エドワード・サイード『オリエンタリズム』読書ノート

※僕が理解した範囲・重要に思えた部分のメモなので、全体を網羅したものにはなっていません。参考程度に読んでいただければ幸いです。
※おおよそ書籍の内容に沿った要約ですが、個人的な補足やメモ、考察を含みます。これらは大抵 ※米印 がついてます。

序説

1
1. オリエントの表象イメージが構築物であったことから始まる。それは西洋人の頭の中にだけ存在する
2. 基本はヨーロッパの話。アメリカ人でオリエントというと日本・中国のイメージになるが今回は前者
3. ①オリエンタリズムはまず「学問」分野に与えられるものである。オリエント学。
4. ②オリエントーオクシデントの二分法の思考様式。小説や哲学など著作に支えられたもの
5. 「オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋のスタイル…フーコーの『知の考古学』および『監獄の誕生』のなかで説明されている言説概念の援用が、オリエンタリズムの本質を見極めるうえで有効」
6. オリエントを阻害することで、西洋は自らの力を得る。

2
1. ディズレーリ『タンクレッド』→オリエントが情熱と憧れとともに眺められていたこと
2. フローベールの例…あるエジプト人娼婦の語りのイメージが広まること。
3. オリエンタリズムは構築物だが、しかし歴史・帝国支配はその構築物とともに具体的な力を得た。
4. この両面を理解する必要がある。オリエンタリズムが「虚偽だ」と分かっても構造は揺らがない。
5. グラムシのヘゲモニー理論の応用…政治的だけでなく、文化的ヘゲモニー(西洋文化)の存在
6. 西洋が至上でそのほか全てがオリエント…エキセントリックなものとする視点
7. 『アラブ名文集』『エジプトの風俗習慣』…偉大・純粋に学問的な著作とされるものでさえも
8. 例えばトルコ人を扱ったポルノ小説と同じように、オリエンタリズムのイメージに寄与するということ
9. 問い:オリエンタルな概念「全体」と、無数の著作家の作品「一つ一つ」を見るべきか? 一般と特殊
10. 以降では3つの局面(アスペクト)個別性と一般性のコンテクストをどう両立させるか、を見ていく

3
1. 純粋な知識と政治的な知識との相違
2. 知識は非-政治的。純粋に理論・中立的でドグマを超越したもの「であってほしいという願望」がある
3. パラダイムやエピステーメーの話の延長。科学-社会の応用、ここではインドやエジプトに関する知識
4. 社会的な前提に学問的な研究もフィルター=色付けが働いている = オリエンタリズム
5. 学問的な環境は、社会背景に強く影響される。 ※ブルデュー的でもある
6. 「学問的に中立的に」と言っていたとしても、既に絡めとられているという話。
7. 「帝国主義とフローベールの小説は関わっている」これこそがクリティカルだということ。

8. 「したがってオリエンタリズムとは、文化、学問、制度に外側から映し出された単なる政治的な研究主題または研究分野などではない。
9. 「また、オリエント関係の膨大なテクストのとりとめのない集合でもない
10. 「さらにまた、「オリエント的な」世界を抑圧しようとする「西洋の」なんらかの悪辣な帝国主義的陰謀を表象したり、表現したりしているものでもない。
11. 「むしろ、オリエンタリズムとは、地政学的知識を、美学的、学術的、経済学的、社会学的、歴史的、文献学的テクストに配分することである。
12. 「またオリエンタリズムとは(世界をオリエントとオクシデントという、不均等な二つからなるものに仕立て上げる)地理的な基本区分であるだけでなく、一連の「関心」、すなわち学問的発見、文献学的再構成、心理学的分析、地誌や社会誌の記述などを媒介として作り出され、また維持されているような「関心」を精緻なものにすることでもある。
13. 「さらにまた、オリエンタリズムとは、我々の世界と異なっていることが一目瞭然であるような(あるいは我々の世界に関わりうる新しい)世界を理解し、場合によっては支配し、操縦士、統合しようとさえする一定の意志、または目的意識―を表現するものというよりはむしろ―そのものである。
14. 何よりも、オリエンタリズムとは 言説/ディスクールである。そのディスクールは、生の政治権力と直接の対応関係にはなく、むしろ多種多様な権力との不均衡な交換過程のなかで生産され、またその過程のうちに存在する。

15. 「オリエンタリズムがむしろ我々の世界の方により深い関係」 →それを鏡に西洋世界が自己像を作る
16. 間テクスト性の話 → 文学的な影響関係を見る。これまでは一種ポジティブに使われている。
17. ここではむしろネガティブな間テクスト性が出てくる。 ①社会・権力的なパラダイムも影響受ける
18. ②文学的な間テクスト性のみを見て、政治的社会的な間テクスト性については都合よく目をつぶる
19. バルザックの例)キュヴィエとの文学論争は取り上げるが、君主制の圧迫の影響については語らない
20. ロックやヒュームの経験主義について、哲学的影響を語るが、人種・奴隷制度の結びつきを忘れる

21. 間テクスト性を「その分野のみ」に適用する → 知や学問が中立・純粋であるという無意識な視点
22. マルクス主義文学理論はこれを適用しようとしていた。(フェミニズム文学批評も?)
23. 追加:カーライル、エリオット、ディケンズ等の知識人は帝国主義について尋常なく良く知ってる
24. ミル「インド人が文明において劣っていることは明らかである」常識として共有されていた。
25. こうした観点が、哲学なり、人間についての思考の際に影響していないとは言えない
26. 文化的なものに政治・社会を入れるとき、純粋でなく「汚れた」ものとして捉えられるということ
27. 実際はこの逆で、むしろ 文化が耐久力・持続性を得るためオリエンタリズムを必要とした
28. 研究の端緒=出発時点について。フランス・イギリス・アメリカ人の経験に基づく語り。
29. 地域についてはアラブ・イスラムについてのものに絞る。インド・極東は除外する。
30. まず植民地主義のイギリス・フランスが実地研究・適用。アメリカの著作も莫大に多い。

31. 聖書学についても引く。近代オリエンタリズムを聖書学が支えていた。
32. ドイツについて紙片を割いてないのは批判されるべき。ゲーテやシュレーゲルの作品がある。
33. ただし、ドイツの観点は想像・イメージの中を出ない部分がある。
34. ポイント:分析するのはテクストの表層・表象についてのみ見る。「隠されたもの」ではない。表面
35. そもそもオリエンタリストとは、東洋の「神秘」を西洋のために「暴く者」、外在的にのみ現れる
36. 一つの区切り…18世紀の 60-70年代、特にナポレオンのエジプト遠征以降を「近代オリエンタリズム」
37. これ以降、ヨーロッパは科学的にオリエントを認識をするようになった。精密に・規律的になった
38. またこのとき、インド=ヨーロッパ言語…言語学的観点の研究が生まれた。
39. 重要な文献…エドワード・レイン『現代エジプト人の風俗習慣』多く引用・参照される。
40. フーコーは「個々のテキストや作家にはさしたる重要性はない」全体を見る

41. 一方レインの著書はハブとなり、特殊な例だが、一つの著作が大影響となる例。こういう場合もある
42. 「最も重要な仕事は、今日オリエンタリズムに代わりえるものがなんであるか。どのようにしたら他者を抑圧したり操作したりするのでない自由擁護の立場に立って、異種の文化や異種の民族を研究することが可能であるかを問いかけてることであろう」
43. 全体見取り図 1章…歴史と経験、哲学的主題と政治的主題
44. 2章…詩人・芸術家・学者の著作に共通するテクニック 3章…1870年以降の植民地拡大の歴史的
45. 冷戦時代には、共産主義との闘いにおいて、戦略・地政学・経済的重要性による研究。国家的事業
46. エレクトロニクス…テレビ・映画・マスメディア時代は、画一的な言い方が強化される
47. ※インターネット以降ではまた少しねじれたものがあるのでは
48. 結局二分法…アラブは石油、イスラエル、テロリスト…といったイメージと二項対立でしか成立しない
49. 「文学と文化は政治に対してまた歴史に対してさえ責任がないという主張に私はしばしば出会う。しかしそれを正しいと思ったことは一度もない」


※ 文化の純粋性にオリエンタリズムが必要だった
- 偏見を作る → 差異ができる →論争が出る →これを土台に強力な作品を作ることができる。むしろ「優れた作品」が先にあるのではなく、「優れた作品が生まれる土台が作られる」と考えること。ポピュリズム的なものを考えても良い。
- 一種のマッチポンプとして考えることもできる。例えばジェンダー論とフーコーの議論のように、そこで対立する議論が鋭くなるほどに、その差異のフィールドの中で鋭い作品が作られるという考え。
- ここにおいて、オリエンタリズムは「表象文化論」の考えそのもの、と言えそう。例えば優れた作品、天才、というものを、「私たちは何を天才とみなすのか、どんな作品が天才として評価されるのか、誰が(あるいはどれだけ多くの大衆が)ある作品を天才と評価するような土台ができるのか…とその土台、ベース、枠組み、あるいは差異のフィールドをオリエンタリズムが作っているということ。
- これを延長すると、「戦後にいい作品が多くある」という言説が再考される。あるいはアウシュヴィッツの物語。アウシュヴィッツは尊厳という概念を強力に定義し、戦争は死、無意味な死、どちらにせよ、ある強烈な価値観のセットを作り上げる。巨大な伏線のようなもの。例えば『この世界の片隅に』を私たちが美しいと思うとき、「なぜそう感じられるのか」と問いかけること。戦争と戦後と数多くの状況、それは日本の歩んだ様々な歴史とそこでの言説、表象がこの作品をそう見せているということ。
- あるいは60年代。
- それらの作品が「本質的に」優れているとか、その時代の作家たちが優れているとシンプルに言うことは出来ない。それはオリエンタリズムと同様に、そこに何らかの対立軸が存在している。

※私たちの生きる時代において、こうした間テクスト性はどのように現れるだろうか?
- 現代、こうした「ハブ」となるような「重要な」文学作品、あるいは哲学的作品は成立が難しく思える。その点ではフーコーのように、「個々の作品にはそれほどの重要性がない」、と語ることは可能と思われる。むしろ現在においては、SNSも含めた影響関係、それらが与える人々の感覚の構築を考えることができる
- 一つのポイントは「科学」あるいは「データ」といった情報に基づくものに関する言明・言説だと思われる。むしろハイデガーを考えるべきか。アートの分野ではダムタイプの扱ったテーマ。サブカルチャーは挙げればきりがないが、例えばドラえもんや手塚作品が語る科学・未来イメージ。
- あるいはより政治的なもの。日中韓関係など周辺国に対する印象・イメージと文化闘争。またはジェンダーやマイノリティ、アイデンティティポリティクスに関するものにも拡張が可能なのえでは。

第1章オリエンタリズムの領域

1-1 オリエンタルを知る
1. 話をどこから始めるか。1910年のバルフォワの演説から始まる。
2. 主旨「イギリス人はエジプトについてよく知っているので、彼らを支配するべきだ」
3. 特に歴史の部分が大きく、「外観できる」ということ=知によって権力を得るフーコー的構図
4. 「彼らはかつて偉大な文明を持っていたが、自由主義は持ちえなかった」というロジック
5. パターナリズム的に、民主主義によって機能することは彼らにとって幸福である、というロジック
6. ※アメリカのマニフェスト。ディスティニーにも通じそうな部分。問題は民主主義=最善という前提
7. これは「西洋の文明諸国全体にとって利益であるということは疑問の余地がない」
8. ※イラク戦争にも通じる考え。ただしイラクの場合はイラクの中の「自由主義を望む人々」を想定
9. パラドクス…反対勢力はデマゴーグ=先導者であり、善良な存在は言葉を奪われている。
10. こうすれば、あらゆる意見を自分たちに(民主主義にそう限り)都合良く解釈できる

11. イギリスはエジプトを知っている。エジプトが「知を持ちえないこと」を知っている。
12. そのため、イギリスはエジプトを占領することでこのことを確認する。
13. エジプトにおける英国代表、イブリン・ベアリング=クローマー伯爵はさらに論を進めている。
14. 人類学的なオリエントの思考様式。ふるまい方を考える…かれらは従属的サブジェクティブな本性
15. ※言ってしまえば、かれらは論理を持たず非合理的な 準-人間的存在とカテゴライズする
16. 彼らは「幼児的」「被後見者的」存在。また独立を許すと「コスモポリタン的にならない」という点
17. ※ここ、グローバリズム的価値観に既に通じる考え方で興味深い
18. ここで「世界に開かれた存在」であることは問答無用で「良い」こと、現代でも疑われてなさそう
19. クローマーはインドでの経験も含め、インド・エジプトをひとくくりにする→オリエンタリスト的
20. オリエントの心は正確さを知らない。ヨーロッパ人は論理的で機械の部品のような知性

21. オリエントの精神は混乱し推理がずさんで、冗長で明瞭ではない。自発性にかけ動物虐待を行う
22. 「余は、オリエント一般の行動の仕方、話し方、考え方が、いずれにせよヨーロッパ人のそれと全く正反対であるという事実に注目して満足の念を覚えるものである」
23. キッシンジャーも日本に対して全く同じことを語っている。
24. オリエンタリズムの人々は、西洋の世界観の枠組みの中に封じ込められ、表象される存在。逆はない
25. さらにさかのぼり、イギリス-フランスの植民地拡大期。拡大競争をしつつ知識の共有もあった。
26. この中でオリエンタリズムの観念も共有され、共同で作り上げ、また支配地域も内面化していく
27. インドの支配層は55歳で定年しイギリスに戻る →インド人は老いたイギリス人を見たことが無い
28. オリエンタリズムが現代まで存続している地点。それをどう考え描けるのか? という問いかけ
29. オリエンタリズムのイメージは…同心円・階層構造。中央=ロンドンから広がる同心円状。
30. 地理的に遠いほどオリエントとなる、という地政学的なイメージがあること

31. キッシンジャーの日中観…バルフォアを洗練しただけで本質は同じ。 西洋/東洋の仕切りが先にあり、
32. 西洋に「合理的・平和的・自由主義的・論理的」を割り振り、オリエントはそうではない。
33. キッシンジャーの区別:先進国/開発途上国、そして「ニュートンの学説」の世界観を挙げる
34. 科学の中立・客観性を利用している点で、バルフォアの時に比べ洗練されてる
35. 精神医学グリッテンの記述…「アラブは一致を重んじ、恥の文化に安住しており、復讐を美徳とし…」
36. 「アラブ人は戦争が正常な状態であるという」 ※日本の描写でもあり、内面化でもあった
37. ※文化人類学の営みそのままでもある

3 心象地理とその諸表象 -オリエントのオリエント化
1. オリエンタリズムという学問の成立、他の学問との違い・特殊性…地理的に広さ、西洋主義の不可能性
2. ナポレオン以前のオリエンタリズム…紀行文や地理的な学問の一つ。エキセントリックなものへの憧れ
3. 地政学的に包括的で大きな学問分野であった。マルコポーロ、チンギスハン、シルクロード…
4. 中世以前のイメージ=世界の果て…ではなく十分に分析される重要なもの。
5. ただし一般のイメージはエキセントリシズムに彩られている
6. ユゴー、ゲーテ、ネルヴァル、フローベール、フィッツジェラルド(コールリッジも)
7. レヴィスト「具体の科学」のまとめ …人間は秩序を必要とし、ものごとをカテゴライズする。
8. 対象と自分との関係性・役割で分類。カラスが不幸/幸運だったり、そこには恣意性・偶然性が働く
9. ファッションの移り変わりも恣意性の一つの例
10. 過去をたどる…ギリシャ人の「バルバロイ」、ギリシャ悲劇に描かれるペルシア人

11. クセルクセスやダレイオスが登場するが、オリエントイメージはここで既に始まっている。敵側。
12. 「バッコスの信女たち」にデュオニソスがオリエントを表象する。混沌。
13. ※例えばツァラトゥストラ、ニーチェの思考もオリエンタリズムと結びつけられるのか
14. 秩序的な「われわれ」に対し、よりプリミティヴなものとしての「かれら」という表象の区分
15. 「バッコス」のオリエント存在は、ヨーロッパの神等によって「声を与えられ」て発言する。
16. 「オリエントに声を与えるのはヨーロッパなのである」
17. 最初に重要な2人…実際にオリエントを見た存在として、ヘロドトス、アレクサンドロスの二人
18. 「明らに異質で遠く、隔たったものはかえってよりなじみ深い地位を獲得するものだ」
19. オリエントは「軽蔑と憧れ」の間に揺れる。野蛮なものへの嫌悪とエキセントリックなものの喜び
20. 一方でスペイン南部・オスマン帝国等、実際に制服・衝突が行われていた場所では「恐怖」もあった

21. ルネサンスのイギリスでも、イスラムがキリスト教に侵入してきた歴史は詳細に知られ劇場で上演
22. ただし、このとき知識にも階層があり、研究者と一般市民の間でイメージには開きがあった
23. 例えばイスラム教はキリスト教の劣化コピーとして理解された。
24. 「合理的なイスラム教」というイメージが仮に語られたとしても人々はそれを受け入れられない
25. ※「北朝鮮の人々は実際幸せだ」あるいは「環境運動家が実際は思慮深い」を受け入れられないように
26. 思考の枠組みが先行しすぎているため、それに反するイメージが嘘として受け入れられる
27. ※この辺り、実際は心理学とメディア論の話かもしれない
28. このときコーランは完全に無視、ムハンマドは好色・放蕩・暖色…キリストの敵のイメージを帯びる
29. 「つまりオリエントとはそこに全東洋が閉じ込められた舞台。この舞台の上に登場人物が現れ、自身の一層大きな全体を表象するという役割を演じる」
30. ※日本のマダム・バタフライを外国人が解釈し演じるように。フィルタ付きのイメージが再生産される

31. ※おそらくオリエンタリズムを理解するのに最も分かりやすいイメージ。サイファイジャパニーズ
32. ※ゲイシャ・フジヤマ、サムライ的なもの…世界のイメージに重なっている。
33. ※そしてそうしたイメージの下で「面白い」物語が生まれる。シェイクスピア。スフィンクス、クレオパトラ、プレスタ―ジョン…ディック、これらの「差異」のイメージ、エキセントリシズムとのかかわり
34. ミルトン、シェイクスピア、セルバンテス、ローランの歌
35. デルブロ―東洋全書-ビブリオテーク・オリエンタル。ヨーロッパでの大きな参考文献となる 1697
36. ビッグヒストリー的な野心的な差作品。イスラムがメインだがモンゴル、トルコ、スラブを含む
37. 歴史・民族・風習・地理などを含めた総合的な書物。百科全書的なもの。
38. このとき既にヨーロッパは、オリエントが科学・合理的な西洋に対し劣っているという枠を持つ
39. イスラム教は「マホメット教」という差別的な、野蛮・異端・詐欺的なものと語られる。
40. 重要なのはここでマホメット-イスラム教が「把握」され「キャラクター化」されたこと。フーコー的

※「旅行とオリエンタリズム」
- ここにおいて、私たちは旅行とオリエンタリズムの関係性を考えるに至る。私たちが旅行に出かけて、例えば善意の中で「恵まれない子供に愛の手を」と叫ぶとき、貧困状態の子供たちのためのNPO団体、社会活動を撮影するとき、そのイメージや語りがどうなるか。それをどう語っているか。ねじれたポイントは、むしろ社会的であろうとすればするほどに、その語りは途上国の「暗部」に集中していき、日常―例えばショッピングモールの話にはならない。観光客は暗に、世界の全てを「文明的な」自国と同じものにしたいという欲望を抱いているといえないか。
- 私たちは経験を観光の材料に落とし込むことになる。
- 特にダークツーリズムにこの問題は大きく影響することになる。

41. 百科事典の中に押し込め並列化することで、魔法を剥ぎ取り、概観し、無害・矮小化すること
42. キャラクター、消費物としてしまうこと(ユダヤ人のステレオタイプ作成にも近い)
43. 「文化は常に良い文化に対して完全な変形を加え、それをあるがままの姿としてではなく受け手にとってあるべき姿に変えてから受け取ろうとしてきたのである」
44. ※現在においてはISISや北朝鮮のイメージにつながる可能性
45. 例えばドイツロマン派にとってインドの宗教はゲルマン-キリストの劣化コピーに過ぎない
46. ダンテの神曲、地獄にムハンマドが登場。地獄の底に近い場所にいて、永遠に体を引き裂かれ続けている。そしてその内臓や排泄物が精密に描写されている。
47. また地獄の入り口には、アヴィケンナ等イスラム学者がギリシャ哲学者とともに。
48. ここでコスモロジー―キリスト教の神聖さが中心にある秩序世界の中にムスリムが位置付けられる
49. ※日本人がムスリムに対して同様の再生産を行っていないだろうか?
50. オリエンタリズムはこうしたイメージの再生産・繰り返しと関わる

51. こうしたイメージは繰り返され、一種の現実性を帯びていく。
52. 「心理学的に見ればオリエンタリズムはパラノイアの一形態であり、歴史的知識とは別種の知識である」
53. これは現代に共通する部分もあるし、異なる部分もある、というのが次の部分。

※ロジックドリブンの世界観
- なぜ私たちがジェンダー論や環境保護論者やあるいはビーガンを見たときに一種の「笑い」―特に哄笑で反応するのか。それは「ロジックの矛盾」に対して向けられているのでは? すなわち「そのロジックで行動するのであれば、●●しないのはおかしい」という比較によってもたらされるもの。当然人間は矛盾の中に住むのだが、これをたどり続けていくと結局のところ最強になるのはロジックを持たない、あらゆる主張を持たず、ただ一つの主張は「相手の嫌がることはしない・押し付けない」という態度が最も防御力が高くなる、という構図がある。
- ジェンダーについては「個々の問題に口を出さない」、環境保護に関しては「個々ができることをする」、ビーガンに対しては「好きなものを食べる」…元の主張は他者への変化の「要請」で、その際に必ずロジックを必要とする。ロジックが甘ければそれは結局欲望、個人の感情的な部分から生まれてきたものとされてしまうため、より中立・客観的な背景が求められる。
- それは「道徳」的な価値を帯びる。この話でいけば、当然ながら最も道徳的な存在とは、ジェンダー論者、環境保護論者、ビーガン、あるいは思想的には対立するように見えて、右翼団体・保守団体も含まれるだろうか。道徳とは「他者の行動の変化を要請するための価値のセット」と定義してみる。このとき個人-自由主義とは反-道徳そのものであり、これはまた生権力と重なりそう。

1-3 プロジェクト
1. アジアは基本的にはスムーズに侵攻・支配・植民地化したが、イスラムは長く抵抗し続けていた
2. アジアがイメージで語られやすい一方、イスラムは政治的な恐怖、軍事的な挑発が強かった。
3. 第三項としてインドがある。極東ほど遠くないがイスラムほど近くもない。
4. 1708 オックレー『サラセン史』イスラムの知識が与えた影響。ルネサンスの知の流入とかか。
5. 1769 英仏植民地戦争の後イギリスが支配権確立。
6. 1759 アンクティル(英)がインドへ。アヴェスタを翻訳。本人は聖書をより完全にしたかった。
7. 一方でアヴェスター=聖典はむしろ聖書に並ぶ構造で → 聖書を相対的に見る契機に。ヴォルテールへ
8. ウィリアム・ジョーンズ。法律家。1783 インドの公務員となりインド文化研究。
9. 1770年代、ヘイスティング総督はインドをインド固有の法に基づくもので支配しようとする。
10. ただし、このとき持ち出したのはサンスクリット、マヌ法典。この翻訳にジョーンズの協力を得る

11. オリエンタリズムの歴史は、法律家と医者の研究が多い。「治療-非治療」の関係。
12. 「ヨーロッパ人が古典的オリエントという過去から引き出したものは、自分たちのためだけに有利に働かせることのできるヴィジョン(および、何千という事実と人造物)であった。一方、近代東洋人が彼らから与えられたものは、便利さと改良と、そして近代オリエントにとって何が一番良いのか、ということについての、ヨーロッパ人が下してくれる判断の恩恵であった」
13. オリエンタリズムへの介入が「プロジェクト」となるきっかけはやっぱりナポレオンの侵略。
14. ①ナポレオン自身が戦略の計画を立てるにあたり、紀行文・歴史とかのテキストを参考・土台にした
15. ②学者を軍属に入れてイスラムを研究させ情報戦を行った。「我々はイスラムのために戦っている」
16. ③イスラムの学者も招待、コーランに敬意を表し、逆にアラビア語にも翻訳、占領を正当化する
17. ④膨大な『エジプト誌』(23巻)を編纂し、記述によってエジプトに対する知を集中・分析・把握した
18. ⑤スエズ運河計画の完成。レセップス。科学・合理の西洋の優越を確認・正当化。
19. これらの要素から、ナポレオンの戦略がオリエンタリズムの「画期」となった。
20. ※まとめ…テキストを土台にプロジェクトがはじまり、またテキストによって権力が生まれ強化された

21. 数学者フーリエの記述やユゴーの詩…オリエンタリズムを「過去の神話の地」としつつも
22. 「今は野蛮な場所」となっており、「英雄」ナポレオンがそれを回復する、というビジョン
23. フーリエのエジプト観はむしろ神話。日本にとってのガンダーラ的な? 「約束の地」
24. エジプト誌はシャトーブリアン等の次の文献に多く引用され再生産・強化が行われる。ハブ文献
25. スエズ運河は地政学的プロジェクトだったが、この出資者募集にも神話・英雄イメージのレトリック
26. 「エジプト人・中国人・インド人には達成できなかった」 →西洋が達成できた。科学の勝利。
27. ここでオリエントは現実的・歴史的にも「従属」下におかれ、神話性が現実に置き換えられてく
28. オリエントを飼いならし、西洋コスモロジーに引きずり込んでいくことが出来る
29. 具体的にも、人口統計・経済学・社会学で分析できるようになっていく。

※ナポレオンは文化戦略を行い占領を強化する。イギリスのインド占領に対する方法、あるいは日本の大東亜共栄圏と比較すると面白い。このとき「侵略・占領・征服」は合理化される。それは排除や差別や支配の論理ではなく、より優越したシステム=西洋を恵みのように与えるのだ、というロジック。イラクへの民主主義の輸出=「解放」というのと相似。ただし「市民」というか大多数の「無辜の民」からしてみるとそれが魅力になるというロジックをどう考えるか。
※私たちがなぜスーツを着続けるのか、ということもオリエンタリズムの帰結と言えるか?
※ラスト、分析可能な存在=従属化に置く、というところ、ビッグデータ的なところと重なるような。

1-4 危機
1. 「テクスチュアルな姿勢」現実よりもテクストによる世界把握を優先してしまう態度。
2. ただしテクスチュアルな姿勢になりやすい二つの特殊な条件が存在する
3. ①見知らぬ遠い場所・経験的情報がすくない場所 ②テクストに従って成功がもたらされる場合
4. ※海外旅行-ガイドブックの関係はこれに当てはまる。書物の記述に現実を当てはめてしまう。
5. 簡単に言えばディスクール論。ナポレオン・レセップスもこの状況を満たす。「成功」も含め
6. 「前後転倒」→テクストに現実の自体を当てはめ作り直し・実現させてしまう。
7. 確認「オリエンタリズムはオリエントを踏みにじった」様々なレベルにおいて言える
8. アブデル=マレック…エジプトの社会学者。「オリエンタルは分析される対象でしかない」
9. オリエンタルの分析は容易に人種・文化本質論に帰着し、レイシズムを煽る
10. インドのみが「良いオリエント」のは、言語がヨーロッパに似てるから。必ずヨーロッパベース

11. イスラムのオリエントについて書いた文学作品の貢献の話。多数の著者の名前
12. バイロン、TEロレンス、フォスター…スコットの「タリスマン」にはサラディンが登場する。
13. 「このイスラム人は悪いやつではないが…お前たちの先祖は邪悪な悪魔であったに違いない」
14. 「悪魔の力でもなければ、パレスチナを十字軍から守り抜くことは出来なかっただろう」
15. バイロン等先行テキストを参考にして物語が再生産されることへの根本的な問題
16. 完全なフィクションを参考に「現実的な」物事を書いてしまうことの問題
17. フローベールのオリエントの風景…イスラム教徒を侮辱しエキセントリシズムにあふれるイスラム
18. まとめ…批判されるのはオリエンタリズムの研究体系。知の構造。
19. 客観・中立を標榜しても、その引用先・参考文献の選択自体が偏っているということ。
20. 戦後も様々な形でオリエンタリズムは影を落とす

※他者を書く
- ここにおいて、「他者を書く」という文学作品・人類学の不可能性が現れてくる…が個人的にはそれは程度問題という話に思える。「取材」という手段そのものの不可能性。現地人と話すこと、多様な本を読むこと、ただし、接近することは出来るし、そこには巧拙がある、というのは文化人類学が表していることで、オリエンタリズムは回避する/できないという話ではなくもっとグラデーション的なものとして捉えるべきでは。
※チェルフィッチュ的な「リアル」さの装置を使って語ることともかかわる。「フィクション化」がなされているかどうか、という問題にもつながってくる。
※仮に「中立・客観」とされる研究結果や学術書、歴史書を参考にして何かを書こうとしても、そこに既にバイアスがある…バイアスのない歴史書が存在しないという話でもある。

21. 戦後独立国の文化論での問題。
22. イスラムでは、イスラムという宗教と、経済・社会・政治が切り離されてしまう。
23. ギブという教授は戦後においても「アラブは原子論的な思考様式」という本質論を語る。
24. 60年代頃においても、オリエント研究者が地域研究と「学際的」な協働を行い引き継がれる。
25. より問題が大きいのはメディア・報道の中で再生産されるオリエンタリズム。
26. オリエンタリズム表象の一つは「進歩しない」「変化しない」イメージ。時間的に固定される
27. 一方で西洋というのは「常に前進する」イメージ、ヘーゲル-マルクスラインも。歴史。
28. イスラム教の戦後の変化について、イスラム国家の「進歩」が例えば教科書でどう語られるか。
29. ※「戦後史」の中に書かれるイスラムの記述がどれほど少なく、戦争に関連しているか。
30. ※ここでイラン-イラク戦争、パレスチナ紛争…といった話しか出来ない。リビアの春とは何だったか


※グローバル世界

- グローバリズム、国際法、世界全体が一つとして働いていく状況においての困難。環境問題・平等・正義・経済問題が行われる中で、オリエンタリズムの正当化に用いることのできる材料は大きくなる。例えばハンチントンやロールズなんかとどう関係していくか。
※報道とオリエンタリズム、の話は今後はむしろウェブ記事のようなものが考えられる。フェイスブックの操作でも構わないが、資本主義=よりクリックさせるという収入体系においてこれを避けることが出来ない。
※レヴィ=ストロースの冷たい文化-熱い文化というに区分は文化理解として問題にならないのか? 時間固定の問題において。あるいはウエルベックの語り方や移民問題に対する語り方にもこれが入ってくる。拡大すれば貧困についての語り方に関しても。「思考様式・行動様式を本質化」する語りに注意すること。

31. まとめ。オリエンタリズムという学問体系が一時期支配的で、たとえ中立的な学問を標ぼうしてもそれを再生産し続けてしまう。メディア・表象的なイメージが重なる。「科学的」な操作を語っても、その引用箇所に既に偏見が入り込んでくる。

2 オリエンタリズムの構成と再構成

1. 再設定された境界線・再定義された問題・世俗化された宗教
1. フローベールの小説『ブヴァールとペキュシェ』の話から。
2. 2人のブルジョワが様々な科学・学問を究めていくが最後は絶望し「書写生」に戻る。
3. ※1880年の小説。チェホフ・秘密の花園との比較。どことなくウエルベックも思わせる。
4. ラスト、2人がそれぞれ人類の未来について絶望-希望について語っていく。
5. 一人は「やがてヨーロッパはアジアによって…東洋-西洋の融合でよみがえる」しかしこれも皮肉
6. ※エンデの「東洋」感も考えること。ノヴァーリスもインドに対してそうした神秘的視線がある。
7. コント=社会学の始祖にもこうした視点が。
8. この頃=19世紀末、オリエントは周縁を広げる。クック船長やイエズス会宣教師が広がり、アジア域へ
9. モーツァルトの魔笛の中にもロマン的なオリエントのビジョン
10. 『言葉と物』が引用される。リンネ・ビュフォンのカテゴライズ・命名の話

11. 二重の構図。当時オリエントは「魔術・神秘・野蛮」といったイメージが広まっている。
12. 近代はオリエンタリストたちは「現実の」オリエントを救い出そう、というポーズをとる。
13. しかし、それらの描写の中で、分析を行いつつ結局西洋に劣った文化として「科学的に」再編成する
14. ※バリ島の文化の例を考えても良い。ロジカルに再構築される文化。フォークロリズム
15. ※観光人類学をこのときどのように考えるべきか。文化をどこに置くか。
16. まとめ・「救い出そう」と言い、「科学的・合理的」な枠組を謡いつつ、結局は西洋のパラダイムの中でオリエントが定義・提示されたという話。これが「最高性」

2 サシとルナン
1. 近代オリエンタリズムへの変化。サシとルナンという二人の学者について
2. サシ、一種の人類学者。『アラブ名文集』が代表。アラビア語学者。
3. 「歴史的一覧表」ナポレオンの科学史の記録に関わる。
4. サシもまた「再構成」を行う。膨大な文献の中から信頼性を測りオリエントを再構築していく。
5. 最大のポイントは、一時文献を精査する「中立」のポーズ → 「編集」にイデオロギーを入れる身振り
6. サシは厳密に行ったが、例えばアラブの詩集を編集するとき、選択に当然彼の視点が入る。
7. そしてアラブの詩を「ある程度」認めつつ、結局神聖な西洋言語の「理解に役立つ」劣位のものとみる
8. 「名文集」の編集・並び替え・翻訳が、「元のテクスト」の権威=事実を保ちつつ偏見を操作可能

9. 「文献学者」を大々的に打ち出したルナン。自らをカントに並ぶ存在として文献学を構築した。
10. 言語学とのつながりが大きく、『言葉と物』とも関わる。
11. 言語学も一種進化論のように、神の言葉=聖書の言葉を相対化し神聖さをはぎ取ってしまうもの
12. 言語のアーキタイプ的なものを考えるということと、キリスト教が関わる →言葉と物
13. ルナンは「セム語」という概念を最初に構築する。これも恣意的なまとめ方。
14. ここでもポイントは科学・知という「客観中立的」なものを縦にステレオタイプを構築すること
15. 「結論として、セム語は誰よりもまずルナンが創造したものであった」
16. ※結論・意図・偏見があり、それを元に事実の一部を都合よく切り取りイデオロギーを表現できる
17. ※このとき科学の「身振り」が可能になる。「嘘は言っていない」ということ。
18. ※さらに「配列」「編集」という行為がむしろ中立性の担保を利用するストラテジーということ。

19. 言語は生物とのアナロジーでとらえられる ※のちの進化論-文化のように
20. このときオリエントは「成長の止まった」言語と語られる。これもまた「停滞」「無時間」
21. ※だからこそ「アザンデ人には時間の概念が無い」が問題になった。
22. 影響先として、ワイルド、フレーザー、プルーストが挙げられる

3 オリエント在住とオリエントに関する学識
1. 前章までのまとめ。文化の「全体的な把握」が科学中立的という前提で武装すること。
2. 結局それが、文化を「矯正」するという視点を帯びること。例えば「イスラムの単純性」という語り
3. 「言語」で民族を特徴づけ、言語が「単純」である、と分析しそれを人種へと敷衍すること。
4. オリエントは、ある地点では過大評価(ロマン主義)され、ある地点では過小評価された
5. コッサンはムハンマド象を描き、これはかつての悪魔・神話的なイメージからは脱しているが、
6. 対して「人間」ムハンマドを描く中で彼を政治的フィギュアに落とし込む。
7. ※「キリストに対して同じことやれよ」、という突っ込み。
8. カーライルがこれを引用し、結局ムハンマドを「愚昧」と表現している。
9. マルクスのオリエントに対しての記述は二律背反になっている。
10. オリエントは植民地支配により破壊・侵略を受けたが、結果それが「社会革命」を推進したとする

11. 結局マルクスも、オリエンタリズムの言説-西洋が東洋に優越する、というところから脱せない
12. 経済理論的にも「西洋の優越」…マルクス理論の優越は前提にされ、文化の優越と合致する。
13. ※むしろ、資本主義-共産主義の対決、という構図の中でオリエンタリズムは「その他」にされる
14. オリエンタリストは常に人間を個人でなく「民族」という集合単位でしかとらえない。
15. マルクスもまた、資料・文献=著述の集合体に依存してる。
16. 学問・知が論文引用のネットワークの構造物、ということの脆弱性が出ている。
17. ※研究が少なくハブとなる文献に偏見が含まれてるとそれが再生産されるという話。
18. ※一種のパラダイム的な話と言っても良い。エピステーメーよりも。
19. オリエントに関して書いた文学者…フローベール、マークトェイン、キングレイク
20. 「巡礼の地」としてのオリエント、あるいは見世物、エンタメの舞台としてのオリエント

21. 当然ながら、オリエントの「異質さ」「特徴」がそこで示されることになる。
22. ウィリアム・レイン『現代エジプトの風俗習慣』実際に住んで書かれたもの。人類学的な著作。
23. 半分そこに入り各。レインのたちばは参与観察モデルに近い。アラビア語を用い入り込む。
24. ある友人のイスラム教徒の宗教観―特殊なそれをすべてのイスラム教徒へと拡張して語る。
25. レインの著作は、学術的・客観的なものとして見られ引用されていた。

※「ヨーロッパ人としての彼は、不幸にもイスラム教徒たちがとりこになっている熱狂と興奮とを論理的に制御することが出来るからである」文化人類学者が外から来たからこそ、住民と当然と思ってることに対して違和感を持てる、というロジックと同じではないか?
※あるいは批評において、「著者の内なるレイシズムが現れているのである」という批判。

4 巡礼者と巡礼行 イギリス人とフランス人
1. ざっくり言えば、イギリスはインド支配で比較的社会的・学術的になる、バートンとか
2. フランス人、ディズレーリ、シャトーブリアン、ラマルティーヌはロマン的・文学的に見る
3. オリエントは性的なものと結びつけられ易い。現在のタイ・東南アジアとも結び付けられる。
4. ゲーテ、バイロン、ユゴーの文学では「解放」の場所となる。
5. ノスタルジー+西洋で失われてしまった純粋・神聖さを取り戻す場所→ここでも「古代」の印象
6. シャトーブリアンは1910年の段階で、イラク戦争まで通じる思想「無知なイスラムを解放する」が出る
7. 「ヨーロッパはオリエントに自由の意味を教えなければならない」
8. 「これはやがて、ヨーロッパ人の著作の中で、ほとんどが耐え難いまでにも強力な、また無分別・無反省な思い込みとも言うべき権威を獲得することになる思想が、最初に表現された意義深い一説であり、その思想とは、ヨーロッパはオリエントに自由の意味を教え諭さなければならぬという命題で示されるものに他ならない。自由とは、シャトーブリアンや、彼に続く人々の信じるところに従えば、東洋人、特にイスラム教徒の全くあずかり知らぬ観念なのであった。自由について彼らは知るところがない。礼儀というものを、彼らは全くわきまえない。力こそが彼らの神なのである」
9. 「レインと違ってシャトーブリアンはオリエントを消費しようとする」

10. シャトーブリアンは、感傷的なドキュメントとして紀行文を書いた人間。
11. そのとき世界というのは、彼の表現行為のために存在し、ゆがめられる
12. 知識が発達するとは―知識が累積するのでなく、洗練・強調されむしろ「削られる」こと。
13. さらに間テクスト性。ラマルティーヌ等にイメージが受け継がれる。ラマルも同様に自分本位。
14. フローベールは娼婦のイメージを小説の中に異なる形で表現する。
15. ここではフローベールの悩みがオリエントという材料で表現されるため「利用」されてる
16. 「オリエントは、我々がヨーロッパにおいては持っていない性的体験を探し求めることができる場所なのであった」
17. 一方でインドはイギリスの支配構造・政治的な状況があり、ロマンティックになりきれない→政治的
18. キングレイク、バートンのアラビアンナイト

※他者を書く -文学・物語とオリエンタリズム
- 長いが、全体的に言えばフランス-イギリスの違いと、同様に知識が「道具・材料」として利用されているということ。ここに今までの違和感が当てはまる気がする。
1. 異国を書く … 自国ではないため、そこに登場する舞台や人物の「思考様式」は異なる。異なっていなければ自国で書けば良い。
2. 問題を書く … 特に「事件」が描かれる。小説において、特に冒険小説やSFにおいてはそこで様々な「問題」が描かれる必要がある。そしてこの問題が、その国の混乱した状況などに結び付けられている。
3. 人物を書く ... この「他者」と「問題」が結び付けられる交差点でステレオタイプが介在してくる。

※問題になるのは、文学においてはステレオタイプの量産が非常に洗練され、「物語」という構造を用いることでその差別が差別ととられないような形で表れてくるということ。また、既にそうしたイメージが世界にあふれてる場合、それらをテコに話が展開するために問題が起こるということ。むしろこの「蓄積」が問題になる。

3章 今日のオリエンタリズム

1 潜在的オリエンタリズムと顕在的オリエンタリズム
1. あらためてここまでまとめ。学問=知が中立に見えるけど、エピステーメー的な栄養を受けてること
2. 文学も含め、間テクスト的な話で、オリエンタリズムが枠組みの影響を受ける。客観・中立は疑わしい
3. 文学作品は:旅行記、探検記、幻想的な物語、異国趣味の風俗描写
4. ※一種「エキセントリック文学」のジャンルを作ってしまう。そのクリシェの中の面白さ
5. ※BL文学、百合文学、あるいはポルノのジャンルのジェンダー論との摩擦も延長で考えられるか?
6. ※例えば「世界の紛争を描いたSF」という表象が創られてしまうこと。
7. 「したがって、すべてのヨーロッパ人は彼がオリエントについて言いえることに関して必然的に人種差別主義者であり、帝国主義者でありほぼ全面的に自民族中心主義者であったと言って差し支えない」
8. 2つの区別:潜在的オリエンタリズム…無意識のもの 顕在的オリエンタリズム…知・学問
9. 「顕在」はスタイルが変化していくが、「潜在」が持つイメージは不変。後進的・従属的・非合理的
10. 「後進的で、そのためヨーロッパに救済される必要がある」世界とみなされる


※パラダイム-カウンターオリエンタリズムの可能性
※オリエンタリズムを考えるにあたり、サイードの考えはパラダイムの力をかなり強力なものとして見積もっている。19世紀に関して、あるいは20世紀のイスラム地域に対してのそれは確かに強力だが、その理論のどこまでを他の地域へと適用できるのか、という話もある。また文学は20世紀に入るに従い、よりメタ的に自己批判を含んだ作品が増加していく。現在はさらに『オリエンタリズム』理論をなんらかの形で摂取した上での記述があり、それを含める必要もある。

※逆にこの時期、オリエントからオクシデントに旅した人々の旅行記は少ないだろうが存在しないだろうか。例えばそうした文献と、夏目・森鴎外といった日本の作家たちの認識について考えることは?

※ここでは「進歩」「科学」「理性」みたいなものが結びついているので、当然オリエンタリズムでありながら、一方で科学信仰みたいなものと結びついていないか。中立・客観を求める動きはポピュリズム、大衆社会が訪れる中での必然というか。情報社会。

11. 生物学的な人種差別理論が登場。ダーウィニズムとも関連。
12. 文化人類学とも関連して、結局は人間を準-人間と位置付け、人権を認めない。従属存在
13. このときこの「準-人間」を支配・制服し、時に殺したとしても合理化が可能ということ。
14. オリエンタリズムは「男性的」領域である…マチズモ、支配、性…
15. シュペングラー『西洋の没落』でもこうした思考がみられる。
16. ある5人のオリエンタリスト…互いに関係が深く、イスラムイメージの構築を行う
17. クローマー卿再び。神話のレベルで、西洋が東洋を「解放」することを疑っていない。
18. 合理化には、ベンサム、ミルの功利主義的立場が強く影響している。
19. ポスコロ以前の「植民地主義」にも合理性・正当性みたいなところで表象・概念理論が関わっている
20. 19世紀末、英仏の対立が限界に来て、サイクス・ピコのような条約が生まれていく。

21. ウィルソンの民族自決綱領がここに裂け目を作る…支配の正当化への疑い。
22. ※民族自決の動きはアメリカ主導? どのような背景で生まれてきた?
23. 20世紀では、オリエント専門家が軍事・支配・スパイ等国家下での役割が拡大する。
24. イギリスとフランスの関係もいろいろ

2 様式、専門知識、ヴィジョン
1. キプリング『キム』の小説の中の有色人種のイメージ
2. 詩、「さあ、これが白人の歩む道」オリエンタリズムを象徴するようなイメージ
3. 「白人である」ということが一種のアイデンティティの在処となった、という話。
4. 「高度に文化的な人文主義のレトリックによってもまたそれが強化されたことは論を待たない」
5. 社会ダーウィニズムなどとも結びついていく。※この「結び付け」と人文知の関係が大事
6. アウトサイダーの追放。=植民地被支配者、貧乏人、犯罪者…サバルタンの話そのもの。女性も?
7. パターナリズムによる議論の封殺「彼は適正な教育を受けていないからその発言は疑わしい」
8. かれらは純朴で無知な子供のようであるから、我々が先導しなければならない。
9. 「問題はその論争の述語、及び論争そのものが非常に広く普及したという点である」


※パターナリズムとオリエンタリズム
※「父」としての気負い。ここはとても重要かつ問題含み。「ジャパンアズナンバーワン」と言われたり、アジア内で前面に出てきた一時期、それは一種「大東亜共栄圏」の夢のリフレインとして働いたか? 一種のメシアニズム…植民地主義期のキリスト教宣教師→「伝導」のイメージ。他者よりも優れていた-いなければアイデンティティが満たせない、という感覚は異常であるようで理解できる感覚でもある。「我々」が「かれら」よりも優れていたい-正しくありたい、という感覚。現代においては経済戦争的な状況の中でこれがやむをえなくなる? この「誇り」の感覚と称賛のフィードバック。承認欲求の共同体…

※「差異の工学」あるいは「友敵」理論のように、常に「我々」と「彼ら」というロジックが用いられ、そこでポリティカルな発言をしながら相手のメタに立つ-貶めていくこと。20世紀初頭においてはそれはより全体的で苛烈なもので、反対する意見がほぼ封殺され議論が成り立たない-サバルタンの状況になった。しかし現代は状況がより洗練され、隠されただけでは?

※19世紀末-20世紀初の「文明礼賛」イメージ、チェホフや秘密の花園。

※時間感覚と後進性
※日本がどうしても東南アジアなりを「後進」として見て、中国韓国が台頭していることを理解できないこと、あるいは細かなところを取り上げて、例えば「礼儀」「衛生」などで優位に立とうとする比較の身振りにも同一の構造があるのでは。先進国と後進国は「時間の感覚が違う」という言説。
※この連続で、「時間にルーズな○○人」というイメージの語り方はオリエンタリズムの始まり。

※偶然的な影響力
※「影響力」の考えかたは難しいところがある。オリエンタリズム的なイメージを書いた作家は、自らの作品がそれだけの影響力を持ちえたとは思わなかったはずだ。ここにおいて、潜在的に強力な影響を与えうる作品はあるが、それが影響力を持つ(ヒットする)のは運みたいなものだし、常にそのような感覚を持ちながら書くというのはあまり現実的とは思えない。「村上春樹(のような影響力がある作家)ならその国をそのようには書かない」と考えることは出来る。当然読者側、それを読む側にもそうした受け止める土台があると考えることは出来る。ここでは流行しなければ-流行るか/流行らないか、でその責任が決まってしまう部分がある。

10. 「人種理論」は20世紀末でほとんど疑問の余地のないものになっていた。
11. ベースとなっていたのは 言語学→知的能力、現在で考えればDNAになるだろうか

※他者を分析すること-ビッグデータ時代
※二つのパースペクティブ…文化人類学の問題。フィールドワークで経験を得る・語りを行う→これを分析・一般化する。この一般化の「操作」にステレオタイプが入り込んでしまう。編集の問題。そもそも「経験」がどのように与えられるかの問題もある。「他者を記述的に分析すること」それ自体が問題をはらむということ。
※現代に拡張すると、ビッグデータによる人間の分析の話にも通じてくる。googleの移動と自粛の関係と民族性、というデータが出されたときにどうこたえるか。データという「透明な言語」にどのように対応するか。より中立的に「見える」力を考える。

12. ロバートソン・スミスもまた「我々」と「彼ら」を分別していく。そして抽象的に捉える。
13. オリエントの宣言「オリエントは一望のもとに見渡すことが可能」なものと考えること。
14. つまり、ひとまとめに把握できる=メタに立つ=知識を得る=権力を得るというシステム。
15. 「ヴィジョン」と「語り」が対立する。全体-個別と言い換えても良い。理論-経験
16. TEローレンスについての記述。①ローレンスという「西洋人」が語ることによって、はじめて「アラブの反乱」が意味づけられるということ。彼によってしかそのイメージが生まれえなかったこと。 ②ロ^練スは自分が個人を超えた世界史中の権化として、世界-自身を一体化させ、英雄的な言葉で、代表=表象を行っていること。
17. 「重要な意味を持ったのはローレンスの失望なのである。ローレンスは混乱を極めた出来事の大きなうねりの中に飲まれていった単なる一個人などではない。彼は、自分を生まれ出ようとする新アジアの闘争と完全に同一視しているのである。」
18. アラブを「開示する」というキーワード、明らかにする=良いこと、というロジック
19. ※秘密の花園のラスト。未来の幸福が語られるがそれはオクシデントのもの

20. 「かつては比較的無害な文献学の下位分野であったものが、今や政治運動を制御し、植民地を管理し、「白人」の労苦に満ちた教化の使命について、ほとんど黙示録的な発言を行う可能性を持ったものへと変容したのである。―しかもこれら全てがリベラルと称される文化、つまり普遍性・多様性・無偏見性といった誇り高き基準に十分な関心を払っている文化の内側で起こっているという事実は見逃しがたい。実際のところそこで生起したのは、「科学」によって産み出された教義や意味が「真理」にまで硬化する現象であり、それはリベラルとは正反対のものであった。もしこうした真理が私の示してきたやり方で、オリエントは不変にオリエント的なものであると断定する権利を保持しているのだとすれば、リベラルであることも、所詮、抑圧と唯心論的偏見の一形態に過ぎなくなる」

※ハビトゥスの重要性
- ハビトゥス概念がなぜ重要か? ―文化の問題を生来的なものでなく、「習得」の問題に還元したということ。遺伝子で決定づけられるものではなく、社会の再生産の枠組みで語るということ。本質的なもの=例えば遺伝子や血というところを拒否し、ハビトゥス概念―特に「資本主義のハビトゥス」を考えれば、オリエント的な問題=本質主義や歴史がキャンセルされ、いま-ここにある枠組みが問題となると同時に、西洋-東洋を構図の問題に還元できる。それは単に「プラクティス=反復し習得する実践」の問題になる。

※人文学の強力な権力・影響力
- ここで「人文知」の重要性が語られる。オリエンタリズムとは、そもそも一つの文献学の下位分野、ある一地域の研究で、人文学と社会学と歴史学の混成、単に「学問」だったのだが、植民地主義時代はほとんど世界そのものを動かしてしまっていた。
- では現在は違うのか? 例えばデータサイエンスの話をするときに、その「語り」方、その解釈の方法に、人文学なりの方法、解釈、例えば社会心理学の研究の総体が関わっていないのか、ということ。エネルギー自体は例えば軍・国家、あるいはデータサイエンスだったとして、それを方向付ける部分が透明にされている人文学だったとして。

3 現代英仏オリエンタリズムの最盛期
1. 現在オリエンタリスとはスペシャリスト、専門家とされてるが、第二次大戦頃まではジェネラリスト
2. 言語や文献についての研究者であるのに、オリエント全体を総括し代表しているかのように語る
3. 第一次大戦の直前、大戦直後の2つのタイミングに切断線があった。
4. 1899年『イスラム法』についての書評…これまでと同様、イスラムについて知る → 支配可能という論理
5. 1931年、ギブの観点…東洋的な思想が行き詰った西洋を救う、という視点。ゲーテの世界文学
6. 戦後の状況においては、「支配を前提」とする見方が無条件ではなくなった。
7. アウエルバッハの『ミメーシス』はトルコへの亡命中に書かれた。
8. 「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものはすでにかなりの力を蓄えたものである。だが全世界を異郷と思うものこそ完璧な人間である」聖ヴィクトルのフーゴー、スコラ哲学者。12世紀。
9. この有名な引用をサイードは疑問に付す。「人文主義の伝統、異郷に踏み込むことを是とする身振り」

※「世界文学」という観点は、オリエンタリズムから自由なのか?

10. 社会科学の累計概念…ヴェーバー『プロ倫』の累計。仏教、儒教などの宗教を社会と同一視・固定
11. 「彼はそこで東西の経済的および宗教的メンタリティの間に一種の存在論的差異があると信じる」
12. 和辻の風土概念もここに加えられそう。
13. オリエンタル的なもの、ステレオタイプの固定に役立つ。構造主義とも似ているが…
14. ポイントは、①その社会全体が同一化されてること ②変化=時間の経過が封じられてるところ
15. 暗に西洋の「経済合理性」に劣るもの、サブバージョンとしてしか位置付けられていない。
16. 人文学者・文学者はオリエンタルに何らかのあ「価値あるもの」とし、西洋カウンターとしても見た
17. イスラム研究を行うオリエンタリストの場合は「価値」を見出すことは不可能、必ず劣ったもの
18. 他の人間学はこの時期に変化・発展著しかったが、オリエンタリズムは性質上「停止」
19. 現代のイスラムは古いイスラムの焼き直しに過ぎず、環境が変化してもそれへの対応しかできない

20. 学問領域としても取り残されていく。ディレッタント的に細かな文献研究しかしていない。
21. 現代、「黒人の精神」「ユダヤ人的人格」の分析はもはや不可能だが、イスラムは書けるとする
22. イスラムの民族的独立運動はむしろ「純粋なイスラム・東洋性」を失うという危惧
23. ※タウト、フェノロサの日本への危惧、坂口安吾の反応を思い出すところ。
24. この時期の重要なハブ研究科は、ギブ、マシニョン
25. マシニョンはオリエンタルに「生き生きとした力」を見る。ベルクソン・カソリック神秘主義の背景
26. ※後のヒッピーカルチャー、ビートルズのそれのような、神秘的なもの⇔西洋合理・科学主義の対立
27. マシニョンは文学的な記述を行い、それを隠そうともしない。
28. イスラムの記述の中に、ユング、マラルメ、ハイゼンベルクを登場させるのをためらわない。博識型
29. マシニョンはなんだかんだでイスラムを忠実に、ステレオタイプを一度無くして見ようとしていたというところでオリエンタリズムの中にいながらも特殊、変化の中にいた。「オリエンタリズムが異国趣味に対する変質でも、ヨーロッパの避妊でもなく、我々の研究方法と古代文明の経験的伝統を同一水準に置くことである」

30. 様々な目配りはあったが、それでも現代-古代という時間的枠組みはそのまま採用されている。
31. この結果、未来の西洋-過去の東洋、という対立は変化していない。
32. マシニョンは50年代には植民地主義・支配の責任を西洋側に帰着、パレスチナ難民を支援した。
33. それでもオリエンタリズムの味方、本質的な文化へ還元する視点からは逃れられないような発言
34. 人間の活動・実存の上に、イスラムの文化の構造、イメージのイスラムが優越し固定する。
35. 抽象的な話…「真実」は表象されない。真実=表象の集合でしかない。バルトの「デフォルメ」概念
36. 「オリエント的本質」などというものは存在しない。

37. もう一人のキーパーソン、ギブはより保守的、公的・政治的で学者的な立場から書いた。
38. 「オリエントの人々にとって冥界の観念は、西洋世界の人々にとってよりもはるかに直接的で現実的なものである」 →死後の世界の通年から人間の文化、思考・行動様式を決定しようとする身振り。例えば日本人は「火葬を行っている」ことから歴史を忘れてなんちゃら。あるいはドラえもんから語ることもできる。ポイントは「無意識のうちに」個人を超越した部分から語るメタの視点で個人が反論不可能
39. ギブの影響元、マクドナルド…これまでと同様、オリエンタリズムの枠・視線から抜けられない

40. ただし、潮目は変わり、ギブも「イスラムの寛容性」についても語るが、単に洗練しただけ
41. 結局のところ、より外側、イスラムが上部構造=変化不可能なものとして見るのは同じ。
42. マシニョンは文学的記述→抽象概念=一意見であることがわかるように書いてあるが
43. ギブの場合は→知=学問=客観・中立であるかのように書いてることが問題になる。
44. ギブのイメージ…西洋のモダニズム、政治、世俗的なものが固定されたイスラムを壊そうとする
45. ギブは結局メタ視点「高みからイスラムを睥睨することが出来た」把握・知・権力


4 最新の局面
1. 第二次大戦後は、アラブ-イスラエル紛争が起き、アメリカにとって中東・アラブが大きなトピックに
2. ポイント…これまでは英仏が中心 → アメリカがヘゲモニー取ってオリエンタリズムも移る
3. 学問的変化…①総合的→専門分化 ②国家政策と連携 ③極東ほか別地域の研究も増加
4. 以降は様々なトピック別に取り上げる

5. _1 大衆のイメージと社会学的諸表象_
6. 簡単に言えば「大衆イメージ」はそれ以前のステレオタイプ的なところを脱せず再生産された。
7. プリンストン大学のパーティでのアラブ人のコスプレ。鉤鼻と悪い目つきとか。
8. アラブに何か起きるたび、弱そうだったり強そうだったり変化するが「悪役」イメージは同じ
9. 「好色漢か血に飢えた嘘つき、性欲過多の変質者、腹黒い下等な人間」 +ジハードのイメージ
10. 一方で国家間は石油資源で結びついているが、これはあまり考慮されない
11. 研究分野でもむしろ後退したような記述。バーガー…プリンストンの社会学教授。
12. 「オリエントは一度も偉大な文化を達成していない。研究的にも将来はそれほどない」再生産
13. ここでも繰り返し…学問的枠組みが強く、目の前の現実がそれに従属している
14. もう一つの変化…社会学的な研究は文学を徹底的に避けようとした。数値的に還元できるものが優越
15. アラブ言語研究は目的から「手段」へと転換する。

16. _2 文化関係政策_
17. アメリカでも戦前、19世紀中ごろから中近東への意識はあった。ヨーロッパ追従的に。
18. 戦後アメリカという場所の変化はありながら、地域研究はやはりオリエンタリズムの枠組を崩さない
19. UCLAのグルーネバウムのそうした意見に、モロッコの研究者ラルウィーが反論する。
20. ここでの問題は…グルーネバウムの論には膨大なディテール、広がりがあるにも関わらず、結局結論ありきでイスラムが一つの固定的イメージに還元されてしまうというポイント。→オリエンタリズム的なものが指摘されている。
21. このときグルーネバウムがクローバー博士の文化論でイスラムを理解していると指摘
22. 国家側がハード部分として、ソフト部分=各研究…基本は以前のものと変わらない。
23. 要約 ①合理-非合理の関係 ②古代オリエントイメージ ③停止した東洋 ④恐怖-制御されるべき
24. 一方でアジア・アフリカ研究は疑問が付され修正論者に挑戦が行われた。オリエンタルだけは固定
25. 1970年 『ケンブリッジ・イスラム史』法研究の総体が、以前の枠組に縛られ新しい情報が落ちる
26. シオニズムへの研究もなく、改革についても落ちている。結局戦前から進んでいない

27. _3 誰がイスラムか_
28. 原始的なステレオタイプ、「劣っている」という位置づけからの脱却負荷。第三世界的な視点
29. 「人間の思考仮定は8つに還元できるが、イスラムはそのうち4つの知性しか使えない」
30. 「アラビア語はトリックを好む言語であり、真の思考は不可能である」バーガー
31. よく焦点にされるのは、家族構成-男性支配-一夫多妻、+性的なもの
32. 大きなものがアラビア語。言語が思考に影響するというお決まりのロジック。神話でしかない。

33. _4 メディアと再生産_
34. アラブ側がイメージ・研究を再生産する。アメリカに近い国のアラブ知識層が留学→再感染する
35. アメリカの消費文化・製品・大衆文化、テレビ・映画などのメディアがオリエンタリズムを再生産
36. こうした「表象」による支配がポストコロニアル。ポイント「当事者側が内面化・再生産」すること
37. 抽象的な問い…文化をいかに表象できるか。明確な文化という区切りは存在できるか/可能か
38. 文化概念は、明確にするほど自己賛美-他者への敵意の器にならないか →差異の工学
39. 知識人の役割とは何か? →サイードの問いかけはここにおいてようやく重要なものとなる。そもそもこの世界がデフォルトでステレオタイプ再生産的な社会となっているという前提。知=権力による歪みと支配が行われているという前提に立った上では知識人は抵抗者としてしか可能ではない、という話。というかフーコーを踏まえた段階で、「知」の意味が非常に重要になる。抵抗しない知識人は自動的に支配者-権力者になってしまう、という激烈な意識の中での「知識人とは何か」という話だ。

40. 幾人かの抵抗者。クリフォード・ギアツ、 ジャック・ベルク、ロダンソン。
41. 過去の枠組にとらわれず経験ベースのギアツ、ロダンソンは内部から出ながら批判の視点を持つ
42. 構造人類学の考えもまた (レヴィ=ストロースの野生の思考とか念頭?)
43. 一方、個々の抵抗だけでは弱く、全体のステレオタイプは構造的で固く巨大。圧倒的な知から。
44. 結論「一つの警告として、すなわちオリエンタリズムのような思考体系、権力のディスクール、イデオロギー的虚構―精神によって作り出された手枷―が驚くほどたやすく作られ、応用され保護されるものだという警告」

※文学・人文学 ― 社会学 ― 国際関係・政治学 の分類とオリエンタリズム。「表象・言説」のような人文知の領域と、よりデータ的・客観的領域がオリエンタリズムはあいまいに結びついているところが問題になる。そもそも客観性・中立性というのが常に言説にさらされてしまうということ。「文学である」という免罪符。

オリエンタリズム再考

1. 『オリエンタリズム』が書かれた数年後の追補。批判などを踏まえたもの。2点取り上げる
2. まず3点まとめ ①歴史的構造 ②学問=知の権力 ③イメージ
3. 何より「解釈する側=西洋の知」と、「解釈される側=オリエント」があるという対立構図。
4. 問題点①…オリエンタリズムが明らかになっても、未だそれへの抵抗にはためらいが消えない
5. 問題点②…抵抗の形。①オリエンタリズムを避けるには? ②フェミニズムや他人種問題とのかかわり
6. さらに言えばマイノリティが自分をどのように表象するか・できるか、という話。
7. サイードの意図はイスラムを擁護することではなく、それが「解釈の共同体」になってることの提示
8. ラルウィー、アサド、ファノンなどの先行者がいた。
9. オリエントは「ヨーロッパの対話者」ではなく、「もの言わぬ他者」でしかないということ

10. 人類学方面からの批判…「土着文化」の防衛、民族主義的立場、原理主義的批判…
11. 西洋側だけでなく、異なる方面からのオリエンタリズム批判が出たという話。より複雑な構図。
12. パレスチナ問題についても、シオニスト運動等、文化研究が大きな影響を及ぼしてるという話
13. 状況的な問題…批判側が、表象に対する闘争は行うが、対処療法的 → 再生産の構造にタッチしてない

14. 2つ目の問題点。まずヘーゲル-マルクス的な「歴史」概念…進歩的な歴史観。
15. ここでの「歴史-世界史」論は、政治経済にのみフォーカスがされ文化面は切り離されていた。
16. 例えばブルジョワ-プロレタリアート対立があっても、オクシデント-オリエント関係は思考の外
17. さらに言えば、オリエンタリズムと結びついた植民地主義が経済変革の中心だったこと
18. ある対立するアクターを見るとき、それぞれの政治的観点・理論的観点を同時に考察する必要
19. ※例えば知識人がある対立に言及しようとする。このとき二つの勢力のそれぞれが ①理論=なにを掲げ何を目指しているか ②政治=実際にどのような言動・行動をとっているか をマトリクス的に考えないとダメ、という話か。これを間違えると、自分の言説がどれかに還元されてしまう。

20. オリエンタリズムと人種主義・ジェンダー論は直接的にも関係する。
21. 例えば性的なイメージや、オリエントが「従属する女性」として扱われた北問題
22. マサオ・ミヨシ…日本文学の研究。オリエンタリズムと関わる。
23. ルカーチの話…当事者の表象の問題

解説-訳者あとがき

1. 批判点はまず事実の取り違えと英語の用法
2. より大きな批判は、「オリエンタリズムのオルタネイティブは可能か? 批判で終わっていないか?」
3. 他者を支配せず、強制しない知の在り方は可能か? →フーコーとも関わる
4. 一方で、オリエンタリズムが言うほど枠組の固定は強くなく、より多くの反省的研究があるという指摘
5. ジプシーやユダヤ人の中にも、一種「異邦」→オリエンタリズム的なものがあったのでは?
6. 日本のオリエンタリズム問題 ①日本→オリエントやユダヤ人へのイメージ ②日本→中韓東南アジア
7. 日本人論・日本文化論・国民性への固定化されたイメージ。『菊と刀』から始まる
8. 日本の立ち位置の特殊性…西洋から「見られる=分析される側」でありながら、同時にアジアにおいて「見る側=分析する側」に立ったという経験。

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