 嘘を語る語り口で真実を語る
167内密な関係 内密な関係は恥ずべきもので貴重なもの
168エロスの神の堕落 キリスト教はエロスの神に毒を飲ませ堕落させた
169自己を隠蔽するには 自分について多くかたることで逆に隠蔽する
170賞賛の押しつけがましさ ほめ殺し
171同情 同情には笑いを誘われる。
172人間愛 理由なしにある人を選び抱擁する。理由なしに選んだひとにそのことを告げてはならない
173憎悪 憎むのは自分と同等の評価をしている人、高く評価している人
174功利主義 「功利主義者の諸君、諸君が功利的なものをすべて愛するのは、それが自分の好みを運ぶ運搬装置だからなのだ。──だが諸君も、この装置の車輪の騒音にはがまんがならないのではないか?
175欲望への愛 人が愛するのは自分の欲望であり、欲望された対象ではないのである
176虚栄心 他人の虚栄心との衝突
177誠実さの逆説 誰も十分に誠実であったことはない
178人権侵害 賢明な人はおろかなことをしないものだと人々は信じる。これは人権侵害
179行為の結果 結果は道徳に影響しない 
180嘘の無邪気さ 
181呪われた人 呪われた人を祝福するのは非人間的
182馴れ馴れしさ 馴れ馴れしさの一方通行
183騙し だましたことよりも信じられていないことが心を揺さぶる
184思いあがった善意 思いあがった善意というものは悪意のように見えるものだ
185憎しみ 彼が気に入らない-まだ彼に及ばないから」と答えることは難しい

まとめ 良くも悪くも箴言。
1. 女性差別の感覚。擁護するとすれば、ニーチェにとって世界は軽蔑すべきものなので、女性を軽蔑することは二重否定的だし、暗に男性も批判されてる…と言えそうだが、時代的なものを加味したところで擁護は難しい。むしろ女性の地位向上に対してのもの? 同世代の女性論と合わせて語るべきとはいえる。もっと言えば、おそらくニーチェは別に女性論などには興味がなく、道徳について語る材料として女性論を持ち出している、ということは言えそう。ただし、当然現代から見ればそのような話は通用しない。というか通用しないということ-言わないことの両方が政治的言明になってしまう
2. こうしてみてみるとこの章は非常に大衆的であり、まさにこうした箴言を真に受けること、真に受けて自分を変えること、引用しいきがること、ニーチェ的であることを気取ること、すなわちニーチェと共に歩めないことを独白するようなリトマス紙のような役割になっていることがわかる。おそろしく冷めた目でこれらの箴言を語りながら、「君は一つでも真に受けるのかな?」と審美の目で見られているような気がする。役者ニーチェ。ただしそれは結構露骨に思える。
3. レトリックも含めて、ニーチェの道化的な言明は露骨すぎるほど明らかに思える。

5篇 道徳の博物学のために

186道徳の科学の虚妄
1. 道徳の根本的なところへの疑い。「道徳の科学」価値づけを客観的=脱-主観的に行えるか?という問い
2. それ以前に、そもそも「道徳」というものが根本的に成立するのか、というところを批判する。
3. つまり本質的な道徳がある、という前提で哲学者たちは語って来ていた。
4. ショーペンハウエルの話。フルートを吹く男がペシミストだって?
5. ※もっと言えば、これは一種「自然法」的なものへの欺瞞への挑戦ともとれる。例えば自殺・厭世主義を決して根源的な悪とみなさないニーチェの立場を考えれば逆に当たり前にも思える。

187情動の身振り言語としての道徳
1. 「道徳はその道徳を創始した人物を他人から弁護することを意図した道徳もある」以前の繰り返し
2. つまり「メタに立って」「客観的と語られてるものが実際は主観的なものではないか」と問う

188道徳の圧制の効果
1. かなり構築主義的な考え方に思える。「長い間一つの方向にしたがうということ」が「本質的に重要なこと」になる、という考え方。伝統、宗教、芸術などなどもこれによってすべて構築的に捉えることが出来る。より長く続いたものこそがそれだけ圧制=枠組=道徳となり、それが価値を生む。つまり価値とは「長く続いたもの」の上に成立している。非常にシンプル。
2. ニーチェは例えばキリスト教と服従の関係を、「訓練」おそらく「ディシプリン」みたいなところに着目しているように思う。

189断食の効用
1. 「働くことを好む人種にとっては、無為に耐えることはきわめて辛いことだ。イギリス人は日曜日を聖なる日として退屈に過ごすことで、無意識のうちに仕事日である週日を恋しいものとしているが、それはイギリス的な本能の傑作である」 ※バラードを思い出すところ。労働の欠如による退屈を「断食」と呼ぶこと。つまり禁欲主義と結びつけること。
2. ストア派の名前が挙げられるが、こうした「禁欲」のベクトルがニーチェの一つの問題意識である
3. ※だとすればコロナ問題についての「自粛」についてもニーチェの知見が働くだろうと思える。私たちは禁欲=自粛したい。この「実は自粛したいのだ」という欲望を明らかにするのではないか。それが価値=善となることが問題である。これはおそらく非常に明確な「善」となることが出来るためである。つまり自己という弱者の倫理に強者=行動可能なもの(経済的にあるいは年齢的に)を従わせる、という点で非常に弱者の論理として語れるだろう。この転倒した状況。(社会的に)孤独になるために、(自粛を破り)人に会わなければならない。
4. ※もっと踏み込めば、この状況はSFというよりむしろファンタジー的なものなのではないか。つまり思想・概念(禁欲主義)が実際に人を殺すという状況に結びついている。それは人類学でいう「呪い」に似ている状況に思える。

190プラトンとソクラテス
1. 「プラトンの道徳理論には、ほんらいはプラトンのものではなく、プラトンの哲学のうちにあって、いわばプラトンに逆らうものがある」デリダっぽい話ではある。あるいはポリフォニー的な。それはソクラテスのこと。
2. 「誰も望んで悪を為さない」というソクラテスの命題(悪は悪を正しいと思って為す)の批判「賤民」
3. 道徳の功利主義がこれと同様のもの。

191本能と理性の対立
1. 信仰と知識のどちらが先立つか(神学論争)→「本能と理性の対立の問題」
2. ソクラテスは理性(功利=有益性)の人であるが、アテナイ人は本能の人だった
3. ソクラテスは本能が勝つことを知っていたが隠した、プラトンは本能を理性に従わせた、という視点
4. 「キリスト教はこれを信(仰)と呼ぶが、私は家畜の群れと呼ぶ」
5. デカルトは理性だけに毛にを認めた →が、理性は一つの道具に過ぎない

192認識の創造力
1. 認識がニュートラルではなく自分の経験に依存してること。カントっぽいがよりウェットというか、より感覚的なもの、感情的なものに原因を求めているように思える。「情動」が感覚を支配する。
2. また「新しいものは敵対的-知っているものは親密」に感じるという違いの指摘。
3. ※現代から見れば脳科学と心理学実験である程度言えそうな話ではある

193夢の週間
1. 夢を幾度も見るとそれが現実の経験と変わらないものとなる

194所有欲
1. 男から女への所有欲、慈善家の援助者への所有欲、親の子への所有欲。教師、司祭、君主…

195道徳における奴隷の叛乱
1. ユダヤ人が価値を転倒させた。奴隷の叛乱はここで始まった。
2. ※もしメタ的にこの話を敷衍するのであれば、あらゆるところにこの転倒のベクトルは働くし、民主主義もおそらくはそこに成り立っていると言いたい。あるいはジラール的に犠牲の理論と呼んでも良い。

196道徳の心理学
1. 「太陽の近くには無数の闇黒の物体が存在していると推測することができる。──これらは人間には永久に見ることのできない物体であろう」

197道徳的人間と熱帯的人間
1. 猛獣=熱帯的(つまり野蛮な)人間こそが健康であり、文明人の方が病的という話。

198哲学における情動の制御の伝統
1. 結構本質的なことを話してる。キリスト教的な、今日「道徳」と呼ばれているものは、「古くなった家庭の常備薬や老婆の智恵のように、かび臭い匂いの染みついた処世訓や手先の技術のようなものなのだ」
2. 万人向け・一般向けにすることで → 無価値になるという話
3. ストア派から続く「情動の制御」について。スピノザ、アリストテレス…ゲーテまで

199命令者の道徳的な偽善
1. 「汝なすべし」という提言命令に従いたいという欲求を生まれながらに持っている
2. ※カントの裏をかく強力な議論のように思える。人はカント的な内なる命令に従いたい欲求を持つ
3. 「自己欺瞞…自ら命令していながら、他者からの命令に服従しているかのように考えること」
4. 美徳 = 公共心、親切心、配慮、勤勉、節度、謙譲、寛容、同情
5. 家畜的な政治体制の下では、民衆は服従することを好む。ナポレオンがその証言となる
200弱者と誘惑者
1. 「対立する欲動と価値の尺度」を宿している…※サルトル「自由の牢獄」までつながりそうな話。ある価値の決定的な力(例えば宗教、大きな物語)が喪われると、様々な価値が内側でケンカを始める。「弱い人々」はこれの終息を願うので、「鎮静剤」つまり前節の美徳にすがる。一方で「強い人間」はむしろこの対立を勝ち抜くことで強くなる。カエサル、フリードリヒ二世など
201家畜の群れの道徳命法
1. 道徳は無償のもの、無根拠的なものではなく、家畜を服従させる「有用性」由来であること
2. 勇猛さ・冒険心・略奪欲・支配欲は一種美徳だった時代もあるが、現代になるにつれ危険なものとなる
3. はけ口が少なくなるため不道徳なものとされるようになった
4. ※まさに道徳の基礎づけの変化を「系譜的に」見る視点
5. 「隣人を愛せ」ではなく「隣人に恐怖を与えるものを悪とせよ」に基づく道徳
6. ※後半、面白いところ ①隣人への恐怖に道徳がシフトする ②孤立・トンガること自体が危険視され悪となる ③中庸・平等=羊が道徳的なものになる ④犯罪者を罰するのでなく更生(あるいは去勢)すべきと考えるようになる 特にこの④は日本(あるいはテキサスとか?)の死刑に対する根強い反対と関わりそうな話である。一方で犯罪を心理学・脳科学などで「わかる化」しようとするベクトルはまさに「危険そのものをなくしてしまう」ことに通じる。 ⑤恐怖(=社会的脅威)がなくなることが「進歩」と呼ばれる。この点については割と同意が得られるのではないか。ファクトフルネスで「世界が良くなっている」と語るとき、例えばそこには「飢餓の現象」などが述べられる。
202家畜の群れの道徳
1. ニーチェは人々の道徳を「家畜の群れの道徳」と呼ぶ。
2. より中立的に言い換えれば、政府に服従させるという目的のために有益な道徳が本質的であると仮構
3. 「民主的な運動はキリスト教の運動をうけついだものなのだ」
4. 無政府主義の「犬」→例えばロシア皇帝暗殺が1881で本書の5年前。ドストエフスキーの没年でもある
5. ここでは「無政府主義者」(社会主義者も)も同様に「家畜」の道徳の信奉の点では同様
6. 「平等」「処罰を与える正義への不信」「同情の宗教」「苦痛への憎悪」
7. 「そして彼らは声を揃えて同情を叫び、焦るように同情する。苦しむことそのものに死ぬほどの憎悪を抱き、苦しむ者を傍観していること、苦しむ者を苦しむままにしておくことができないという、ほとんど女性的な無力に陥る。これらの輩はすべて意図せずに陰鬱になり、繊細になっている」
8. ※この辺りが「人道」の最大のポイントであるように思える。つまり「苦痛を限りなく除去すること」に対し無根拠の同意が行われる。「殺してはならない」的自然法もここから出てくる。ジェノサイド等の禁止など、根拠を問えば「いや、それを認めれば人類は死滅に向かうだろう」と反論されるかもしれないが、再反論として「なぜ人類は死滅に向かってはいけないのか? すべての人がやがては死ぬようにそれも運命ではないのか?」という反論がある。これが有効でないにせよ、自然法側が無根拠に有効という証明はおそらく難しい
9. 面白く感じるのは「苦痛の除去」あるいは「種の保存」辺りが前提になってること。逆に言えばこの辺りが崩せれば全体を崩せる可能性があるということ。
10. ※ニーチェは例えばジェノサイドを賞賛するのではなく、「ジェノサイドを禁止する理由に本質的な根拠はない」と言っており、もっといえば「ジェノサイドを禁止する理由は、人間を服従させる目的に通じている」と言っている
203新たな哲学者の登場
1. 「わたしたちにとって民主主義の運動は、政治的な機構の堕落形態であるだけでなく、人間の堕落そのもの、人間の矮小化した形態そのものであると思われる」
2. これを達成するのは「さまざまな価値を転換」する「指導者」
3. ※ヒトラーを用意に思い浮かべることが出来る。というか、ヒトラーがこのニーチェの文章を利用するのは非常に容易だし、ヒトラーが台頭していたときにこの文章を読む人はまさにヒトラーこそがこの指導者である、と読むことが出来ただろう。
4. ※ただし、「ヒトラー主義」(つまり彼の思想や語り)はニーチェ的であったとしても、実際に起きたことは全くニーチェ的ではないどころか、より強力な家畜の服従のように見える。ホロコーストそのものもそうだが、人々が「ホロコーストに目をつぶった」こと、アイヒマンのように責任をシステムに転化したことはもはやわずかに残っていた意志を投げ捨てる行為に思える。ニーチェ=ヒトラー的存在ならば、「ユダヤ人よ、目覚めよ、ともに世界を征服しよう」と銃を渡すのか?
5. ※ここでは民主主義のオルタナティブとして「指導者」などの語が出てくるが、壮大な社会実験(ナチス)を考えるまでもなく、ニーチェの望む世界観はそもそも「社会」になりそうにない。

まとめ
1. ル=グウィンがこうした精神を「人は自ら奴隷となることを望む」とエッセイで述べていることを思い出す部分。それは60年代の黒人の公民権運動+女性運動を背景に話していて論争的ではある。
2. 一つ目の反論としては、これを政治的に単純化して考えると ①外面的な抑圧=暴力装置や社会的権力 + ②服従を内面化する規律 の二つが働きあってるのであって、ニーチェは②だけを強調してるけど①も協働そてるっしょ、という考え。またこの先にはフーコーの生-権力(生-政治+規律権力)を持ってこれる。
3. 二つ目の反論として、市民運動、現代であればネット論談(#検察庁法案に反対します)が政府を変えている。これは服従ではない、というものがある。ニーチェであれば、それこそが服従の一形態と反論するだろうか? あるいはポピュリズムの話が出るだろうか。
4. ともあれ、ここでポイントになっているのは、 ①「規律=禁欲主義」に基づく価値が善と結びつけられ、②それは宗教・政府による恣意的なもので、③民衆を「家畜」にする、つまり自発的に服従させる、というプロセス。

6篇 われら学者たち

204科学と哲学
1. 「科学を哲学よりも上位の学問とみなすこの格付けの入れ替えは不当」
2. 「そしてなんと! 科学者が哲学者の役割を演じようとするのである」
3. 「専門家」のような貧弱な哲学者を見ると、確かに科学者の方が優越してると言いたくなる
4. ※もっというと、哲学には客観的指標がないので強弱をランク付け出来ないのが根本問題
205真の哲学者
1. ここでは哲学者を「哲学者」と「専門家」に分けている。
2. 大衆は哲学者を「浮世離れした」人物というイメージを作る。「賢さ」は一種逃避に見える
3. ニーチェは異なる哲学者像を提出する。「哲学者らしくなく」「賢くなく」生きるもの
206学者たるもの
1. 「強制されて払う敬意には不快感が伴う」
2. 学者は名声・名誉・尊敬を必要とするので、隷属関係を持ち、嫉妬心に邪魔される。
3. ※もっと構造的に考えれば、「付き合い」というレベルではなく、ある言説なり(科学でいえば理論が)力を持つためには、それを証明するコミュニティが必要になる、 という話かもしれない。数学の難問の証明がコミュニティがある方が早くできるという話にも似て。批評・哲学にはそれを磨き上げるコミュニティが必要だが、この設計は一方で服従関係によって哲学自体をの邪魔を行う
207中身のない人間
1. 「客観的な人間」とは道具であり鏡に過ぎない。そこに人格は存在しない。
2. ※一種完全なメタに立ってしまうと、「どんな事物も体験も喜んで迎える」ようになりフラット化
3. ここに至ると、学者は肯定も否定も、命令も破壊もできなくなる。「何も軽蔑しない」
4. ここでいう「学者」とは科学者のこと。科学者には倫理について語ることが出来ない。科学的客観性そのものが倫理をフラット化しようと常に務めてしまうため。
208偉大な政治の世紀
1. 「新たに発見されたロシアの虚無在ニヒリン」
2. ※断言こそが非道徳的なものとなり、懐疑を行うこと(≒メタに立つこと)がポイントになる.
3. 「客観性」とか「科学性」とか「芸術のための芸術」とか、「意志から自由な純粋な認識」などといってショーウィンドウに飾られているものは、その多くが化粧を施した懐疑であり、意志の麻痺した者なのである。
4. 国ごとでの違い。ヨーロッパ、ロシア、アジア
5. 「ヨーロッパを支配する一つの階級カーストの力で、数千年もの未来の目標を定めることのできる、永続的で恐ろしい独自の意志を手にいれようと決意する必要があるだろうということである」「あるときは王朝を望み、あるときは民主主義を望むという移り気にも、終止符をうつことができるだろう。矮小な政治が好まれる時代は過ぎたのである。次の世紀は、地球の支配をめぐる闘いの世紀だろう」
6. ※当然未だ人道主義、国際連盟のようなものは存在しなかった時代として、戦争・支配といった価値観への違いを考える必要がある。現代から精査すればニーチェの言葉は異なって受け取られるべきだが、一方でここでのニーチェの「民主主義とは異なる」例えば「意志」を持つ支配主体による政治、というのもとても可能と語ることは出来ない。
209ドイツ的な懐疑
1. フリードリヒ大王とフリードリヒ二世の話。懐疑
2. ゲーテとナポレオン、ドイツの精神
210来るべき哲学者の資質
1. 未来の哲学者は「今述べたような意味での懐疑家でなければならない」→フリードリヒ二世的
2. 「懐疑家であると同時に批判家と呼ばれる」
211真の哲学者
1. 「哲学者」の特別化。哲学のほんらいの使命は「哲学者が価値を創造すること」分析ではない
2. 真の哲学者は「命令する者であり、法を与える者である」
212人間の偉大さ
1. 哲学者は現代の価値とバッティングする。その秘密を暴き出すことで
2. 現代は「意志を弱めること」こそが美徳となる
3. ニーチェ的に「偉大」である条件は、独立、高貴さ、孤独、隠れる、遠ざかる、善悪の彼岸で生きる、自分の美徳の主人である、意志であふれるもの。
213哲学者の位階
1. 哲学者になるには「そのように生まれついていなければならない」「訓育」「素性」「先祖」「血統」が決定する。→とはいえ文字通りの「血」という感じではない…?

まとめ
1. 最初は科学者-哲学者の話をしてるが、後半は「哲学研究者」と「哲学者」の違いについての話になる。その間にある「コミュニティ」の問題が割と大切なようにも思える。サークルと言い換えても良い。
2. もう一つ中間部分で語られるロシア、ドイツ的、という話はこれまでの繰り返しのようなところがあるのでとりあえず置いといて。
3. 一つ目…科学者と哲学者の対比については、還元すれば「科学者には価値判断の根拠が存在しない」という話になり、これは現代までも通じるところ。例えば生命科学で人間のクローンを作るかどうか、という話は結局のところ科学そのものが科学の基準で判断することは出来ないという話。ES細胞とiPS細胞における宗教的な観点による生命観とか考えれば自明ではある。もっと広げると、「倫理を組み込んだ科学」を想像したエンデの議論がクリティカル。当然それは夢想であり存在しえない。とはいえ、ニーチェは現代、特に原子力以降の科学世界を見ていないので議論は単純というか、結果論的なところからの話になる。
4. 考えるべきは、科学の中には系統樹と優劣のランク付けが非常にしやすいという点がある。分野によって強弱さまざまだが、基本的には「もっとより多くを/正確に説明」できる理論がかなり客観的に判断できる。一方で哲学に関しては、カントを勉強すればソクラテスはほっといてよい、ということにはならないし、あいだみつをの人生訓とハイデガーとの違いを質的にランク付けすることは、仮にできたとしてもかなりあいまいなものになる。こうなると、哲学側がより「防御力」が弱くなってしまうところがある。
5. 一種学者の「コミュニティ」がその学問の体系の強化-再生産に必須となる、という話も面白い。前出の体系の問題にもつながってくる。科学者にとってコミュニティというか協働は不可欠ということが自明だが、哲学者側は必ずしもそうではない。ニーチェが批判するようにそれは悪徳にもなりうる…というか、現代においてはやはり哲学や批評、思想や議論が力を持つには、やはり彼らをとりまくコミュニティやメディアなどの「影響力」が重要なものになると思われるが、これらは設計をミスってはいつも崩れてるような印象もある。日本ではむしろ「界隈」「派閥」みたいな負のイメージがあり最初の段階から腐臭と秘教めいた匂いがする。オープンさの担保の難しさ。結局専門性ー実力のようなポイントではなく、人間性-情念のようなところでつながっている。それが有利に働くこともあるとは思うけど、例えば東浩紀流に言うなら「読者」との関係に関わってるように思う
6. 後半の「哲学研究者」の話は、まさに学問としての哲学の話―野矢茂樹の話にも通じるところ。ただしここれはこれまでのリフレインという感じ。

7篇 わたしたちの徳

214概念の辮髪
1. 現代においての徳とは「疚しきところのない良心」ではないか
215多彩な道徳
1. 道徳が多彩=多様となって一義的に決められなくなっていっていること
216敵を愛する
1. 敵を愛するとき同時に軽蔑を抱くようになったことは「高貴」で「進歩」である
217道徳的な識別力
1. 道徳的な識別力があるほど→他者への道徳的判断を行い攻撃的になる
218善良な人間の解剖
1. 知性よりも「本能」のほうが知性的である
2. 中産階級の凡庸な人物の「善良」さを解剖するべき
219精神の高さ
1. 精神の高さ、という複合的な(ニーチェはもっと本質的-生得的なものとしてるが)ものが、単に道徳を遵守することと取り違えられてるということ
2. ※面白い指摘は、ある程度道徳的判断ができる人間こそが、道徳を創造している人物への辛辣な批判を浴びせて自分のそばへと引き下ろそうとする、ということ。有名人が墜落したとき、崇高に思えた彼らも実際は自分たちと同じ、世俗的な欲望と価値を持っていたのだ、と感じたいという欲望。「メシウマ」的心理にこれも追加できそう。つまり問いは「他者の苦痛を喜ぶ心理は、本当に卑しいものなのか?」ニーチェなら否と答えるが、現代に照らして「なぜ否か?」と考えるところ
220利害関係をもたない者
1. 「関心のない」人々が賞賛される(例えば超越的に見える哲学者)が、実際はそう見えるだけで別のものを得ている。
2. 「犠牲」と呼ばれてるものは、一方で彼らが何か別のものを得ている場合がある
221利己主義を否定する道徳
1. 利己主義をのけようとする博愛は…裏返しではやはり誘惑するもの。利己主義をのけるという利己主義
222同情の宗教
1. 現代の宗教は同情の宗教で、自己への軽蔑を持ち、他者に「苦しみをともにする」ことを強要する
223神の道化師
1. 「衣装」すなわち文化体系やある歴史的な価値観を次々変更していった19世紀。系譜学的
2. 結局これらの価値体系が「衣装」すなわち交換可能であること
224歴史的な感覚の逆説
1. 長いが、「歴史的な人間」簡単に言えば超人で「新しい哲学者」の芸術の趣味について書かれている
2. ホメロスやシェイクスピアを愉しむことが出来る―ディオニュソス的な側面を
3. とはいえ望むものは「完成した黄金の冷たさ」ではなく「無限なもの」への欲望、という話。
4. ※やや言い訳的に聞こえる。内容的にはアポローディオニュソスの焼き直しという感じ
225同情に抗して
1. 功利主義・ペシミズムを並列に、「価値を随伴的な状態で測ろうとするもの」とくくる
2. 愚かなものは「苦悩をなくしたい」と望む、ニーチェは「これまでになかったほどに苦悩を強く、辛いものにすること」を望む。※ナウシカの「精神の偉大さは苦悩の大きさで決まる」を思い出すところ
3. ※ニーチェの考える「偉大さ」は、例えば単にディオニュソス的、カオス的な世界―すなわち「民主主義」が支配していない世界、例えば文化人類学が扱うような部族社会のようなものではない。最も理想的なのはソクラテス以前のギリシャ世界だが、同情が支配してるわけでもなく、苦悩が存在し、とはいえ迷信的でもない社会であり、当然これは空想の社会である。あるいは個人の偉大さに限定するとしたら、ニーチェの思想は面白いが「人生訓」の範囲にとどまりそうでもある。
4. ※もっと言えば、ニーチェは文化人類学のような相対主義-構造主義をおそらく軽蔑せざるを得ない
226義務という鎖
1. 人間は「義務」にとらわれているがそれは愚か。→ 義務は道徳の皮をかぶった抑圧のツール
227誠実さの罠
1. 誠実さへの批判。誠実さの行く末は「退屈な聖者
228功利主義のモラル
1. 功利主義…ベンサムとミル→新しい思想ではなく、「イギリス的な道徳」の表明に過ぎない
2. 「家畜の道徳」→人間には「位階」があるため、平等さ…万人に適用される道徳は意味をなさない
229残酷さの享受
1. 残酷さ→悲劇の称揚。「高度な文化」は全て残酷さから生まれた
2. 「闘技場につめかけたローマ人、十字架の恍惚に身をこがすキリスト教徒、火刑の薪の山や闘牛を見守るスペイン人、悲劇に向かって進みつづける今日の日本人」 日本人の状況を「残酷さ」の中で捉えてるのが面白い。
3. 「残酷さとは他者の苦痛を眺めるときに生まれるものである」
4. ※この視点でいけば、ニーチェはいわゆる「ソーシャルネットワークのディストピア化」つまり他者が他者に対し攻撃的となり苦痛が剥き出しに表現されている状況をまさに「高度な文化」が生まれる端緒、ユートピアであると考えるだろう。「人よ、名前のないもの(匿名)となれ、他者を傷つけよ、そして傷つけられたものよ、お前も傷つけ返すのだ」と叫ぶかもしれない。
230認識への意志
1. 人々が「精神」と呼ぶものとは支配への力であり、これは成長(=進歩?)を求める
231教えることのできないもの
1. 学び、確信は個人的な自己認識にすぎないため、教えることの出来ないもの
232女とは
1. 女性の地位向上に関するもの。基本的に差別。
2. ※まともに考えれば、ニーチェの女性観は完全に差別的というか、例えば人類学が当初捉えたようないわゆる「野蛮人」たちを生得的に劣っているものと考えるような、「本質的に別個の種」として捉える視点にしかいない、という話になる。人道的かどうかという以前の話で、まさに単純な経験不足、洞察不足から導き出されたものであり、簡単に言えばまともに読むには値しない。歴史的・社会的なもの=女性が置かれている状況を、女性の生物学的本質と取り違えている。
3. ※一方で最大限の譲歩を行うとすれば、この時代において女性が担ってきたもの、地位向上に向けて活動していることが、まさにニーチェが批判したキリスト教同様に、「弱者の戦略」すなわちマイノリティとしての女性の立場を用いて強者を平等側に引きつけようとするものであるため、それに反対してるとは言えそうな気はする。
233三人の実例 ロラン婦人、スタール婦人、ジョルジュ・サンド
234料理人としての女性
235母親らしい金言
236永遠に女性的なもの
237格言集迷い鳥
238アジア的な理性
1. ここでも「平等」の語がポイントになっている。つまり女性が「平等」を求めるそのベクトルへの批判
239女性解放運動
1. 「男のうちの男」が失われた結果、「女がしゃしゃりでてくる」そして「女は堕落」した
2. 女性の「戦略」…おおよそ男に取り入るやり方、が失われ逆に弱くなる、という指摘

まとめ
1. 前半部分は繰り返しというか、前の箴言部分みたいな感じで緩め。抽象的・イメージで語っているためそれほど発見が無い。225同情に抗して、の辺りはいわゆるニーチェ主義の「同情」「平等」辺りをしっかり語っている感じ。228での功利主義批判は民主主義批判と足並みをそろえる。
2. 229残酷さの享受、は非常にわかりやすい。日本人が登場する面白さも。「他者の苦痛」との関連での読み
3. 後半は女性論。言いたいことは分かるが内容的には…

8篇 民族と祖国

240ヴァーグナーとドイツの魂
1. 『マイスタージンガー』序曲について。評価するけど美しさと南方的なものが無い。
2. ドイツ的なもの→まあディオニュソス的という話。「ドイツ人とは、一昨日の人であり、明後日の人である。──ドイツ人にはまだ今日という時間がないのだ」
241偉大な政治
1. 二人の愛国者の話。大衆を国粋的なものへ先導した政治家は偉大か?
2. 答え・正気の沙汰ではないが、偉大なものはすべて最初においては凶器のようなものだ
242ヨーロッパの民主化の帰結
1. 文明・人道主義・進歩概念。ヨーロッパの変化、この中で枠にとらわれないノマド的人物の登場
2. 国民感情、アナーキズム…
3. 結論としては、「均等で凡庸な人間」が形成される。同時に例外的な人間も生まれてくる
4. 全体としてみれば「命令する者を必要とする」「服従的な」「奴隷的な」人間を作り出す。
5. ※何度も繰り返された話ではあるが、ニーチェが現代日本を見たら/あるいは日本でニーチェ需要が結構大きいのは、コロナでの自粛でも分かったことだが日本人がまさに「服従」の民族であるからかもしれない。ただ、これを即欧米の「政治的な」人々に対する弱さと考えることもできず、これらはトレードオフに思える。「ニーチェならみんな違ってみんな奴隷」と考えるだろう。
243ヘラクレス座 に突進しよう!
244ドイツ的な魂の解剖
1. ドイツ人は「深い」とされてきたが、今度は「鈍い」とされ、「中間の民族」である、とする。
2. フィヒテ、ジャンパウル、…ゲーテはどう考えたか? ナポレオンと関連する。
3. 「あけっぴろげ」「愚直さ」
245シューマンとドイツ音楽
1. ルソー、シラー、シェリー、バイロン。ベートーヴェン、ウェーバー、メンデルスゾーン
2. ロマン派の音楽の限定的な評価。音楽の質というよりは現象、熱狂とかで評価されてるという話か
3. シューマンの評価。
246ドイツ語の文体
1. 言葉のリズム、朗読が下手とかそういう話か
247ドイツ散文の傑作
1. 続いて文体の話。音楽的ではないということ。一方でイタリアはうまい。
2. 弁論もドイツ人は下手だが → 最近では技術が発達してきた → 説教師は知っていた。ルター訳聖書への評価
3. ※後のヒトラーの弁論術を思い出すところ。
248二種類の天才
1. 産出を好むものと、受胎させられ生むことを好むもの。男と女。英仏は後者。ユダヤ人ローマ人ドイツ人が前者
249自己のうちの最善のもの どの民族にも固有の偽善者ぶりがあり、最善のものを知らない
250ユダヤ人の遺産 ユダヤ人から善悪とも受け継いだ。崇高化すること。
251ドイツにおけるユダヤ人問題
1. 「ユダヤ人に好意を抱いているドイツ人には遭遇したことがない」
2. 英仏伊に比べ、ドイツ人はユダヤ人を「消化していない」
3. ユダヤ人は「最も強壮で強靭で純粋な民族」
4. ユダヤ人は実際は同化を望んでいる。「反ユダヤ主義を叫ぶ輩を追放することが有益であり正当」
5. ※ナチスと関わりそうなところだが、ここだけを読んでもニーチェが反ユダヤとも親ユダヤとも言えない。言葉の裏にユダヤ人に対する軽蔑がのぞいている、と読める気もする(それはフランス人もイギリス人に対しても軽蔑はあるが)ここで「反ユダヤを追放」せよという言葉は明らかに政治的なものであり、例えばヒトラーがこの地点を無視したところでニーチェの思想全体をゆがめた等の評価は出来ないと思われる
252イギリス人と哲学
1. ベーコン、ホッブズ、ヒューム、ロックへの攻撃。経験主義とか実証的哲学への批判はニーチェ的。
2. 「イギリス的な機械主義的な世界の愚劣化」
3. ブレイクとかイギリスロマン主義とかニーチェはどう評価するんだろうか。
4. イギリスには音楽も舞踏もない、という批判。ディオニュソス的なものと言い換えられそう
253イギリスと近代の理念
1. ダーウィン、見る、スペンサー→「凡庸な精神の者だけを魅惑し誘惑する真理」
2. 創造には無学さが必要であり、ダーウィン的科学の発見には狭さ(イギリス的なもの)が役立つのではないか
3. ※ここでのポイントは、イギリスがアポロ的、ドイツがディオニュソス的なものとニーチェが認識しているということ。フランスはこのイギリス的なものに追随したという位置づけ
254フランスのドイツ化
1. フランスでドイツ的なものが受け入れられてるということ。
2. フランスに残る能力 ①「フォルム」 ②モラリストの文化 ③北方的-南方的なものの総合の能力
255新しい音楽
256ヴァーグナーとカトリック
1. ヨーロッパ主義とナショナリズムの話。と思いきやワーグナーの話にシフト。

まとめ
1. いわゆる「ドイツ的なるもの」についての語りだが、この辺りはこれを読む人々や、社会・論談がドイツをどうとらえていたか、というあたりの知識にかなり依存するところなのでこの文章だけからではあまり語れることがない。気になるところはやはり後のヒトラーと関わりそうなユダヤ人に関しての記述だが、ニーチェの文章からだけでは反ユダヤ、特にナチスが掲げたような絶滅という観点を引き出すことは無理がありそうに思える。(むしろイギリス人を絶滅させたそうに見える)
2. ドイツについての話は印象の域を出ていないように見える。より世代が下って、よりミクロに、また近代社会・民主主義等との関連で文化人類学的な視点を入れた方がずっとよく理解できるかと思う。そしてそれさえも、ネット社会に入れば消えていってしまう。
3. コロナウイルスは(東北震災もそうだが、様々な災害は)こうした民族的なものを浮き出させるのに大きな役割を負っているように思える。ただしそれは常にリアクション的なものであり、日常的な民族の資質というよりは「非常事態における資質」という見方が出来る。これを一般的な事態にまで敷衍するのには当然大きな注意が必要となるはず。

9篇 高貴なものとは

257貴族社会の起源
1. 「人間」という類型を高めることが、これまでの貴族的な社会の仕事だった → 『言葉と物』の人間観へ
258貴族階級の本質 エリート主義的な貴族主義のイメージ。
259搾取の機能
1. 平等と人権思想は → 生を否定する意志、解体・頽落の原則である
2. 生は本質において、弱者を傷つけ制圧し、抑圧、過酷になること、強要することである
3. 搾取が歴史の原・事実である。これに正直であろうではないか
4. ※煽りというかレトリック的な部分。平等の欺瞞を喝破するのは良いが、これは同時に逆方向の「搾取」が本質であるという根拠にはならない。
260二つの道徳
1. 主人の道徳と奴隷の道徳。大衆/貴族。
2. バイキングの例。強者=精神的な強者、英雄、勇者を想定
3. 強者の世界は、老人と伝統を尊敬する。弱者の社会は老人を弱め子どもを尊敬する
4. 奴隷というか、現代に照らせば精神まいってる人が道徳を語る、みたいな状況を考えてる。感情に左右される道徳
5. そこでは、忍耐、親切心、同情、人助け…など「生存の重荷を担う」道徳となる
261虚栄心の謎
1. 虚栄心=「自らもっていない・値しないものによって評価されたいと願う」
2. かなり承認欲求っぽい話。「自分について耳にするすべての善い評判を喜ぶ」
262凡庸の道徳
263位階への本能
264教育と教養の役割
1. 教育・教養によって先祖の特質(あるいは文化)は確実に子に伝えられる
265高貴な者のエゴイズム
1. エゴイズムは「高貴な魂に必要なもの」=美徳して考える
2. 「同格の者たちの間」ではエゴイズムは悪い影響を及ぼさない
266他者の尊敬 自分を求めないものが他者を尊敬できる → エゴイズムとの関連
267自己矮小化 
1. 中国の格言「小心」 → 「末期の文明に固有な根本的傾向」 自分を下げる。日本にも通じる話
2. ここでは現代のヨーロッパ人もこれと同様だと言っている
268平均化への道
1. 「言語の歴史とは理解が短縮されるプロセスの歴史である」この辺り、現代的。グローバリズムに通じる話
2. 「危険が大きければ大きいほどに、何が緊急の問題であるかについて、迅速に意見を一致させる必要性がますます大きくなる」
3. ※敷衍すると、「ごくふつうの似通っている人々」―ニーチェの言う奴隷的な人々の方が、「迅速に意見を一致させる」プロトコルに強いため数量的に勝り、結果道徳制定などで力を発揮する。システム的に弱者の道徳が力を持つということ。現代社会に当てはめるとそのまま適用は言い難いが、構造として面白い着目点という気がする。当然現代ではメディア論が入ってくる。ただ、どちらにせよ「超人」的存在のもろさ・脆弱さは変わらない
269愛の力
1. 「心理学者が…選り抜きの症例や人間を調べるようになればなるほど、同情のために窒息する危険は強くなる」
2. ※心理学者自身の批判の話に映っていくのだが、むしる中盤…詩人・芸術家的な存在が異常心理学にひっかかる、みたいな話の方が面白い。平均化-同情ベースの世界においては突出したもの=異常者と芸術家が紙一重になる。ツェラーンはこうした逸脱者こそを「人間」と呼んだ。
3. 後半は「愛」の話。女性は「自分の力を超えたところまで他人を助け、援助しようとする」
4. 「女性は、愛はすべてのことをなし遂げうると信じたがる―しかしそれは女に特有の迷信なのだ」
5. ※「愛が全てを成し遂げると信じたがる」はむしろプロセスとして考えるとしっくりくる。現代社会において、宗教や伝統が解体され「愛以外」のものがほぼ数値化されるようになった状況では特にこれが強まる。むしろ「愛以外のあらゆるものでは、それぞれ固有のものしか成し遂げられない」と語れる。カネはカネのみ、名誉は名誉のみ。愛だけが生全体を肯定的に見せる(ような語りが行われる)
270仮装の心理学
1. 「深い苦悩を味わったすべての人は、精神的な自負心と吐き気を感じているものだ──どれほどまでに深い苦悩を味わうことができるかによって、その人の位階がほぼ決まるのである」
2. ※ナウシカの「精神の偉大さは苦悩の深さで決まる」に通じる。というかほぼオマージュに感じる
3. 「同情から身を守るために仮装が必要なのだ」ここでは同情こそが毒として働く
271純潔の意味
1. 人間は純潔の意味によって最も鋭く対立する
2. ※単純に処女性とかではなく不浄-清浄の観点が文化によってかなり違い、これが生理的な嫌悪・快と関係する、みたいな話として取ると現在まで通じそうな話。もっと言えば人間の美醜とかともかかわりそう
272高貴であるとは 「みずからの義務を全ての人の義務に引き下げない」「責任を譲渡さない」
273孤独の毒
274カイロスの前髪をつかむ手 天才は稀ではなく、偶然の好機をつかみ取る手が重要
275高貴さと低劣さ 人の低劣な部分にだけ目を向ける
276高貴な魂のもろさ 下劣な魂は障害を「やりすごす」方法にたけている。トカゲの比喩
277完成のメランコリー 完成する頃に、最初に知っておけばよかったことがわかる
278二枚目の仮面 
279悲しみと幸福 幸福になるほどそれが喪われることに悲しむ人
280跳躍の前 偉大な跳躍をする人はその前に後戻りしているように見える
281自己認識の謎 自己認識が確定的になると同時に常に反感を感じる
282食後の吐き気 控えめな人物が唐突に怒り出すとき
283他者の賞賛 他者を賞賛するときの欺瞞
284孤独の徳 ここで「放下」の語が出てくるが、ハイデガーとは関係する? 超然とし孤独に生きよ
285星からの光 偉大な出来事は遅く理解される →光が遅れて届くという天体の理論の知識
286下を見る人 広く見渡すためでなく、見下ろすために高みに上る人々
287高貴さの確信 高貴さとは? 業績ではなく信仰・畏敬と関連する
288感激の徳 
289隠遁者の哲学 隠遁者は一人よがりで不快な考えを伝える。より深い洞窟へもぐる
290共感の情 深い思想家は誤解されるよりも理解されることを恐れる
291道徳とは 道徳とは「魂を注視して楽しめるように発明された長期にわたる細心な欺瞞」
292哲学者とは 自己から逃走し自らに恐れを抱く。好奇心が強すぎて何度でも自分に戻ってくるもの
293苦悩の礼賛
294笑いの哲学 ホッブズは笑いを中傷。ニーチェは「黄金の哄笑」を賛美する。嘲笑は神に属する
295ディオニュソス神
296思想の午後

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